愛知県弁護士会トップページ> 愛知県弁護士会とは > ライブラリー > 連載 弁護士探訪(3) 医療事件への道のり~ロゴスは力~ ~増田聖子会員(42期)~

連載 弁護士探訪(3) 医療事件への道のり~ロゴスは力~ ~増田聖子会員(42期)~

会報編集委員会

 2022年8月号より始まった新連載「弁護士探訪」(会報子が当会の魅力ある会員のお話を聞いてきて皆様にお届けするシリーズ)の第3弾は、増田聖子会員です!増田会員は、患者側の医療事件を多く手掛けていることで知られていますが、医療事件という難しい領域になぜ挑もうと思ったのか、その軌跡を追ってみました。この記事を読んで、医療事件をやってみたいと思ったら、是非増田会員に連絡してください!

■まずは法曹を志したきっかけを教えてください。

 私が子どもの頃は、結婚して専業主婦になる女性が多い時代でしたが、私は社会で働きたいと思っていました。女性が働くためには資格が必要だと思い、その中で漠然と興味があったのが法曹という仕事でした。小学校の頃に四大公害訴訟が盛んに報道されていて、その新聞記事をスクラップしたり、小学校6年生のときに「自由と平等の権利」というタイトルで作文を書いていたので、当時から法曹という仕事に関心があったのかなと思います。
 ただ、弁護士になりたいと思っていたわけではありませんでした。
 大学4年生のときに友達が裁判所職員試験を受けるために願書を取りに行くというのでついていったら、担当の方が私も受験すると思って願書をくれました。当初は裁判所職員試験を受けるつもりはなかったのですが、司法試験を受ける女性の友人がおらず不安であったこと、また心配する親への言い訳もあって受けてみたら、運良く合格してしまいました。合格して採用の連絡があったとき、裁判所に就職するかは大変悩みました。大学のゼミの濱田道代先生に相談したら、次の司法試験で受かるから就職するのは止めなさいと仰いました。でも、父親は国家公務員であったためか、裁判所で働くことを強く勧めてきました。就職せずに大学に残って勉強したい気持ちはありましたが、合格率は大変低い時代で、今思えば申し訳ないのですが、濱田先生の見通しを受け入れられず、裁判所に事務官として就職することにしたのです。

増田先生①.JPG
 就職した名古屋家庭裁判所では、多くの素敵な方に出会い楽しかったです。裁判所で働いていくなら裁判所書記官になろうと思い、試験を受け、次の年に書記官研修所に行き(Ⅰ部36期)、翌年2月に、裁判所書記官になりました。このまま裁判所書記官を続けようと思った反面、一度、目指した司法試験への挑戦が中途半端で終わっているとも感じていたので、今年を最後にして区切りにしようと思い、裁判所書記官になった直後の司法試験を受験したところ、その試験で合格しました。
 3年間は裁判所書記官に専念するという誓約をしていましたので、先輩方に相談して、あと1年裁判所書記官を務めその後に司法修習に行きました。したがって、41期の年に合格しましたが、司法修習は42期になりました。
 こうして、結局4年、裁判所に勤めました。社会経験がなく、大人になりきっていなかった私にとっては、とても重要なかけがえのない4年でした。また、裁判所で出会った多くの裁判官に憧れ、任官したいと思って修習に行きました。

■任官希望だったにもかかわらず、弁護士になったのはなぜでしょうか。修習中に何かきっかけがあったのでしょうか。

 4月に研修所に入所すると、教室で私の席の隣の隣に「増田さん」1という司法修習生がいて、なぜか、寮への帰り路によく一緒になりました。増田さんは私より10歳くらい年上で、てっきり妻子持ちだと思っていたので、同じ年頃の男性だと緊張するのですが、まったく警戒心なく気軽におしゃべりしていました。しばらくして、同じクラスの女性が「増田さんって独身だよ」と教えてくれ、衝撃を受けました。あれっと思っているうちに6月には結婚するという話になっていました(笑)。
 しかし、増田さんは弁護士希望でした。私が任官すると同居は難しくなります。当時は結婚するなら一緒に生活する形がいいと思っていたので、修習の終わりの頃まで、大変悩みました。結局、任官をやめて弁護士になりました。このような経緯で弁護士になったので、弁護士になったとき、弁護士としてこれをやりたいというビジョンは持てないままでした。

