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憲法学者の意見を伺いました~大河内美紀教授インタビュー~

特集 憲法改正問題を考える
憲法学者の意見を伺いました~大河内美紀教授インタビュー~

会報「SOPHIA」 平成31年 1月号より

会報編集委員会

【大河内美紀(おおこうちみのり)教授略歴】 

名古屋大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士課程(後期課程)単位取得退学、新潟大学法学部准教授を経て、平成26年度より、名古屋大学法学研究科教授(憲法学)

◆なぜ今、憲法改正の動きが高まっているか。

 これまでの憲法9条を巡る動きは、湾岸戦争や米同時多発テロ等の外的事象をきっかけとし、想定される特定の事象に対して自衛隊で対応できるようにしたいという具体的な政治的動機に基づくものでした。
 しかし、今回の憲法改正の動きでは、きっかけとなる外的事象が存在せず、いかなる政治的動機に基づくものであるのかが非常に見えにくく、そもそも改憲の必要性があるのかも疑問と思われます。

◆自衛隊の合憲性について、どう考えるか。

 自衛隊の合憲性を検討するにあたっては、自衛隊がいかなる機能を持つべきかという点を一緒に議論することが重要です。つまり、多くの国民が合憲と考える自衛隊とは、普段は災害救助を行い、いざという時に守ってくれる自衛隊であって、米国と一緒に他国に攻め込む自衛隊ではないはずです。どういう機能を果たす自衛隊が合憲なのかについて、緻密に議論をする必要があります。
 しかし、今の自民党憲法改正推進本部案(以下「推進本部案」)は、自衛隊の機能に関する議論が欠落しており、かつ、条文上もそのようになっていないことが問題です。

◆自衛隊を憲法に明記することには、憲法と実態との乖離という好ましくない状況を解消できるというメリットがあるとする意見もあるが、どう思われるか。
**憲法の性質~「薄い憲法」「厚い憲法」~

 憲法典の文言と実態との乖離という状況を、特に憲法9条に限った問題として捉える必要はないと考えます。
 そもそも憲法は、その性質上、抽象性を免れることができず、解釈に幅があるもので、米国の憲法学者マーク・タシュネットは、いわゆる憲法典である「薄い憲法(thin Constitution)」と実務や憲法解釈や先例が積み重なった「厚い憲法(thick Constitution)」の二つを分けて考えるべきであると指摘します。
 「薄い憲法」である憲法典は、ある程度硬性性をもって維持されなければならないため、他の法令と比べて規律密度が低くならざるを得ず、必ず解釈は付きまとい、いくらでも解釈の余地があるものであるため、これだけでは国家権力を充分に縛ることができません。国家権力は、憲法典に付随する実務や解釈の集積によって意味内容が充填された総体としての憲法でコントロールしているというのが実態に近く、国家権力は憲法解釈や先例等の「厚い憲法」で縛るほかないのです。
 9条解釈についていえば、文言が乖離して分かりにくいという「薄い憲法」観に合わせて憲法を変えるというのは非常に安易な考えで、「厚い憲法」でコントロールできているのか否かが重要であり、実態と文言の乖離は決定的な問題ではありません。
 仮に、文言を新たに付け加えれば、それに付随する、これまで蓄積した解釈にも疑義が生じるため、むしろ解釈を混乱させるのではないでしょうか。例えば、14条の文言について、例示列挙であることが判例で確立しているのに、これに新たな例示を加えれば、例示だった条文になぜ付け加える必要性があったのか、14条の解釈が変わったのか否か、そこの議論から始めなければならなくなり、これまでの解釈の積み重ねが崩れてしまいます。

