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名古屋に市政資料館あり!

会報「SOPHIA」令和6年7月号より

会報編集委員会

名古屋市市政資料館は、昭和54年(1979年)まで実際に名古屋高等・地方裁判所として使用されていた建物の一部を、市民の集いの場となるよう会議や集会、展示のためのパブリック・スペースとして、名古屋市が平成元年(1989年)に整備・再生した施設です。名古屋高等・地方裁判所の移転から約45年が経過し、弁護士会内でも往年の姿を知る会員は少なくなりましたが、連続テレビ小説「虎に翼」のヒットにより、撮影場所として一躍その名を知られるようになりました。今回は愛知県内の法曹関係者にとっても馴染みの深い市政資料館を取材し、その魅力の一端をお伝えします。

 名古屋市市政資料館の建物は、大正11年(1922年)に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(以下、「名古屋控訴院」)の庁舎として建設されました。建設費用は、当時の金額で約90万円ということですが、これを現在の貨幣価値にすると約36億円になるようです。

当時、わが国の裁判所は、大審院・控訴院・地方裁判所及び区裁判所の組織形態をとり、大審院は東京に、控訴院は東京・大阪・仙台・広島・名古屋・函館(後に札幌に移転)・長崎(後に福岡に移転)の全国7箇所(後に高松を加えて8箇所となる)に設置されました。

控訴院の庁舎は、長崎控訴院が明治10年(1877年)竣工の木造建物を転用した一方で、名古屋・札幌控訴院は総煉瓦造りとなっており、その構造・様式・規模は様々でした。

全国8箇所の控訴院庁舎のうち、現在も残っているのは札幌と名古屋の2箇所のみであり、現存する中ではわが国最古の控訴院庁舎として、戦前の裁判所の雰囲気を味わうことのできる貴重な施設となっています。

(建物の正面の車寄せの上部には、公正な裁判を意味する神鏡と神剣を組み合わせた装飾が取り付けられています)

 名古屋控訴院は、幸いにして太平洋戦争の空襲による被害を免れ、戦後も昭和54年(1979年)に至るまで、名古屋高等・地方裁判所の庁舎として使用されました。

庁舎の移転後は、所有者である国の意向により取り壊される方向で検討が進められました。

しかし、市民から名古屋の貴重な文化遺産として残してほしいとの声があがり、名古屋市が国(文化庁)や県の補助を受けて建物の保存・復原修理の工事を行った上で、平成元年(1989年)に「名古屋市市政資料館」としてオープンしました。

 市政資料館は、国の重要文化財として保存・公開されると共に、名古屋市の公文書館としての機能も有しており、その他、市民の集会、勉強会、結婚式会場、結婚式等の前撮り(会報子もお世話になりました)、ドラマの撮影場所等といった幅広い用途に利用されています。

4 市政資料館(名古屋控訴院庁舎)の見どころ

市政資料館の外観部分、中央階段室、三階復原会議室は、昭和59年(1984年)に重要文化財としての指定を受けました。文化財指定を受けた理由と重なりますが、建物をご覧いただく際に特に注目すべきポイントを紹介します。

(1)現存する最古の控訴院建築であること

前述のとおり、戦前に建築された控訴院庁舎は、後に設置された高松を含めて全国8箇所ありましたが、名古屋と札幌を除き、戦禍や戦後の取壊し等によって、全て失われました。

そして、札幌の庁舎は大正15年(1926年)に建築されているため、現存する控訴院庁舎の中では、大正11年(1922年)に建てられた名古屋控訴院庁舎が最も古い施設となっています。

(2)煉瓦造りとしては、わが国最後の大規模な近代建築であること

明治から大正時代にかけては、建築に煉瓦が多く使われていました。それは、煉瓦が頑丈で燃えない素材であると共に、煉瓦を用いた西洋的なデザインが、文明開化に象徴される当時のニーズに合致していたからです。

