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連載 弁護士探訪(9)「過労死、過労自殺をなくしたい」 ~岩井羊一会員(47期)~

会報「SOPHIA」令和6年4月号より

会報編集委員会


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 大好評の連載「弁護士探訪」、今回は岩井羊一会員(47期)にお話を伺ってきました。
 岩井会員は、過労死弁護団全国連絡会議や過労死等防止対策推進全国センターの事務局次長として、労働災害事件、特に過労死事件に尽力してこられました。今回、過労死事件に注力するようになった出来事や、過労死防止への思いを伺ってきました。
 また、当会の副会長を務められたこともあり、日弁連の活動や当会の会務にもご尽力されていて、日弁連の活動や当会会務の重要性についても語っていただきました。
 興味深いお話の数々をぜひお楽しみください!

■法曹を志したきっかけを教えてください。

 もともと岡崎の出身で、京都大学に入学しました。入学時点では法曹を目指していませんでしたが、大学で障がい者施設にボランティアに行くサークルに入り、その活動を通じて社会問題を考えるようになったことや、先輩に弁護士や裁判官になった方がいたことに影響を受けました。また、当時、水俣病が裁判となっている時期で、サークル活動では、水俣病患者の支援活動にも少しですが携わりました。その中で水俣病患者側に関わっている弁護士が、弱い立場の方を支援している姿に感銘を受けて、司法試験の勉強を始めました。
 弱い立場の方の力になりたいという、法曹を目指した趣旨に合った名古屋南部法律事務所に入りました。現在は独立して自分の事務所で執務しています。

■主な業務内容を教えてください。

 受任事件の6~7割が労災案件で、過労死・過労自殺は3割程度、あとは刑事事件や労災以外の労働事件、民事事件、家事事件等です。刑事事件は重めの国選事件が回ってきます。

■労災事件や刑事事件の比重が大きいようですが、これらの分野に注力されるようになったきっかけを教えてください。

 事務所に入所したての頃は、民事事件、刑事事件や他の事件も幅広くやっていました。名古屋南部大気汚染公害訴訟の弁護団に入り、医学的な論点を担当したことも非常に良い経験になりました。
 労災事件は、当時南部事務所にいらっしゃった水野幹男先生に誘われたことがきっかけです。
 刑事事件は、受験が民訴法選択だったので、正直なところ、すごくやろうと思っていたわけではないのですが(笑)、刑事弁護委員会に入って真面目に出席していたら、自然と仕事が増えていきました。特に、当時は当番弁護士の登録者が少なかったので、刑事弁護委員の若手に当番がたくさん回ってきました。刑事事件を担当するだけでなく、委員として、当番弁護士のマニュアル改訂に携わるなどの会務を担当しました。

■過労死事件では、通常の労災事件と異なる困難な点はありますか。

 過労死は、仕事による過労・ストレスが原因の一つとなって、脳・心臓疾患、呼吸器疾患、精神疾患等を発病し、死亡に至ることを意味します。
 脳・心臓疾患については、平成13(2001)年に厚労省が認定基準を大幅に改正してからは、専門検討会の検討を踏まえた認定基準を前提に判断されるため、弁護士としては、疾患自体に関する医学的知識というよりは、長時間労働の立証ができるかどうかが肝です。
 一方、精神疾患については、種類や症状が千差万別で、まずは疾患に対する理解が必要になるため、書籍や精神科医に話を訊いたりして、たくさん勉強しました。
 また、過労死事件は、労災請求が認められなければ審査請求、再審査請求と進み、場合によっては行政訴訟まで至るので、依頼者の方と長い付き合いになります。時間をかけて信頼関係を築いていますが、死亡事件では依頼者となるご遺族が大事な家族を亡くしているため、いろんな思いを抱いています。認定基準を満たさない案件や証拠が乏しい事案だと、ご遺族が納得できるような結果が得られないこともあり、忸怩たる思いを抱きます。
 特に、認定基準自体がご遺族の感覚と合っていない場合、認定基準自体が不合理であるという主張をしますが、それを裁判所に認めてもらうことは非常にハードルが高いです。

