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憲法9条と改憲論を巡る座談会

特集 憲法改正問題を考える
憲法9条と改憲論を巡る座談会

会報「SOPHIA」 平成31年 1月号より

 会報編集委員会

 憲法9条と自衛権の解釈、それを前提とした自衛隊の位置付けを踏まえ、改憲の是非に関する問題を中心に、鈴木秀幸会員(27期)、花井増實会員(31期)、小川淳会員(42期)、杉浦宇子会員(48期)、矢崎信也会員(48期)、川口創会員(55期)の各会員にお話を伺いました。

司会:自衛隊はどのような存在であるべきとお考えですか。

鈴木:終戦の年に生まれ、戦争の傷跡を目にして育った世代としては、軍備を持たず戦争をしないことを強く望みます。憲法制定当時の9条を考えれば、自衛隊は違憲の存在だと思います。ただ、個別的自衛権は認められると考えます。しかし、自衛権の存否や行使の権利の有無や制約という合憲、違憲の議論だけでは、議論が不十分で、余り意味がないと考えます。

花井:現状として、自衛隊は必要な存在ですが、その権限は専守防衛に尽きるべきと考えています。その限度で、自衛隊は憲法上も認められると解釈できると思います。

杉浦:憲法制定当時の考え方によれば、自衛隊は違憲であると思います。現時点における自衛隊の在り方としては、自衛隊に関する情報を明らかにし、統制するシステムが必要であると思いますが、現状ではこれらは不十分です。集団的自衛権についても、情報の開示や統制のシステムが曖昧であること、集団的自衛権が認められないと国民の安全が守られないということにはならないことからも違憲であると思います。

川口:以前は旧三要件に基づく政府見解が合理的であり、専守防衛であれば合憲と考えていましたが、最近は考えが揺らいでいます。そもそも、平和を軍事力で解決できるのかという根本的な問題から突き詰めて、政策論から議論していくことが大切だと思います。その中で、護憲派の立場からは、自衛隊を解隊し、「災害救助隊」として組織し直すなどの具体的な提言を打ち出していくことも必要と思います。

小川:自国の独立と安全を守るための必要最小限度の自衛権の行使は認められるべきであり、自衛隊はその自衛力を担う存在として肯定されるべきです。また、一国のみで対応できない現実の外的脅威に対し、個別的自衛権しか行使できないと考えるのは不合理です。集団的自衛権の行使も一定の制限のもとで許容されるべきです。重要なのはこの点に関する国民の実質的合意ですが、平成27年の安全保障法制の可決後も、幅広い合意が本当に存在していると言えるのかについては、疑問を持っています。

矢崎:自衛隊や憲法9条に関する問題は、条文解釈のみならず、イデオロギーや政治・外交問題が錯綜するため、非常に難しいと考えています。条文の形式的文理解釈だけからすれば、自衛隊を違憲と考える余地もあると思いますが、総合的に考えて違憲とするのは現実的ではありません。また、集団的自衛権も、安全保障上、一定の範囲で必要であると考えますが、現行憲法の条文からは不明確ですので、改正していくべきだと思っています。

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(左から、杉浦会員、花井会員、川口会員、鈴木会員)

司会:集団的自衛権を認めるべきとお考えでしょうか。

小川:一国だけでは対応し難い脅威に対し、安全保障上の利益を共有する複数の国々が協力して、「自分たちを守る」仕組みが集団的自衛権です。集団的自衛権の行使は武力紛争のリスクを一方的に高めるものではなく、他国の武力行使に対する対処能力の向上を通じてその攻撃意図を断つもので、総合的にみて抑止力の拡充につながるものとして一定の条件(「存立危機事態」の発生)のもとで許容すべきです。
 ただし、同盟形成は決して万全な措置ではありません。例えば他国の脅威認識を高める危険もあるため、外交などを通じての共通利益の拡充への不断の努力も同時に必要です。
 軍事力と外交は背反するものではなく国の安全保障を図るための「車の両輪」です。
 また、同盟には、同盟国の協力をつなぎとめようとするあまり同盟国に追従し、その武力行使に「巻き込まれる」危険があるのも事実であって、集団的自衛権行使への否定的評価はこの点にも由来しています。そのため集団的自衛権の行使の在り方に対する日本の立場・意思を常に明確にしておくことも重要と考えます。

