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こちら弁護士会 『共に生きる社会を目指して』

中部経済新聞2013年02月掲載
こちら弁護士会 『共に生きる社会を目指して』

~障がいのある人の雇用問題 、 変わる「障がいのある人の立場」
~合理的配慮,共に生きる~

障がいの捉え方の変化

 皆さんの職場には、障がいのある人が働いているでしょうか。車椅子の人、白杖を使っている人、手話を使っている人が働いているのを見たことはあるでしょうか。ほとんどの人は、「私の職場では見たことがない」と答えるのではないかと思います。これまで、多くの障がいのある人は障がいのない人とは区別され、例えば施設で共同生活を送っていたり、家族がサポートをしてほとんど家の中で生活していたりする状況にありました。このような障がいのある人の置かれた状態は、従前から日本で長く、当たり前のこと、として容認されてきた姿でした。これは、障がいのある人をいわば「保護の客体」として捉え、障がいのない人の生活圏とは区別して、障がいのある人の生活圏を構成しようとするものといえます。

しかし、今、このような障がいのある人の姿が変わろうとしています。そのきっかけとなったのは、平成18年に国連で「障害者権利条約」が採択されたことです。この条約では、障がいのある人も一人の個人として尊重されなければならないことが唱われています。すなわち、障がいのある人を「保護の客体」から「権利の主体」へと転換することが明確に宣言されているのです。権利の主体というと、何か大げさな感じに聞こえるかもしれませんが、一人の人間として、ごく当たり前のことを定めているにすぎません。平たく言えば、障がいのある人が障がいのない人と対等な立ち位置で社会で生活すること、つまり、障がいのない人と同じように社会の中で生活し、学び、働く、ということを意味します。そして、「障害者権利条約」では、その第19条において、障がいのある人が「社会の中で生活する権利」を有することが定められており、これは、障がいのない人の生活圏と、障がいのある人の生活圏とを区別せず、一致させようとするものなのです。

働く場所の確保に向けて

 障がいのある人が、障がいのない人と対等な立ち位置で社会の中で生活するためには、働く場所の確保が必要不可欠です。平成23年11月から平成24年7月にかけて、厚生労働省では、「障害者の雇用の促進等に関する法律」の改正の要否について検討する研究会が設置され、同法が様々な障がいのある人を雇用促進の対象とすることや、精神に障がいのある人を雇用義務の対象とすることなどの方向が示されました。法定雇用率も、従前の1.8%から2.0%へと移行することも公表されています。このような方向は、障がいのある人の「労働への権利」(「障害者権利条約」第27条1項)を保障する方向に沿おうとするものです。

 もちろん、事業主の中には、障がいのある人を雇用することについて、壁を感じる人も多いと思います。確かに、障がいのある人は、その障がいゆえに、どれだけ努力しても、自分一人の力ではできない部分を持っています。しかし、現在では、ノートパソコンを利用した様々な補助ソフトが開発されるようになっていますし、適切なサポートを受けることで、障がいのない人と共に働く職場が実現しているところも少なくありません。このような障がいのある人への配慮は、「障害者権利条約」においても「合理的配慮」と呼ばれ、職場においては、障がいのある人に対してこのような合理的配慮が提供されるべきであると定められています。もちろん、この「合理的配慮」は、事業主にとって「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」であることも定められています。実際、アメリカにおいては、事業主と雇用されている障がいのある人が、具体的にどのような「合理的配慮」が必要であり、その提供が事業主にとって「過度な負担」になるものか否かを話し合う場が持たれているのです。日本で言えば、「障害者就業・生活支援センター」(愛知県のホームページをご参照下さい。問合先・愛知県 産業労働部 労政担当局就業促進課・052-954-6367)などの地域における就労支援機関を仲介として、事業主に障がいのある人の障がいの特性に対する理解を促しつつ、障がいのある人とともに、必要とされる合理的配慮を話し合うといった具合です。

違いを認め合って生きる

 欧米では、多くの人種や様々な宗教を持つ人が混在して生活しています。そのような社会であるからこそ、それぞれがそれぞれの違いを認め合って生きるという文化が育っています。一方日本では、人と違うことが排除のきっかけになることが往々にしてあります。確かに障がいのある人は障がいのない人とは違います。しかし、適切なサポートがあれば、一人の個人として、社会の中で障がいのない人と同様に尊重されながら生きていくことができます。そのような社会こそが健全な社会と言えるのではないでしょうか。この文章が、障がいを背負いながらも、ひたむきに生きようとする人の雇用を考える一助となれば幸いに思います。