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ある家族のこと

子どもの事件の現場から(213)
ある家族のこと

会報「SOPHIA」 令和3年 4月号より

子どもの権利委員会 委員 福谷朋子

 初めて会った16歳の頃から、早く結婚したいというのが彼女の口癖でした。施設生活が長かった彼女のその言葉は、私には、家族が欲しいと聞こえました。17歳で、子どもセンター「パオ」の自立援助ホーム「ぴあ・かもみーる」を出て、バイト先が準備してくれた部屋で新生活を始めることになり、一緒にパートナー弁護士をしていた犬飼敦雄会員とともに引越しを手伝いました。

 18歳で妊娠がわかった彼女は、出産を望みました。同級生だったフリーターの彼は結婚を決意し、仕事を始めました。若い2人の新生活はまだ地に足がついていない感じで、妊娠中でもなかなかタバコがやめられなかったり、捨て猫を素通りできず拾ってきてしまったりする彼女を、私たちはハラハラしつつ見守り、SOSが出ると会いに行きました。

 生まれた赤ちゃんは低出生体重児でした。地元の病院から名古屋市内のNICUに搬送された赤ちゃんに、市外の自宅から母乳を届けに行く彼女を送迎しました。お化粧ばっちり、いつも細い足を露出したギャルだった彼女が、根元が黒くなった金髪の髪を結わえ、すっぴん、ジャージでNICUに入っていく姿を見て、ジーンとしたことを、懐かしく思い出します。

 赤ちゃんが退院してほどなく、彼女から電話がかかってきました。「もう無理!」と泣いています。おっぱいもミルクも飲まない、ずっと泣いているけれど理由がわからない、このままだと自分が何をするかわからないと訴えました。当時夫は時給で働いていたこともあり、そうそう休める状況ではありませんでした。短期間乳児院に預かってもらうことも考えましたが、ちょうど年末で(電話がかかってきたとき私は仕事納めの忘年会中でした)、迅速に対応してもらえるか難しい状況でした。踏み込み過ぎではないかと悩みましたが、結局、翌日、赤ちゃんを預かりました。

 久しぶりに抱っこする新生児は、壊れそうに小さくて、いい匂いがしました。新生児って本当におぎゃあって泣くんだったとか、爪が紙せっけんみたいに薄いとか、いろいろ思い出しながら新生児の隣で添い寝し、夜通しの夜泣きに対応しました。新生児を満喫して2日後に彼女の自宅に行くと「久しぶりに眠れた!やっぱり寝るって大事だね」とすっきりした笑顔で迎えてくれました。私も赤ちゃんに癒された、ありがとう、しんどくなったらいつでも連絡してね、と伝えました。

 その後も連絡をもらって数か月に1回ほどの頻度で預かりました。自分の子の部活の試合の応援や学童行事にも連れて行きました。人見知りしない子でどこでも人気者でした。若い夫婦の中で子育てのリズムが徐々にできてきたのでしょう、途中からは、ばあば気分を満喫する私へのサービスだった気もします。

 彼女が第2子を出産してほどなく、夫方親族の援助が受けられるようになり、預かることはなくなりましたが、時々LINEで近況や子どもの写真を送ってきてくれていました。

 先日、子どもセンター「パオ」からの退所した子どもたちへのプレゼント(お米とみかん)を届けに、久しぶりに彼女の自宅に行きました。私を癒してくれた赤ちゃんは、弟妹のお世話をする5歳のお姉ちゃんになっていました。家族5人と一緒にガストに行きました。競うようにおしゃべりしてくれる姉と弟、預かっていた頃の姉にそっくりの笑顔の1歳児、それぞれ15キロくらい太ったと笑う、昔は折れそうなくらい華奢だったパパとママを見ながら、幸せな気持ちでドリアを食べました。

 自分で、自分の家族を作った彼女に、大切なものをたくさんもらった気がします。