矢崎:集団的自衛権を無制限に認めるということはありません。ただし、軍事力を持たずに他国にのみ依存するということは理想論だと思います。歴史的にみても、永世中立国を宣言した国であるスイスとルクセンブルグのうち、軍隊を持たない選択をしたルクセンブルグはドイツに2度侵略されています。このことからしても一定の自衛力に加え、同盟国との相互協力による補完により自国を防衛すべく、限定された範囲での集団的自衛権は必要であると考えています。

川口:軍隊の必要性の話と集団的自衛権の話は分けて整理しなければなりません。軍隊の問題は地政学的な問題も含めて議論すべきであり、集団的自衛権とは質が違うと思います。

鈴木:集団的自衛権の問題は、国連の集団安全保障体制と各国の集団的自衛権が違うことをおさえて議論する必要があります。国連憲章が認める個別的、集団的自衛権は、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間という限定があることに留意しなければなりません。

花井:安全保障法制における集団的自衛権行使の条件である「存立危機事態」はハードルがものすごく高いので、自国が直接攻撃された場合と同視できるようなものであれば、個別的自衛権の行使で対処できるという解釈もあり得ると思います。この問題は、国連の介入によって解決されることが基本だと思いますが、現状では国連の機能が崩れてしまっていることが問題だと思います。

小川:安全保障法制の国会審議のとき、どのような状況をもって集団的自衛権の行使を認める「存立危機事態」とみるか必ずしも議論が深まらず曖昧さが残りました。集団的自衛権を行使する場合を議論し明確にする努力がその意味で現在でも必要です。ただ、例えば中国が南シナ海ほかシーレーンを押さえ、日本への石油輸入が危殆に瀕した事態を想定しても、関係国の行動、紛争継続性などの諸事情により「存立危機事態」の認定が変わり得るため、それを明確にするのは、確かに簡単ではありません。また、以上のようなケースを想定して議論をすること自体、良好な関係を図るべき中国の不信感を助長する危険が伴います。集団的自衛権の議論に関してはこうした観点からの認識も必要です。

花井:「自衛隊防衛問題に関する世論調査」の概要(平成30年3月内閣府政府広報室)によると、日本の陸上兵力は中国の8分の1、海上兵力は中国の3分の1、航空兵力は中国の7分の1程度であり(下記【資料1】参照)、在日米軍や第7艦隊の兵力を合わせても中国の兵力には及びませんので、軍事力による抑止というにはバランスが取れていません。核の傘という話もありますが、広島、長崎以降は使用されたことはありませんので、現実に抜かれない刀が本当に抑止力になるのか疑問です。冷戦が終わり、グローバル化が進んでいますので、他国の権益は自国に跳ね返ってくるような状態です。このような状態では、単純に軍事力を行使することで国の核となる権益を守るということはできなくなっていると思います。憲法制定時の理念と現状をよく見て、70年間憲法が維持されていたことも踏まえて集団的自衛権の是非を考える必要があると思います。

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司会:現在の自衛隊の実態が憲法と乖離しているという問題意識がありますが、このことについてはどのようにお考えですか。

川口:実態を見ると、現状では自衛隊は違憲の状態にあると思います。安全保障法制が成立する以前からも、自衛隊の装備は専守防衛の範囲を超えていると思っていました。近時はF35Bの導入や「いずも」の空母化のように、長距離遠征能力、敵地攻撃能力を高めるような流れがあり、個別的自衛権と言いながら、集団的自衛権に踏み込む装備を持つに至っているため、乖離は益々拡大していると思います。

小川:憲法に即した防衛力と言っても、東アジアの安全保障環境の動きに適合した動的なものであるべきで、状況に応じ装備の質的・量的な向上を図る必要があると思います。その意味で、近時の防衛力の装備変更をもって、直ちに憲法理念からの「乖離」であるとは考えません。とはいえ、敵地攻撃能力の保有を安易に認めるべきではありません。一面的な立場からの軍事能力の拡充は、他国の脅威認識を高め軍拡の悪循環を招く危険があるからです。自衛隊の装備変更の必要性とそれがもたらすマイナス面について、事実を踏まえ冷静な議論の積み重ねが必要です。

矢崎:確かに、現実的に攻撃型空母の機能を備えた場合には憲法解釈上問題となると思います。ですが、現段階では、戦闘機は搭載されておらず、アメリカとの外交政策の中でギリギリの選択をしていると判断しています。

花井:憲法9条の解釈としては、当初の非武装中立という考えから、その後議論を経て自衛のための必要最小限度の実力を許容するという解釈で落ち着いてきていると思います。憲法の文言と実態との乖離があるという指摘については、時代の流れで見ると、乖離ではなく実態をもって現在に至っているというのが私の考えです。むしろ、平成27年の安全保障法制ができたことによって、今まで作られてきた憲法実態と、政府の解釈とが乖離しつつあるという局面に入ってきていることを踏まえて、改憲の議論をしなければならないと思います。