■そうすると医療事件に興味を持ったのは弁護士として働き始めてからということでしょうか。

 最初に医療事件を見たのは、岐阜での弁護修習中です。一審で敗訴した医療事件の控訴審の準備書面を起案したのが最初だったと思います。修習のとき、医療事件のスペシャリストの1人である加藤良夫先生の講義を受けました。しかし、このときはまだ任官希望だったので、医療事件はここまで極めないとできないのかと思った程度で、まだやりたいという気持ちはありませんでした。
 私が就職したのは一般事件を扱っている事務所で、医療事件が多い事務所ではありませんでしたが、たまたま医療事件を担当することになりました。うまく解決することができましたが、もっと勉強しないとダメなんじゃないかと思い、医療過誤問題研究会(後述)に入りました。ただ、この当時はまだ医療事件は色々な事件の一つという程度で、自分としてはどういう弁護士になって、何をしていきたいのか模索している状態でした。

■今は医療事件に特化されている増田会員にも弁護士像を模索している時代があったんですね。

 医療事件に特化する道を開いていった事件が、医療過誤問題研究会で最初に担当した事件です。
 この事件は、お母さんが胆石を取る手術を受けたところ、手術が長引いた末、意識不明で手術室から戻り、ほどなく亡くなられたという事件でした。息子さんが医師に理由を聞いても、手術は恐ろしいものだからとしか説明されず、死亡診断書にも「心不全」としか書かれていませんでした。お話をきいた当時の私も、手術は恐ろしいからこんなこともあるのかなぁと思っていました。息子さんが相談に来たのも事件から随分時間が経ってからで、こんなこと弁護士さんに相談するような案件じゃないよね、でも、どうして死んだのかなあと思えてならないから、とお話しされていました。
 一緒に担当してもらっていた鈴村昌人先生が「これは証拠保全して、カルテを検討しなければいけない」と言われました。

増田先生②.jpg
 しかし、カルテを入手しても、カルテは手書きで、日本語交じりの英語とドイツ語と記号で書かれていて、当時の私には全然わかりませんでした。鈴村先生の指導のもと、なんとかカルテを整理し、医師の意見を聞きにいかないとダメだと言うので、第三者の医師から意見をうかがったところ、麻酔中に笑気ガスと酸素ガスを取り間違えた麻酔事故だと言われました。衝撃でした。
 これを踏まえて、病院に対し、示談を申し入れたところ、おそらく病院も自覚していたのだろうかと思いますが、早期に和解ができ、示談金が支払われ、再発防止の実施も約束してくれました。
 まさに、ビギナーズラックでした。息子さんが相談して弁護士が介入しなかったら、こんな解決はできませんでした。息子さんには、どうして死亡したかの経緯がわかってもやもやが解消し、母の良い供養になりましたと喜んでもらえました。何より再発防止策を取ってもらえることで、同じような事故の防止になりました。私は、今後の患者のためになることができたんじゃないかと、とても高揚感がありました。
 この事件がきっかけで、自分の道が少し見えた気がしました。こうやって社会の役に立てることができたら嬉しいなと率直に思いました。これが原点だと思います。
 また、平成5年2月に息子を出産しました。息子には、この子のためなら何でもできるという今まで抱いたことのない思いを抱きました。これが母親の気持ちなんだなあと思いました。そして、あるときふと、どの人にも必ずお母さんがいると思い至りました。どの人も、どの人も、とても大切な人だと強烈に思うようになりました。そういう命とか健康とかを支える仕事がしたいと思うようになり、患者側で医療事件をやりたいと強く思うようになりました。
 ただ、このときはまだイソ弁だったので、医療事件だけをやるわけにはいきませんでした。

■医療事件に特化するようになった経緯やきっかけを教えてください。

 弁護士になって5年目に増田さんと独立しました。イソ弁時代も、医療事件はじめ、商標権の事件をやって知財にも関心を持たせてもらえたり、自由に活動させいただいたので、ボスの高山光雄先生には本当に感謝しています。独立してからは、より医療事件をやるようになりました。医療事件以外の一般事件もやっていましたが、医療事件をやっているときの自分の熱意と他の事件をやっているときの熱意が違っていて、だんだん、一般事件の依頼者に申し訳ないと思うようになりました。また、事件がうまくいかないときに、一般事件を医療事件の言い訳に、医療事件を一般事件の言い訳にすることもあり、これではいけないと思うようになりました。
 そんななかで、平成12年3月の医療事件の判決のとき、その法廷で依頼者が駆け寄ってきて、涙を流しながら「ありがとうございました」と言って握手を求めてくれました。そのとき、もう一般事件は止めて、医療事件に特化しようと思いました。この事件が最後の一押しとなりました。当時は、一つの分野に特化する弁護士は大変少なかったです。増田さんにも仕事は好きなことだけやっていけるような甘いもんじゃないと言われましたが、最終的には私の意志を尊重してくれました。