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■強く印象に残っている事件について教えてください。

 平成11(1999)年、36歳の社員が上司からのパワハラが原因で焼身自殺したという事案で、平成19(2007)年に名古屋高裁で自殺が労災として認められた事件です(中部電力事件)。
 事案としては、36歳の社員が主任に昇格して、長時間労働を強いられた上に、上司から「主任失格」と言われたり、指輪をしていることを「そんなチャラチャラしたものは外せ。だからちゃんとした仕事ができないのだ」と叱責されたこと等から、自分でガソリンを撒いて焼身自殺した、というものです。
 受任当初は、正直なところ、精神疾患に関する知識も乏しかったので、焼身自殺が労災になるのか、会社に対する抗議行為であって病気ではないのではないかと疑問に思っていました。
 しかし、精神科医に話を訊いたところ、うつ病による自殺は、手段は関係がなく、火をつけて死のうと思う時点で既に精神疾患になっている可能性が高いという助言を受けて、考え方が変わりました。
 また、事件当時は今と違い、「パワーハラスメント」という概念もなく、「上司からの叱責」がどういう違法性のある行為なのかがいまいち分かっていませんでした。そんな中、平成14(2002)年12月の新聞で「パワハラに負けるな」という記事を読んで、初めて「パワーハラスメント」という概念を知り、まさにこれだと思って、すぐに書証としてその記事を提出しました。地裁では「いじめ」「嫌がらせ」と認定されましたが、高裁では「パワーハラスメント」と認定されました。この判決の後、厚労省からもパワハラに関する通達が出て、パワハラの違法性が一般に認識されるようになったと思います。
 この事件は、労災請求しても棄却、審査請求しても棄却、再審査請求しても棄却だったのが、行政訴訟で逆転して労災として認定されたので、非常に痛快でした。この事件をきっかけに、過労死事件に特化するようになりました。

■事務局次長を務められる過労死弁護団全国連絡会議では、どのような活動をされているのでしょうか。厚生労働省の労災の認定基準の策定・改訂にも働きかけを行われてきたのでしょうか。

 過労死は私が弁護士になる前の1980年代頃には社会問題になっており、1988年に過労死弁護団全国連絡会議が結成されました。それより前は、まだ「過労死」という言葉もないくらいで、職業病、病気の労災等と呼んで、怪我ではない働き過ぎによる病気について労災と認めさせようということと、企業に損害賠償を求めようということで各地に弁護団が結成されました。その各地弁護団を繋げるために全国連絡会議を結成して、法的主張や立証方法に関する情報交換をしてきました。
 当時は、政府にも情報公開の意識がなく、認定基準を策定する専門検討会が行われていることは公開されておらず、どのような過程で認定基準が設けられているのかは分からなかったそうです。
 1980年代は、労働者が脳・心臓疾患で突発的に亡くなった場合、その前日や当日に過重負荷がなければ、労災として認定されなかったそうですが、各地の弁護団が労災訴訟をやっていく中で、労災の認定基準が更新されていって、労災と認められる範囲が広がりました。1990年代には、発症の1週間前までを評価に含めて、過重労働があれば労災と認められるようになりました。そして、平成12(2000)年に最高裁で発症前1~2年くらいの労働状況を前提に業務の過重性が評価され、労災と認められました。これを機に専門検討会による医学面からの検討が行われ、平成13(2001)年の改正では過重業務の評価期間が発症前6か月となりました。
 ここに辿り着くまでは、弁護団は敗訴続きでしたが、これ以降は、前よりは労災が認められやすくなりました。精神障害や自殺の場合も同じような経過です。
 また、平成26(2014)年に、過労死等防止対策推進法が制定されました。過労死弁護団でも個々の弁護士が裁判に勝っていくことで過労死に対する抑止力や予防になると思って取り組んできましたが、それだけでは過労死を根絶できないと感じたので、「過労死家族の会」の方々と協力して、議員に陳情に行ったり、署名を集めたりして、法律制定に漕ぎつけました。法律ができただけでは成果が簡単に出るものではないかもしれませんが、自殺について自殺対策基本法ができてから、近年、自殺件数がかなり減っており、国に法律を作らせることの意義はあると感じています。

■労働法制や社会情勢の変化で、過労死事件の起こり方や裁判所の判断にも変化があると感じますか。

 脳・心臓疾患の労災認定件数は横ばいかやや減少傾向にありますが、一方、精神疾患は認定件数が増えていて、平成13年は認定件数が70件だったのが、令和4年は710件と約10倍に増えています。労災請求件数自体も平成13年は265件だったのが、令和4年は2683件と約10倍に増えています。傾向としては、精神疾患を訴える人が増えているということだと思います。
 率直にいうと、最近の裁判所は、行政訴訟への判断が厳しいという印象です。認定基準が充実してきた反面、認定基準から外れる事案が、行政訴訟で覆されることが少なくなった気がしています。最高裁判決も平成18年以降、過労死事件について判断が出ていません。残念ながら、最高裁は、認定基準の範囲を広げるような画期的な判決を出す気がないように見えます。

