会報「SOPHIA」 平成30年9月号より

会 員 多  田   元

 国連子どもの権利条約は2019年11月20日で30周年を迎える。わが国は1994年にやっと批准して来年25周年になる。子どもの権利条約は、国連総会で1959年11月20日採択された「子どもの権利に関する宣言」の30周年を期して1989年11月20日に成立した。子どもの権利宣言は世界に拡大した戦争が子どもたちに最大の被害をもたらしたことへの反省から作られたが、その30年後の子どもの権利条約は、意見表明権(12条)をはじめ、子どもが自らの権利を使うことができること(権利行使の主体)を認める子ども観に基づき、子どもが単なる保護の対象ではなく、社会の一員として社会に参加する権利を保障する。  

 子どもの権利条約の30年間、わが国の子どもたちをめぐる状況はどうであろうか。昨年度の厚労省の自殺対策白書によれば、15才から34才の若い世代の人口10万人あたりの自殺率は17.8と先進国で断然トップ、しかも自殺がそれ以外の死因より多い唯一の国である。また、内閣府が2015年に過去42年間の18才以下の自殺者数を1年間の日別で集計したグラフでは、9月1日の自殺が131人と明確なピークを示しており、学校生活の圧力が子どもの自殺に関連している危機的状況を明白にしている。これは、子どもの権利条約6条の子どもの生存と発達の固有の権利の保障に反している。「固有の(inherent)権利」は、もとから有るという意味のほかに「そのものだけに有る」という意味を含み、その生き方や成長発達はそれぞれ「ちがっていい」ことを意味していると言える。わが国の子どもたちが本当の意味で「あるがままの自分らしさ」やその生き方を尊重されていると言えるのか、自分らしい学びを権利として認められているのかが真剣に問われなければならないと思う。  

 学校を中心とする子どもたちのいじめは、1985年、校内暴力の鎮圧に続いて社会問題化し、以後今日に至るまで広がり続けている。その背景にある学校の変容は、1975年ころから増加し続けている子どもたちの学校離れとしての不登校をもたらした。いま、ようやく「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が成立し、その1条において子どもの権利条約を引用し、不登校の子どもが選ぶ学習の支援を認め(3条)、文科省は基本指針に「不登校を問題視しない」「登校のみを目標としない自立支援の目的」を明記するという不登校の肯定的理解へ変化を示している。変容する学校に対し「学校へんよう」と異議申立をした多数の子どもたちのパワーと、子どものパートナーとして、子どもの居場所作りなどの支援をしたおとなの活動がその潮流の変化をもたらしたものと思う。  私は1989年、子どもを支援するパートナーを志して弁護士登録をした。当時は少年事件附添人は0.06%だったが、現在は身柄事件のほとんどに附添人がつく状態にまでなった。  

 2006年、虐待等で家庭を失った子どもに自立支援のシェルターと自立援助ホームを提供する子どもセンターパオの創立にかかわったが、弁護士らを中心とする同様の活動は全国17箇所に広がっている。先日、私がパオで出会い、パートナー弁護士を担当した当時14才の女性の結婚式に招かれ、思いがけず花嫁に手をひかれてバージンロードを歩く幸せをいただいた。バージンロードは花嫁がこれまで生きた道を象徴するものというが、彼女の苦難の思春期の思い出を噛みしめ共に歩んだ。  

 来年のことを言うと鬼が笑うが、子どもの権利条約30周年以後はどんな発展があるのだろうか。子どものパートナーの歩みを不器用でも自分らしく続けたいと願っている。