■医学的な知識はどのようにして身に付けられたのでしょうか。

 医学的な知識は今も身につけていないです。コツコツと本を読んだり、医師に聞いたりしたことが、年を重ねると点がだんだん面になるように感じることはありますが、医学・医療は急速に発展していくので、あてになりません。弁護士なので、そもそも医師と同様の知見は持てませんし必要もないです。医学的な知識がないからといって、医療事件を躊躇する必要はないと思います。
 ただ、たとえば、産科医療補償制度原因分析委員会の部会員(後述)をしているため、いちいちごく基本的なことを質問すると会議が進まないことから、産科医、助産師向けの本や雑誌等は、定期的に読んではいます。他分野でも看護師や研修医向けの雑誌等は定期的に読んではいます。しかし、面白いから読んでいるだけで、知識が身についているとは思えません。

■これまでで印象に残った事件があったら教えてください。

 たくさんありますが、一つ挙げるとすると、先ほどお話しした名古屋地裁平成12年3月12日判決(判例時報1733号70頁)ですね。この事件は、まだ治験の法制度が整備されていない時代に、治験薬であることを患者に伝えず、大量に投与するなどして副作用で亡くなったという事件でした。
 この事件は、光石忠敬先生(第二東京)と加藤良夫先生と一緒に担当させていただきました。光石先生とは日弁連の人権擁護委員会医療部会に参加し始めた頃に知り合いました。
 この事件の起案は基本的に私がしました。訴状の最初の起案は産後間もない頃で、自宅で子育てをしながら作りました。要件事実はしっかり書いて、私なりにはできたと思いましたが、光石先生に跡形もなく直されました。ショックでした。しかし、光石先生に「ロゴスは力」、私達弁護士は言語だけで戦う、だから起案するときにどのような言語を選びどのように使うのかを考えなければならないと教えられました。このとき光石先生に教えていただいた精神は、常に教訓としており、今も、光石先生が見たら直されるのではないだろうかと考えながら起案しています。

■医療事件のやりがいはどんなところにあるのでしょうか。

 依頼者が心から喜んで、「先生に頼んで良かった」と言われるときです。適正な賠償を得られたときはもちろんですが、それだけではありません。
 医療事件の場合は、受任して直ぐ損害賠償請求することはありません。まずその対象となる事件かどうかを調査するところから始まります。調査した結果、損害賠償の対象にはならないと報告して終わることも多々あります。ある事件で、損害賠償の対象にはならないとの結論を依頼者に説明した後で、その依頼者から電話をもらいました。「夫のお墓の前から電話をしています。先生から聞いた話を夫にも説明しました。私も気持ちが落ち着いたし、夫も喜んでくれたと思います」と言われました。事実や経緯が確認できて、もやもやした気持ちから解放されるというのは、非常に大切なことだと思います。そうして、依頼者の方のお役に立てることは、大きなやりがいです。
 やっぱり医療事件をやっていて良かったと思えることはたくさんあります。

■医療事件の苦労するところはどんなところでしょうか。

 普通の事件だと自分の持っている常識と法的知識によってある程度の見通しが立ちますが、医療事件では、調査してみて初めて見通しがみえてきます。調査には必ず医学的な知見が必要になり、時間と手間がかかります。これが苦労するところではあります。けれども、知らないことを知る、分からないことが分かってくるというのはとても刺激的です。医療事件に限らず、特定分野の訴訟に共通するところかと思います。

■医療過誤問題研究会、医療事故情報センター、産科医療補償制度原因分析委員会等多くの団体に所属されていますが、どのような活動を行っているのでしょうか。

 医療過誤問題研究会は当会の会員により1977年に設立された団体ですが、これは医療事件の相談先が昔は少なかったので、相談先を提供することを第1の目的にしています。週に2回無料相談を行っています。また、相談者の担い手を育てるために研修等も行っています。若い弁護士が加入すると、数件は先輩と一緒に活動してもらうことになります。
 医療事故情報センターは、先ほどの医療過誤問題研究会が、個別の事件に対応するのに対して、全国組織であり、患者側で活動する弁護士が情報を共有してサポートしあう団体です。情報共有以外にも、制度改革の提言や、意見表明をしたり、年に1回シンポジウムを開催し、医療安全に対する情報発信をするなどの活動をしています。
 産科医療補償制度は、分娩に関連して重度の脳性麻痺になったお子さんに補償金が支払われる制度です。補償金の支払いと併せて脳性麻痺に至った原因分析を行い、再発防止を図る提言をして、産科医療の向上に役に立っています。私は、同制度の原因分析委員会の部会員をしています。私は部会員として、家族の立場でどうしてこうなってしまったのだろうという疑問を整理し、それを報告書に反映してもらうということが一番のお役目かなと思っています。会議では、意見が対立することや大激論になることもありますが、私なりに奮闘しています。