かし、名古屋控訴院が建築された翌年の大正12年(1923年)に関東大震災が発生し、煉瓦造りの建物が大きな被害を受けたことで、それ以降、大規模な建物に煉瓦が使われることはなくなりました。

そのため、名古屋控訴院は、大規模な近代建築としては、日本で最後の煉瓦造り建物であると言われています。

なお、中庭の煉瓦には、当時の刑務所の受刑者が焼いたものが多くみられ、それがそのまま残っています。

(3)外観と中央階段室、三階復原会議室が19世紀のネオ・バロック様式を今日に伝える優れた意匠となっていること

ネオ・バロック様式は、19世紀半ば、フランス・ナポレオン三世の第二帝政において始まったもので、左右対称の外観や、豪華絢爛な装飾が特徴です。

わが国でのネオ・バロック様式を実現した著名な建築物としては、迎賓館赤坂離宮が挙げられますが、名古屋控訴院庁舎の外観や中央階段室、三階復原会議室も、この様式を今日に伝える優れた意匠となっています。

まず、建物の外観をみると、正面中央にあるネオ・バロック様式特有のドームをいただく塔屋が目を引きます。意匠的には、この塔屋と車寄せで中央を強調し、パラペット(屋上やベランダ等の端部に設けられた低い手すり壁)、妻飾り(屋根の端に用いる装飾)と急斜面の高い屋根で両端を引き締めた、左右対称の構成となっています。

そして、赤い煉瓦と白の花崗岩のコントラストが映える外壁と、ドーム・上屋の緑の銅板、屋根に葺いてある黒い板(粘板岩に分類される薄くはがれる性質をもった、スレートと呼ばれる石材で、このスレートは「雄勝すずり(おがつすずり)」という有名な硯の産地である宮城県石巻市で産出された石です)との組み合わせが、華やかさの中に落ち着きも備えた景観を醸し出しています。

大都市の中心部付近で、こうした安らぎの景観を堪能することができるのは、全国的にみても稀であることに疑いの余地はありません。

正面から建物の中に入ると、眼前に広がるのは市政資料館の一番の見どころと言ってもよい中央階段室です。室内は階段を起点として左右対称の造りになっており、2階から3階にかけては吹き抜けの構造になっています。3階には吹き抜け部分を囲むようにして、茶色と黄色のツートンの化粧柱がずらりと並ぶ回廊が広がっています。

階段の手すりに使用されている大理石は、名古屋控訴院の創建当時に美濃赤坂(岐阜県大垣市)で採掘されたものとのことです(フズリナ等の化石を見ることもできます)。100年以上の年月を経ているという歴史的価値に加え、現在では入手が不可能という点でも非常に価値の高い装飾です。

ちなみに、連続テレビ小説「虎に翼」の主人公・猪爪寅子のモデルであり、日本史上初の女性法曹(の一人)で後に名古屋地方裁判所判事も務めた三淵嘉子さんも、裁判官時代はこの中央階段を日常的に利用されていました。

写真の前列右から3番目に映っているのが、三淵嘉子さんです。現在もご存命の元職員の方のご記憶によれば、皆さん最初は硬い表情でしたが、居合わせた関係者のお一人が場の空気を和らげ、良い表情が撮れたとのことでした。

この写真の撮影当時は、未だ戦禍の影響が色濃く残る時代であったかと思いますが、どの方も「これからの日本の司法を支えていくのは私達だ」という気概と希望に満ち溢れた表情をされていると感じました。

この三階にある部屋は、創建時名古屋控訴院の会議室として設置され、長い年月の中で幾度か内装が変更されましたが、市政資料館のオープン時に、残された文献や当時の写真、聞き取り調査等を手掛かりとして当初の姿に復原されました。

内装に用いられている合板は、アサノ式ベニヤでラワン薄板を3層に貼り合わせ、表面は玉杢(たまもく)のカエデを使用した、合板としては日本における初期のものとのことです。壁・天井とも漆喰塗りの上に紙貼り仕上げとしたもので、天井は折上げとし中央部を一段高くして装飾を施し、シャンデリアを吊しています。

