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~夫婦別姓問題と私の弁護士人生~ ~二宮純子会員(19期)~

連載 弁護士探訪(7) 少数者の人権を支えたい
~夫婦別姓問題と私の弁護士人生~ ~二宮純子会員(19期)~

会報編集委員会

 大好評の連載「弁護士探訪」、今回は二宮純子会員(19期)にお話を伺ってきました!弁護士探訪1.jpg
 二宮会員は、30年以上にわたり、選択的夫婦別姓の問題をはじめとする様々な人権問題に取り組まれてきました。81歳になられた現在でも活動を継続されています。人権問題に長年取り組むこととなった二宮会員の熱意の原点等、多くのお話をお伺いすることができました。二宮会員のご経験は、我々会員にとっても、きっと今後の弁護士業務に向けてのヒントとなると思っています。
 興味深いお話の数々をぜひお楽しみください!

■法曹を志したきっかけを教えてください。

 私の高校時代は、安保闘争の真っ盛りで私も大学に入ったら学生運動に参加するものだと思っていました。実際に大学に入学してから学生運動にも関与しましたが、私自身が政治的な対立の当事者そのものになるのではなく、むしろそのような当事者の背後にいて当事者の助けになる立場の方が向いていると感じ、弁護士になりたいと思うようになりました。そこで、大学3年生のときに、それまでいろいろな分野(合唱部、バトミントン部、社会主義研究会等)に気が多かったものをすべてやめて、司法試験だけに打ち込むようになり、運良く4年生の時に合格することができました。

■弁護士になった当初のお話をお聞かせください。

 私は、労働者の方々をサポートする労働弁護士になりたいと思っていましたが、当時は、労働者側で案件を扱う大きな事務所というものはなく、労働弁護士として雇ってくれるところはありませんでした。でも、どうしても労働弁護士として業務を行いたいという思いから、安藤巌先生等労働案件を多く扱われていた先生方にご相談し、別々に事務所を構えていた4名の弁護士をいわゆる親弁として各弁護士から月額1万円ずつお給料をいただいて、自宅で事務所を開設し弁護士業務を開始しました。その4人の先生からご依頼いただいた案件に対応したり、自分で案件を見つけるなどして労働案件を中心に業務を行っていました。また、若い頃には、イタイイタイ病訴訟の弁護団にも入り、事件への取り組み方等以後の弁護士業務を行う上で非常に良い経験をさせていただきました。

■弁護士になった当初から社会的弱者の人権を守りたいというお気持ちが強かったのですね!二宮会員は夫婦別姓の問題に長らく携わられているとお伺いしていますが、夫婦別姓に取り組むこととなったきっかけを教えてください。

 私の父の姉にあたる伯母の夫婦には子どもがいなかったため、私は家名を継ぐことを期待されて10歳で伯母夫婦の養女になりました。その後、私は、裁判官であった方(夫)と結婚をすることとなりましたが、その際に、どちらの姓を名乗るかということが問題になりました。夫の父は夫が姓を変更することに大反対でした。私は姓が変わることに夫側より抵抗が少なかったので、姓を変えることにしようとしたら、当時亡くなっていた養父の弟に反対をされ、結婚式にも出ないという話になりました。そのため、私たち夫婦に子どもが生まれたら、その子と伯母を養子縁組をして私の旧姓を名乗らせると叔父に約束してようやく結婚式に出てもらいました。その後、二人の子を授かりましたが、昭和59年頃に伯母が病気になり、余命幾ばくかという事態になった時に、伯母の夫(養父)側の親戚から養子縁組はどうするんだと言われてしまいました。私は、当時小学5年生だった娘を養子にすることを考えましたが、裁判官である夫に、養子制度は子の福祉のためにあるという極めて正当な理由で反対されてしまい、結果的に養子縁組は行いませんでした。養母が亡くなった後、今度は、養父側の親戚から私に、姓が変わっているのに財産や墓を引き継ぐのかと言われ、親戚とも縁を切られて辛い思いをしました。
 私としては、家名を継ぐことへのこだわりがそれほどあったわけではありませんが、私が男性だったらこのような問題は起きなかったのではないかと感じました。このように、姓の選び方について男女差別があると強く思ったのが、夫婦別姓の問題に取り組むこととなったきっかけです。
 ちなみに、夫が裁判官で、転勤がある仕事でしたので、一緒に生活するために、結婚を機にいったん弁護士をやめました。結婚するとき、夫に「私が望めば5年後に裁判官を辞めて一緒に弁護士になる」という念書を書いてもらっていましたが、さすがにそれを守り通せとは言えず、結局、結婚してから9年後、夫が岐阜地方裁判所の多治見支部長になったとき、私だけが名古屋弁護士会に再登録して弁護士に復帰しました。

