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言わせてちょー草枕と弁護士ー

中部経済新聞2017年3月掲載
言わせてちょー草枕と弁護士ー

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

皆様よくご存じの「草枕」の冒頭です。

漱石が弁護士を念頭において創作したはずもりませんが、依頼者への説明、相手方との応酬、和解を巡る裁判官との折衝などにおいて壁にぶつかると、この一節を思い出します。

あの争点は理詰めでは駄目だったとか、相手方の挑発的とも思える出方に冷静さを失ったとか、依頼者に感情移入し過ぎたといった具合です。

弁護士は法律を扱う職業ですから、「智」なくして始まりません。

依頼者に対して法律をできる限りわかりやすく説明して、紛争の着地点について理解を求めます。

しかし、時に、「理屈は分ります。ただ、私の気持ちをわかってくれていない」と言われることがあります。

例えば、現在の裁判所の考え方によると、遺産分割において、亡くなった親の面倒を看てきたとしても、特別な事情が無い限り、「寄与分」として法定相続分よりも多くの相続分を認めてもらうことは困難です。

このことを説明して、寄与分を認めてもらうことは難しいので、あまりこの点に執着するのはやめましょうと説明しても、抵抗を示されます。

頭では寄与分が認められないことはわかっていても、自分はこれだけ親の面倒を看たんだ、他の兄弟は全く看なかったんだということを伝えたいという気持ちが勝るのだと思います。

「気持ちをわかってくれてない」と言われると、依頼者から十分信頼されていないのだなと感じます。

ただ、ここで「情」に棹さし流されると、徒らに解決を長引かせ最終的に依頼者の利益にはならない虞れもあり、悩ましいところです。

他方、「意地」を通さなければならない場面もあります。

裁判では、裁判官から和解を強く勧められることがあるのですが、事件の内容によっては、裁判官に判断をしてもらうことに大きな意味がある場合があり、その場合には和解ではなく判決にこだわることになります。

智・情・意地、どれをとっても手強く、つくづく、漱石の言うとおりだと感じます。

それでも、智を駆使しなければ解決できません。情に思いを寄せなければ信頼は生まれません。意地を忘れてはプロではいられません。

そんなことを考えながら、裁判所に向かいました。(H・K)