1 本年3月13日、東京高等裁判所は、いわゆる「袴田事件」の第二次再審請求事件 につき、静岡地方裁判所の再審開始決定を支持して、検察官の即時抗告を棄却する決定をし(以下、「本決定」という)、検察官が特別抗告を断念したことにより再審開始決定が確定した。

2 「袴田事件」の概要等は以下のとおりである。

(1)1966年(昭和41年)6月30日未明、旧清水市の味噌製造会社専務宅で一家4名が殺害された強盗殺人・放火事件で、同年8月に逮捕された袴田巌氏は、当初から無実を訴えていたが、過酷な取調べを受けた結果、パジャマを着て行ったと本件犯行を自白させられ起訴された。ところが、事件から1年2か月後の一審公判中に、多量の血痕が付着した「5点の衣類」が味噌タンクの中から発見され、検察官は、犯行着衣はパジャマではなく犯行途中で着替えてタンクに隠した「5点の衣類」であると冒頭陳述を変更、裁判所もそのとおりに認定して、死刑判決を下した。

(2) 1981年(昭和56年)に提訴された第一次再審請求は、申立てから27年が経過し、2008年(平成20年)に最高裁判所で特別抗告が棄却され終了した。この間、袴田氏は心身を病み面会にも応じなくなった。

(3) 姉の袴田ひで子氏が、2008年(平成20年)4月25日、第二次再審請求を申し立て、「5点の衣類」に関する味噌漬け実験報告書などを新証拠として提出、「5点の衣類」が袴田氏のものではなく犯行着衣でもないことを明らかにした。

 さらに「5点の衣類」からは袴田氏のDNA型は検出されなかった。また、裁判所の勧告もあり、多数の検察官手持ち証拠が開示された。その中には袴田氏の無実を示す重要な証拠が多数含まれていた。そして、静岡地裁は、2014年(平成26年)3月27日、袴田氏の拘置停止決定を伴う再審開始決定をした。

(4) ところが、検察官の即時抗告に対して東京高裁が、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却した。

 特別抗告を受けた最高裁は、2020年(令和2年)12月22日、「メイラード反応その他のみそ漬けされた血液の色調の変化に影響を及ぼす要因についての専門的知見等を調査するなどした上で、その結果を踏まえて、5点の衣類に付着した血痕の色調が、5点の衣類が昭和41年7月20日以前に1号タンクに入れられて1年以上みそ漬けされていたとの事実に合理的な疑いを差し挟むか否かについて判断させるため、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻す」と決定した。

(5) 本決定はこの差戻審による決定である。本決定は、有罪の決定的証拠とされていた「5点の衣類」につき、旭川医科大学法医学教室の清水・奥田鑑定書などを新証拠と認め、「5点の衣類」の血痕に赤みが残っていることから1年以上みそ漬けされたものではなく、事件から相当期間経過した後に袴田氏以外の第三者が1号タンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できず、袴田氏を犯人と認定することはできないとし、加えて、それ以外の旧証拠で袴田氏の犯人性を認定できるものは見当たらないから確定判決の認定には合理的疑いが生じていると判断した。

3 差戻し後の即時抗告審では、本件の犯行着衣であり、袴田巌氏のものと認定されていた「5点の衣類」に付着した血痕の色調変化につき、検察側、請求人側の双方が、法医学者等の鑑定書を提出するなどして主張・立証を尽くし、本決定はそれを踏まえ、事件から相当期間が経過したのちに第三者が隠匿した可能性が否定できないとの判断を示していることなどを踏まえると、「袴田事件」の争点に関する実質的な審理はすでになされたといえる状況にあり、本事件において、再審公判で改めて検察官に有罪立証を許すことは、不当な蒸し返しであるといっても過言ではない。

 また、袴田巖氏は現在87歳と高齢であり、長期間にわたり死刑確定者として身体を拘束されたことによる拘禁反応の症状が見られるなど、心身に不調を来しているうえ、第2次再審請求での再審請求人である袴田巌氏の姉も現在90歳となっている等の点から考え、袴田巌氏の救済にはもはや一刻の猶予もなく、人道的な観点から見てもこれ以上の手続の遅延は許さない。

 よって、当会は、速やかに再審公判が開始され、袴田巌氏に対する無罪判決がなされることを強く求める。

4 加えて、「袴田事件」は再審法改正の必要性を示す事案でもある。すなわち、第2次再審請求では、約600点にも上る証拠が新たに開示され、それが再審開始の大きな原動力になったが、それを実現したのは裁判所の積極的な訴訟指揮であり、もし裁判体が異なっていたならば、果たしてこれだけの証拠開示が実現したのか疑問があると言わざるを得ない。再審における証拠開示の実現が裁判所の「裁量」に委ねられている現状に照らせば、えん罪被害者の救済のためには、再審における証拠開示の法制化は急務である。

 また、袴田巖氏については、2014年(平成26年)3月27日の再審開始決定とともに、死刑及び拘置の執行停止がなされたが、検察官の即時抗告によって、再審開始が確定するまでに9年もの歳月を要した。前さばきの手続である再審請求手続にこれだけ長時間を要していること自体、検察官の不服申立を認めることの問題の大きさを示している。えん罪被害者の救済遅延の大きな原因の一つが、再審開始決定に対する検察官の不服申立にあることが「袴田事件」には顕著に表れている。

5 当会は、令和5年3月23日の臨時総会において、再審における証拠開示の法制化と再審開始決定に対する検察官の不服申立ての禁止を内容とする「再審に関する法改正を求める決議」を行っているが、今後も、一刻も早い袴田巖氏の救済を実現するためさらなる支援を続けるとともに、上記2点を中心とする再審法改正の実現に向けて全力を挙げて取り組む決意である。

2023年(令和5年)5月12日  

愛知県弁護士会      

    会 長  小 川   淳