■ご自身の生い立ちが関係をしていたのですね。その後はどのように取組を開始されたのでしょうか。

 夫婦別姓の問題に関心を持ったその頃、夫婦別姓問題に取り組まれていた榊原富士子先生らが実施されていた夫婦別姓に関するアンケートが届いたのを見て、榊原先生らの活動を知り、ああ、これこそ私が取り組むべき問題だと思った記憶があります。その後榊原先生に連絡し情報交換等をさせていただくようになりました。当会でも、当時、人権擁護委員会内に設置されていた女権部会でこの問題を提起し、部会として諸外国の姓についての制度を調査し報告するなどの活動を行っていました。

■現在の両性の平等に関する委員会の前身である女権部会で活動をされていたのですね。その後、具体的にどのような取組を行ってこられたのでしょうか。

 昭和63年に夫婦別姓に関するシンポジウムを当会で行った際、夫婦別姓に関心のある一般の方を募ってパネリストになっていただきました。そのときに、ジャーナリスト、医師、大学の先生や主婦の方等幅広い方々が夫婦別姓に関心を持っていることがわかり、その方々と一緒に、「夫婦別姓選択制の実現をめざす-あいち別姓の会」を立ち上げました。

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(↑あいち別姓の会ニュース創刊号)

 なぜ、会の名称に「あいち」を付したかというと、このような団体が、他の地域にもできてほしいという思いからでした。実際に、その後、岐阜や三重にも別姓の会が立ち上がりました。

■弁護士の中だけでなく、一般の方と一緒に活動をされていたのですね。あいち別姓の会ではどのような活動をされていたのですか。

 当時、夫婦は同姓であるのが当然という風潮があって、夫婦別姓についての問題意識は世の中に広まっていませんでした。そこで、一般の方にその問題意識を持っていただく活動を行うのが大事であると考えました。具体的には、名古屋テレビ塔の下で夫婦別姓に関する寸劇イベントを行ったり、「お嫁サンバ」ならぬ「別姓サンバ」という歌を作り、独自の振り付けをして、歌に合わせて踊ったり、青年会議所主催のイベントや、大学の学園祭、自民党の県連大会等で、夫婦別姓の風船やビラ配りを行ったりしました。署名運動をして国会に提出をしたこともあります。このような活動が注目され、マスコミから取材も受け、講演もしました。
 このように、私達の活動は、夫婦別姓の問題を世の中に認識してもらえることにつながったかなと思っています。

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(↑名古屋テレビ塔下でのイベントの様子)

 また、当会の中でも活動を続け、平成2年11月には、当会として「選択的夫婦別氏採用に関する意見書」の提出に至りました。

■まさに体を張って様々な活動をされてきたことに大変頭が下がります。その後、平成9年には選択的夫婦別姓に関する法務省改正案が公表され法改正の機運が高まりました。この点について、お感じになられていたことはありますか。

 法務省改正案は婚姻届の届出時にあらかじめ子の姓を決めて届け出ることとされていますが、この点については私は反対でした。子が生まれるたびにその時点で両親が子の姓を決めればよく、また、子が大きくなって姓を変えたいということであれば変えられるような制度が望ましいと考えています。
 また、この改正案が出された当時、国会で揉めており法案の成立は難しいという話も聞いていましたが、法制審議会が答申した法案は通らないということはあまりなく法案の成立を期待していました。しかし、結果的に政府から法案が国会に提出されず、法案は成立しませんでした。その後、30年近く経った現在に至るまでこの法案は成立していませんが、当時、まさかこの法案がこれほど長年にわたり成立しないとは想像はしていませんでした。
 最近では別姓の通称使用を拡大させることで対処すればいいではないかという意見まで一部の議員から出ているようですが、問題の本質を理解していないと思います。本来の夫婦別姓の議論が誤った方向にいかないか危惧しています。