**解釈改憲に歯止めをかけるべきとの立憲的改憲論については、どう思われるか。

 どんなに細かな条文を作っても、解釈は避けられず、また、細かくすればするほど社会情勢に応じて頻繁に変えなければいけないことになり、細かく規律することにも問題があります。憲法は、その性質上、規律密度が低い条文が多く、解釈が不可避です。その際、特定の機関によって唐突に「これが憲法の意味するものだ」と示された解釈よりも、長期にわたり様々な場面で議論がなされる中で蓄積されていった解釈の方が、より安定に資するといえます。
 憲法9条2項に関していえば、政府は、「戦力」は侵略目的か否かで区別できないことを前提として、いわゆる限定放棄説(9条2項は侵略戦争のためだけの戦力を放棄したとする説)を採らず、昭和29年(自衛隊創設)以降一貫して全ての戦力を保持しないことを規定したものと解しており、その上で「自衛のための必要最小限度の実力」を保持することは合憲であるとの立場を採っています。かかる解釈は少なくとも平成26年の閣議決定まで60年間安定的に続いていることから、その蓄積によりかなり権威が高まった解釈となっていると思います。

◆集団的自衛権を一部容認する平成26年閣議決定(平成26年見解)について、どう考えるか。

 政府は、「自衛のための必要最小限度の実力」を超えるものを、憲法9条2項の「戦力」としてきました。つまり、「自衛のため」という目的、いわば質的な制約と「必要最小限度」という量的な制約をかけてきました。そして、平成26年見解以前は、集団的自衛権が認められないという前提の下、自国が攻撃されたのか否かという客観的事実で「(日本)自衛のため」といえるか否かを区別しようとしてきました。このような解釈の下、PKO協力法は、自ら武力行使をせず、かつ、他国による武力行使とも一体化しないという規制をかけ、自衛隊という実力組織でなくともできることしかしないことを内容とし、既存の解釈の枠組の中でかろうじて憲法上も説明ができました。
 しかし、平成27年制定の安保関連法は、これまで積み上げてきた解釈実務と整合的に説明できなくなったため、政府は、既存の解釈を変更する平成26年見解(新三要件)を出さなければなりませんでした。
 新三要件は、武力攻撃の対象に他国を含め、我が国の「存立危機事態」という別の概念を持ち込んで集団的自衛権を一部認めました。それにより、「自衛のため」か否かを攻撃対象により客観的に確定できなくなり、自衛権の名の下に目的を広げる論法が出てきたことが決定的な問題です。これまでは、個別的自衛権しか認められない前提で憲法9条2項を解釈していたのに、集団的自衛権を認めて目的を広げると、「自衛のため」の「戦力に至らない必要最小限度」の範囲が広がり、同項の解釈で確立した規範から明らかに逸脱します。そのため、同項の解釈が変更され、解釈改憲であると評価されています。

◆推進本部案をどう解釈するべきか。

 平成26年見解をベースとする案である以上、今の推進本部案で「自衛」の文言を使った場合、同見解で拡大した自衛概念になることは疑いがなく、かつ、新しい用語がいくつか入っているため、その用語の解釈次第ではいくらでも自衛権が広がる可能性があります。しかも、推進本部案は平成26年見解とも明らかに文言にズレが生じています。同見解では「戦力」について一言も触れられていないのに、推進本部案は「自衛のための必要最小限度」を超えるものを文言上含むため、憲法9条2項が死文化し、既存の戦力不保持概念が抜本的に転換される可能性があります。
 そもそも平成26年見解で解釈を拡大し、その解釈を「1ミリも動かさない」のであれば、本来改正する必要はなく、また、少なくとも「(日本)自衛のため」「必要最小限度」という文言をそのまま用いればいいはずであるのに、明らかに違う言い回しを用いるのは、変えた意図があると推測され、別の解釈が生じます。

◆憲法改正がなされようとしている中、弁護士に期待されることは何か。

 憲法解釈が力を持つには、その憲法解釈に国民の支持を得られていることが重要です。解釈や実務の集積により成り立つ「厚い憲法」は、国民には分かりにくいかもしれませんが、憲法規範とは何か、その解釈や必要な情報を正しく伝えることで、国民の支持を調達できるような役割を弁護士には担ってもらいたいと思います。