大阪高等裁判所第3刑事部(石川恭司裁判長)は、2023年(令和5年)2月27日、亡阪原弘氏の遺族が申し立てた、いわゆる日野町事件第2次再審請求について、2018年(平成30年)7月11日に大津地方裁判所において出された再審開始決定(以下「原決定」という。)を維持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をした(以下「本決定」という。)。

 本決定は、正当な判断をしたものであり、高く評価できる。

 日野町事件は、1984年(昭和59年)12月、滋賀県蒲生郡日野町の酒店で発生した強盗殺人事件であり、同酒店の常連客であった亡阪原氏が事件発生から3年以上が経過した1988年(昭和63年)3月に、連日の長時間にわたる厳しい取調べを受けた結果、自白し、逮捕、起訴された。その後、亡阪原氏は自白を撤回し、公判以降は一貫して否認して争い、無実を訴えてきた。

 しかし、2000年(平成12年)9月27日、上告棄却により無期懲役判決が確定した。

 本確定判決においては、直接の物的証拠がなく、状況証拠も亡阪原氏と犯人を結び付けるものではなく、任意性と信用性に疑問のある自白調書が有罪立証の中心的証拠とされた。しかし、同判断は「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に反し、到底容認できるものではなかった。

 その後、亡阪原氏は、冤罪を晴らすため再審を請求し、第1次再審請求審決定(2006年(平成18年)3月27日大津地方裁判所)は、証拠開示等により多数の新証拠が提出されたにもかかわらず、不当にも再審請求を棄却した。その即時抗告審係属中の2011年(平成23年)3月18日、阪原氏が病に倒れ、道半ばで帰らぬ人となり、手続は一旦終了した。

 しかし、2012年(平成24年)3月30日、亡阪原氏の遺族が第2次再審請求を申し立て、2018年(平成30年)7月11日、大津地方裁判所は、第1次再審請求審決定とは異なり、再審開始を決定した。これに対し、検察官が即時抗告を申し立て、大阪高等裁判所に係属していたところ、これに対し判断をしたのが本決定である。

 本件では、いずれもその前提として証拠開示が大きな役割を果たしている。まず、第1次再審請求審では、裁判長の勧告により、全ての送致書、証拠品目録等が開示され、証拠の一覧表が作成された。

 次に、第2次再審請求審でも、金庫発見場所や死体発見場所への引当捜査に関する写真とネガ、アリバイ捜査に関する捜査資料等、多くの重要証拠がようやくこの段になって開示された。

 原決定は、こうした証拠開示等により新たに提出された重要な証拠に関し、最高裁の白鳥・財田川決定が示した新旧全証拠の総合判断の手法を適切に行った結果、阪原氏が本件犯人であると認めるに足りる事情はないから、確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じるに至ったと言わざるを得ないとし、再審開始を決定した。

 そして、本決定においても「新旧証拠を総合して検討すると、確定判決等が事件本人の犯人性を認定する上で重視した死体発見場所の引当捜査の結果について、確定判決の事実認定はその主要な部分を維持することができず、これを前提とした判断も維持し難い。これらを総合すれば、事件本人を本件の犯人と認めた確定判決等の事実認定には合理的な疑いが生じており、前記の諸点について原審で取り調べられた各新証拠は、無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に当たると考えられる。無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠があらたに発見されたとして、刑訴法435条6号、448条1項により、事件本人について再審を開始した原決定の結論は正当であり、本件抗告は理由がない。」として本件抗告を棄却した。

 原決定及び本決定は、まさに白鳥・財田川決定が示した「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が、再審の判断にも適用されるべきとする判示に従ったものとして高く評価できる。

 本再審開始決定(原決定)後、検察官の即時抗告により、本決定がなされるまで既に4年7か月もの長い月日が経過している。亡阪原氏の冤罪を晴らし、名誉回復を図るためにも、本決定については、検察官が特別抗告をすることなく、一刻も早く再審公判が開かれることを強く切望する。

 当会は、日野町事件において大きな役割を果たした再審における証拠開示の重要性を改めて再認識し、早期に冤罪を晴らす途を確保するため、①再審請求事件における全面的証拠開示、②検察官の不服申立の禁止等を主とした再審法改正の実現を目指し、今後も一層の努力を続ける決意である。

 2023(令和5)年2月28日  

愛知県弁護士会       

会 長  蜂須賀 太 郎