■当会や日弁連等でもご活躍と伺いましたが、どのような活動をされているのでしょうか。

 当会では、人権擁護委員会の医療部会で調査研究をしています。最初は、漠然とした興味で医療部会に入りましたが、続けられているのは、楽しくて面白いからです。この調査研究を全国レベルでやるのが日弁連です。
 日弁連の人権擁護委員会第4部会(医療と人権)では、過去には部会長を務め、現在も積極的に活動しています。最近では日弁連の「医療事故調査制度の改善を求める意見書」(2022年5月10日付)を同年9月に厚労省に持参して意見交換しました。この制度は、医療機関の管理者が報告しないと医療事故調査制度の対象にならず、同程度の規模でも複数報告している医療機関と全くしていない医療機関があるなど、課題も多々あります。

■大学で講義もされていると伺いましたが、どのようなことを学生に教えているのでしょうか。

 私は担当している医療事案を大きく2つに分けて考えています。一つは患者・遺族からの依頼を受け、調査して損害賠償請求をすること。もう一つは大学での講義、治験審査委員会、事故調査委員会等のように患者の人権、医療の安全に関わる仕事です。こちらも大きなウエイトを占めています。
 大学では、医学部の学生に医療事故と医療安全について講義しています。また、看護大学院では、医療・看護・介護に関わる倫理を教えています。看護大学院は、臨床経験のある看護職が学生なので、医療の安全や患者の権利について一緒に勉強でき、それをすぐに現場に持って帰って実践に生かしていただけるので、とてもやりがいがあります。

■座右の銘を教えてください。

増田先生③.jpg 「忠恕」です。自分に嘘をつかず誠実であること、人に対しても嘘をつかず誠実であることという意味と理解しています。
 医療事件を取り扱い始めたばかりの頃のことですが、ある事件で損害賠償の申し入れをしたところ、相手方医療機関の代理人であった河内尚明先生から、何を根拠にこのような申入れをしてきて、どうしてこの金額なのかと聞かれて、うまく答えられなかったことがありました。そのとき、生半可な通知書を出すんじゃない。医師がどんな気持ちで医療に携わっているのか分かるかと一喝されました。頭を殴られた気持ちがしました。まったくそのとおりだと思いました。今も戒めにしています。損害賠償の請求の申入書や訴状、準備書面を書くときには、十二分に検討し、同じように質問されても、キチンと根拠をもって答えられるように努めているつもりです。
 自分にも人も誠実であるために、周りの先輩、同僚、後輩から、怒られ、励まされて、成長していきたいと思っています。

■ストレス解消法や休日の過ごし方等を教えてください。

 仕事でそれほどストレスはありません。私は、すべての事件を複数名で受けていて、事件について他の弁護士と議論したり励まし合いながら進めているので、そのおかげかと思います。
 休日の過ごし方については、今まで、自分の時間をあまり取れませんでしたが、寺社仏閣巡りが好きで続けています。あと年に1回くらいずつ歌舞伎、落語、オペラ、相撲等を観に行きます。年に2、3回はバンテリンドームに野球も観に行きますが、私がドラゴンズファンで、「増田さん」が広島ファンなので、毎回広島戦です。なので、ドラゴンズが勝つと気まずい空気になります。

■これからの弁護士人生で挑戦してみたいことを教えてください。

 まずは、患者さんのため、医療安全のために、医療事件を担当できる弁護士を残していくことです。これまでに一緒に仕事をして、既に何人もそうなってくれた弁護士はいるのですが、さらに一人でも多く残していけたらなあと願っています。
 もう一つは、超高齢社会において、誰もが最後まで幸せに生きていけるようにお手伝いがしたいです。例えば、誤嚥窒息して死亡すると事故になるから究極的には食べさせなければいいとか、歩いてトイレに行くと事故になるからベッドに縛り付けておけばいいという発想になるとしたらそれは違うと思います。最後まで口から食べられることは人生の幸せにつながると思います。そのために医療者の方と一緒に、安全に口から食べることができるための支援のあり方を研究していますが、さらに研究を深めていきたいです。日弁連では、「自分らしく人生を全うするために~人生の最終段階の医療・介護の決定のあり方を考える」という連続シンポジウムを企画運営しています。いずれ提言に繋げることができたらいいなと思っています。

■最後に読者に向けてメッセージをください。

 医療事件に興味があれば是非声をかけてください。若いうちは何でも興味がある分野に手を出してみてください。合わなければ方向転換すればいいのです。一緒に医療事件をやりましょう。

 増田会員は終始にこやかにこれまでの軌跡をお話ししてくださいました。インタビューさせていただいた部屋の本棚はすべて医学書で埋まり、部屋にはⅩ線写真を写すディスプレイ機が置いてあるなど、圧倒されました。お話を聞くまでは医療事件はやはりハードルが高いと思いましたが、お話を聞いた後は、特別な知識や才能がなくても、やる気があれば挑戦できる分野かもしれないと思えてきました。それくらい増田会員のお話は魅力的で引き込まれていきました。
 本当に貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。