床に敷かれている花柄模様の絨毯は、中国・天津で織られた天津緞通(てんしんだんつう)という手織りの一枚織であり、入手に要した費用は、平成元年の時点で何と3000万円に達したとのこと。現在では入手困難な絨毯の上に立って、かつてここで交わされたやり取りに思いを馳せるのも一興です。

(4)ステンドグラスや漆喰塗り、マーブル塗り等高度な技術が残されていること

中央階段室の正面奥と天井にはめられているステンドグラスは、「和製ステンドグラスの祖」と呼ばれる宇野澤辰雄氏の系列工房により作製された可能性があり、いずれも名古屋控訴院の建築当初から存在する、意匠的にも歴史的にも非常に価値の高い装飾です。

中央階段を登り切った先にあるステンドグラスは、よく見ると、中心の左右に、色の違う玉が二つ、天秤の上に載っているのが分かります。これは罪と罰を表しています。「罪を犯せば罰が与えられる」ということから、公平な裁判が行われることを示しています。

さらに吹き抜けとなっている天井を見上げるともう一つのステンドグラスがあります。こちらには公明正大を表す日輪(太陽)が描かれています。当時の社会の司法制度に対する強い期待を感じます。

中央階段室の階段両脇にある黒い柱の下半分は大理石で作られていますが、上半分はマーブル塗りという色を付けた漆喰で大理石に似せて作られています。

当時建設費が高騰する中で、高度な技術により費用を抑制しつつ荘重な雰囲気を醸し出す意図がありました。知らないと見落としてしまいそうですが、職人の技術の結晶として非常に価値の高い装飾です。

正面奥のステンドグラス下部にあるマーブル塗りも創建時からのものであり、地味ではありますが最も注目すべきポイントの1つです。

その他、中央階段室には、創建された当時の製法に由来する、揺らぎの見えるガラスが一部に残っているほか、現在は希少となっている結霜(けっそう)ガラスも用いられており、ガラス好きの方にとっては必見です。

(5)司法に関する資料が展示されていること

館内では明治憲法下の法廷と現行憲法下の法廷、陪審法廷が再現されています。戦前の法廷では、裁判官と検察官が同じ高さの席に座り、弁護人や被告人を見下ろすような造りになっていました。いわゆる糾問主義の思想に基づくレイアウトです。

(戦前の法廷を再現した一室です。なお、左側の掛け時計は、「名古屋」にちなみ7時58分に設定されているとのことです)


(元弁護士の方が提供した、戦前の弁護士の法服の実物です。現存する法服の実物は少なく、館内でも人気の展示となっています)

また、戦前の判決の写しが展示されており、そこには「天皇の名において」と朱書きされていて、現在の裁判所との大きな違いを感じることができます。なお、戦前は、建物にも「菊の紋」が飾られていたそうですが、戦後に取り外され、跡だけが残っています。

さらには、有名な宇奈月温泉事件控訴審判決の写しや名古屋城の金の鯱の鱗を剥がして換金しようとした名古屋城金シャチ盗難事件の判決の写し等、我々弁護士にとっては特に興味深い資料が展示されています。

(昭和9年7月31日に富山地方裁判所で言い渡された、宇奈月温泉事件控訴審判決書正本の複製です)

5 終わりに

名古屋市市政資料館は、重要文化財としての名古屋控訴院庁舎を保存・公開するだけでなく、それを市民の集いの場として会議や集会、作品展示等といった様々な文化活動の利用に供しているという点でも特徴があります。また、連続テレビ小説「虎に翼」をはじめとする、各種テレビドラマや映画の舞台となっていることも見逃せません。

さらに、館内では先ほどご紹介した司法制度に関する資料のほか、過去に存在した近代建築の模型や、明治期から戦後昭和期までの名古屋市の歩みに関する資料が展示されています。

名古屋市市政資料館の存在をご存知の方も、知らなかった方も、この機会に是非訪問(再訪)されてはいかがでしょうか。