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(過労死防止推進シンポジウムにて講演中)

■過労死や労災問題に関する今後の課題はどのようなことが考えられますか。

 使用者側の弁護士の方は意見が違うかもしれませんが(笑)、労働時間をもっと規制して、残業時間が月60時間くらいでも過重労働と認定されるような判断があっても良いのではないかと思います。
 また、これから労働者の高齢化が進む中で、年金で生活できず70歳を超えても無理して働く高齢者に若者と同じ認定基準で良いのかという問題もあると思います。

■過労は我々弁護士にも当てはまる問題だと思いますが、ご自身の過労対策として意識されていることはありますか。また、弁護士が過労に陥らないための方策はあるでしょうか。

 過労死事件を多く扱って分かったことは、とにかく睡眠時間が大事だということです。長時間労働で脳・心臓疾患や精神疾患が出るのは、睡眠時間や私生活の時間が取れなくなるからです。ですから、睡眠時間を削らないように、日を跨いで仕事はしない、眠たい時には寝るということは大事だと思います。私自身、日曜日はなるべく仕事をしないように気を付けています。
 また、裁量が少ない仕事はストレスが溜まりやすく、自分の裁量でやれればやれるほど、同じ働き方をしてもストレスは溜まらないそうなので、なんともならない予定をなるべく入れないようにしています。
 実際の事件では、やはり長時間労働とパワハラが典型的な事案です。また、仕事が大きく変わる時も要注意で、経験がない仕事を丸投げされて、フォローがないという状況で、長時間労働が重なったり、パワハラが重なったりすると、精神疾患になりやすいので注意が必要です。

■当会の副会長を務められたほか、日弁連での刑事弁護センター委員や国選本部の本部長代行等の公務でのご活躍も多いと思いますが、公務に携わる意義や、公務の中で感じたこと等を教えてください。

 弁護士会は、皆が会務を分担することで成り立っていて、弁護士会の会務がそうして成り立っているからこそ、我々は仕事ができているという関係性だと思います。
 現在、日弁連の国選本部の本部長代行を務めていますが、逮捕段階の国選制度の実現に向けた取組を行っています。日弁連の活動が法改正に結び付き、制度が変わっていく力になっているので、日弁連の活動が制度を良くすることに貢献していると感じています。そういう活動は必要だと思うし、誰かがやらなければならないことです。

■ストレス解消方法、休日の過ごされ方等を教えてください。

 キリスト教を信仰していますので、日曜日は教会での礼拝に参加し、牧師の説教を聞いています。この世に起きる事象は全て神様によって計画されているという教えを聞くと、俗世の弁護士的な思考がリセットされて、いい気分転換になります。
 また、最近、娘に請われてNetflixに加入したので、ジョジョの奇妙な冒険等のアニメを観ています。

■これから挑戦されたいことや今後の弁護士人生のビジョンを教えてください。

 現在56歳ですが、65歳よりもう少し先まで、過労死の事件を元気にやりたいと思っています。本当は、過労死がこの世からなくなるまで仕事を続けたいです。過労死事件がなくなると収入がなくなってしまいますが、それでもいいので過労死がなくなって欲しいと思っています。
 刑事事件は正直なところ少なくしたいという気持ちもありますが、自分より年長の先生が刑事弁護委員会や刑事事件でお元気な姿を拝見すると、まだまだ続けないといけないと自分を戒めています。

■当会の後輩達への応援のメッセージ等があればお願いいたします。

 委員会活動を是非して欲しいです。人権にかかわるが経済的になかなか見合わない事件も、弁護士は人助けだと思うので、ぜひ担って欲しいです。最近は弁護士会の社会的意義を若い人が重視しなくなっていると聞きました。刑事事件は弁護士がやらなければならない業務だという共通認識だったと思いますが、若い弁護士はそういう意識も無くなっていると聞きました。社会正義の実現や人権擁護という弁護士法1条の記載について、経済的にやれないというならやむを得ないですが、そうでないのであれば、委員会に出てみたり、人権活動にぜひ関わってみて欲しいなと思います。

 穏やかで優しい語り口の中に、過労死事件という悲惨な事件と真摯に向き合っている力強さ、遺族に優しく寄り添う誠実さ、過労死を根絶したいという確固たる想いを感じました。弱い立場の方を助けたいという法曹を目指した初心を今も貫き続けている姿勢に非常に感銘を受けました。岩井会員、ありがとうございました!