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不安と分断の時代から 共に生き、共に育つ新時代へ

子どもの事件の現場から(202)
不安と分断の時代から 共に生き、共に育つ新時代へ

会報「SOPHIA」 令和2年5月号より

会員 多田 元

 新型コロナウイルス感染不安が広がるなかでの岐阜の少年らによるホームレスの高齢男性殺害事件報道から、私が13歳少年の附添人を担当した2006年岡崎市のホームレス襲撃事件が頭に浮かび、その想いの一端を記したい。

2006年ホームレス襲撃事件その後

 2007年10月号会報のこの欄に書いた事件だが、その後のことを含めて再掲する。

 事件は28歳の青年(精神鑑定で軽度精神遅滞と診断)と少年を含む中学生3人が橋の下に居住する69歳女性を襲撃して死亡させた。少年は6人兄弟の三男で、母は知的障害があり、父母ともネグレクトの虐待状態である。母は家事を放棄して出歩き、少年は不登校状態のまま放置され、妹たちを世話していた。母が調査官面接で、少年は炊事洗濯掃除が私より上手とあっけらかんと答えた情景は忘れられない。

 児童相談所は、警察から身柄付通告書を受理し、調査なしで即日家裁へ児童福祉法27条1項4号により送致し観護措置がとられた。2007年法改正により少年法6条の7第1項が児童相談所長に原則家裁送致を義務づけたが、その先取りだった。

 家裁は審判時14歳になった少年に対し4年間の長期処遇の処遇勧告を付して少年院送致を決定した。非行の結果のみを重視し、少年に必要な児童福祉をないがしろにしたと決定を批判して抗告をした。

 高裁は抗告を棄却したが、理由中で、少年が年齢に比しても未成熟と認め、処遇勧告は不当に長期で、2年が相当とした。原審裁判官は私の書面申入れを受け、処遇勧告を2年に短縮した。

 少年院では、もと附添人の私が少年と面会を続け、2年後の仮退院の帰住先として関東にある児童福祉法上の児童自立生活援助事業のホーム(自立援助ホーム)に受け入れてもらう調整をした。そのためには仮退院時に児童相談所がそのホームに一時保護とその後の本措置をとる必要がある。少年院と保護観察所は同意したが、児童相談所長は「司法に委ねて終了した。児相の措置は仮退院後の保護観察の屋上に屋を重ねるのみ。」と、措置を拒否した。私は、保護観察は家庭があって社会生活ができる少年に対する補導援護であり、そのために家庭的な環境で成長する基盤を作るのが児童福祉の役割で、両者の連携が必要だと主張し、結局、児童相談所長は県の決裁を得て措置をとることになった。

保護観察の補導と援護児童福祉法による家庭的環境での援助

 少年法は司法機能と福祉機能を両輪として少年の人権保障と教育的・福祉的援助を図る法であり、その機能を分断してはならない。

 少年の旅立ちの衣服、靴等も買い揃え、仮退院式では、院長は最近まれな最優秀の評価をしたと少年を激励して下さった。出院同行者として私も新幹線の片道切符を少年院からいただき、少年は生まれて初めての新幹線の車窓から美しい富士山を見て感動し、二人で「出陣弁当」と印刷された竹の皮を開いておにぎりを食べた思い出は忘れられない。

 少年は温かい家庭的環境のなかで順調に成長し、自立した成人になっている。

分断から共存の社会へ

 新型コロナウイルス不安から国際的分断対立の危機が予測されるが、国境を越える医療の相互協力等、人々の共存関係が危機を克服する途と言われる。底知れない不安の先の時代を生きる子どもたちを権力による分断と人間関係の貧困の危機に曝してはならない。

 少年法適用年齢引下げの問題も、刑罰化、厳罰化が、人との関わり合いのなかで成長する関係を少年から奪う分断の流れである。分断の危機を超え、共に生き、共に育つ、子どもの人権が輝く新時代へ歩むときだと思う。