■司法の場においても、いくつかの夫婦別姓訴訟が提起され司法の判断が出されています。この点についてはいかがでしょうか。

 夫婦別姓訴訟に関しては、平成27年12月16日に有名な最高裁大法廷判決が出されました。結論として、大法廷は民法750条の夫婦同氏制を合憲としました。この大法廷判決は、氏は家族の呼称としての意義があるとしていますが、そもそも家族の定義ははっきりしていませんし、家族の在り方が多様化している中ではあまり説得力があるようには感じていません。他方で、この大法廷判決においては、15名中5名の裁判官が違憲の意見を出しており、この点については率直に嬉しい思いもありました。
 その後の別の夫婦別姓訴訟に関する最高裁大法廷の判断を含め、最終的な違憲判断は得られていないものの、これまで合計10名の最高裁判事が違憲意見を述べています。このことだけでも、夫婦別姓訴訟に尽力されてきた方々の貢献は大変なものだと私は思っています。
 今後も夫婦別姓訴訟は続いていくと思いますので、私も可能な限り傍聴に行くなどして弁護団の活動を応援していきたいと思っています。

■夫婦別姓問題に関する現在の取組や今後の予定を教えてください。

 あいち別姓の会は、多い時には200名を超える会員がいましたが、長い期間の中で亡くなられたり、夫婦別姓の問題意識が社会に認知されてきたとして退会される方もあり、現在は100名程度です。あいち別姓の会では、隔月で例会を開催し、例会を開催しない月にはニュースを発行するという活動をしてきましたが、新しいテーマが減ってきたことに伴い年々参加者も少なくなってきたことから、現在は、例会は中断し、3か月に一度ニュースを出し、会員交流会を行うという活動に縮小しています。私は現在も代表世話人という肩書でこの会の代表的な役割を引き受けておりますが、若い方に代表者になっていただき会を活性化してもらえたら良いなと強く願っています。私も健康が続く限り頑張りたいと思っています。

■夫婦別姓問題のほかに取り組まれてきた活動がありましたら教えてください。

 平成8年に法制審議会が答申した民法改正案で、離婚事由に「夫婦が五年以上継続して婚姻の本旨に反する別居をしているとき」を加える法案が提案されました。私は、この提案に対しては、一方的に男性に家を出ていかれて一定期間が経過すれば離婚を余儀なくさせられる女性にとって極めて不利益が大きいものであり、反対の考えでしたので、同じ意見を持つ方々と一緒に、この改正案に反対する会をつくりました。この会には、夫に見捨てられた女性が集まるようになり、少しでもこのような方々の精神的な支えになればと思い、この改正案が成立する見通しが少なくなってからも、会を続けていました。もっとも、こちらの会も、長い年月が経ち、会員が少なくなってきたので、昨年、会の解散を決めました。10名程度が集った打ち上げ会は、危機を乗り越えた人達で明るいものでした。

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■これまでの弁護士人生で喜びを感じたことはありますか。

 妻が夫から暴力を受けて逃げようとしたけれど逃げられず、逆に妻が果物ナイフで夫を刺してしまったという事件の弁護を担当しました。当初接見した際、依頼者は弁護士を頼むつもりはないと話していましたが、事件の状況を聴き、正当防衛が認められる可能性もあるから一緒に頑張りましょうと励まし弁護活動を行いました。結果として、正当防衛は認められませんでしたが、過剰防衛が認められ、刑が免除されました。依頼者はすぐに釈放され、その後も真面目に働いて幸せな人生を送っておられます。

■二宮会員のエピソードをお聞きして、夫婦別姓問題以外にも様々な形で女性の立場を支援されてきたことがよく分かりました。最後に、当会の後輩達へのメッセージをお願いします。

 現在は、ウクライナの戦争や、パレスチナでの紛争など悲惨な事件が世界で起きています。人権侵害の最たるものは戦争であり、そのことを弁護士の方々には十分に認識してもらい、自分たちに何ができるか、日本が戦争をしなくて済むにはどうしたら良いのかを考えていってほしいと思います。

 二宮会員のお話をお聞きし、夫婦別姓の問題だけでなく、弁護士の役割は少数者の基本的人権を守ることであるという信念を持ってこれまで弁護士業務に取り組まれてきたことを肌で感じることができました。弁護士の存在意義や本分を改めて考えさせていただく良い機会になりました。二宮会員、ありがとうございました!