小川:憲法制定当時の国際情勢は、まだ国連による集団安全保障の確立に期待をすることができる状況にありました。しかし、その後、国際政治は急速に変化して冷戦状況が形成され、東アジアでは朝鮮戦争が起きるなどの経過をたどり、集団安全保障の確立への期待が困難になったのです。憲法と実態との乖離についての議論も、平和主義という「理念」と「現実」との単純な比較ではなく、国際政治の動向、安全保障環境の変化などの前提となる事実を正確に踏まえたものでなければなりません。

鈴木:国の存立が脅かされるかどうかはどれだけ議論しても抽象的です。第二次世界大戦は、日本の存立が脅かされたものではなく、悲惨な沖縄戦も日本の存立を脅かされたからではありません。最後は国体護持のための無謀で無駄な戦争をしました。私は敗れて良かったと思っています。戦争の犠牲は大きく、戦わずして終わった方が被害は少ないということが多いと思います。人類はこれまで自衛のため、抑止のためと言って戦争をしてきましたが、多くは領土や利権のための戦争でした。しかし、尖閣、南沙、北方4島などと国の存立は結び付かず、軍事力の意義が低下していると思います。もっとも、世界の軍事費が200兆円、そのうちアメリカは70兆円、日本はアメリカの10分の1ほどで、アメリカの後追いをしています。専守防衛の範囲を超える軍備をしていると感じます。

司会:実態との乖離が大きいと、国民が憲法に対して疑念を抱くという発想についてはどのようにお考えでしょうか。

花井:国民が自衛隊に対して望んでいることは、世論調査の結果から見ても、災害時の派遣や自国の安全確保であり、国民は憲法9条に対して違和感を覚えていないと思います。

杉浦:国民は、憲法9条があるから戦争はできないだろうと捉えており、憲法と政治を信頼していると思います。法律家のような理論的な詰めはしていないと思います。

小川:わが国の戦後の平和が保たれてきた理由については、それを憲法9条の存在に求める見解もあれば、自衛隊、日米安保体制の存在にその理由を求める見解もあり、そのいずれが正しいのか結論を出すのは困難です。しかし、私は、わが国の軍事力の在り方を常に「原点」から問いかける必要性を喚起し続けてきたという点において、憲法9条の規律力を高く評価すべきだと考えています。
 確かに憲法9条の文言自体から、必要最低限度の自衛力の保持が可能との解釈は導きにくいとは思いますが、そのことが国民の憲法に対する疑念につながるとは思えません。
 また、自衛を超えた武力行使を可能とする戦力を保持しないという国民のコンセンサスに適合するように憲法の文言を改正する作業の有用性を全面的に否定しません。しかし、そうした観点からの改正が、憲法9条の担ってきた規律力の弛緩につながる危険はないのかについての慎重な見極めが必要だと思います。

鈴木:共同通信の世論調査では、憲法上に自衛隊を明記することに反対の意見が賛成の意見よりやや少ないが、改憲を急ぐべきではないという意見が圧倒的に多数意見であることを見逃してはなりません。

花井:NHKの「憲法に関する意識調査2018」では、自衛隊の明記について賛成と反対だけで見ると賛成の方が多いものの、40%ほどの方がどちらともいえないという意見であることが、国民の意識を反映していると思います。多くの人は現状に違和感はなく、自衛隊が憲法上に明記されていなくてもいいと感じていると思います。

鈴木:これまでの議論で軍事の抑止論と歯止め論がさかんに述べられてきましたが、憲法の戦争の放棄は、人類の理想です。この理想に近づくことは難しく、完全な平和はありません。しかし、長い目で先を見て理想に近づくようにすることが必要です。憲法を理想から後退させたり、歴史を逆行させることは避けることが大切です。また、現在は、十分に制限的で危険性のない軍備保持の条文を設ける政治的環境にないと思います。

司会:憲法9条は戦後どのような機能を果たしてきたとお考えですか。

川口:市民運動によって憲法9条を生かそうとしてきたという歴史があり、戦争への関与に歯止めをかける機能を果たしてきたと思います。ベトナム戦争の際、韓国はアメリカの要請に応じて参戦しましたが、日本には憲法9条があるため、協力を要請されるような状況にはなかったと言われています。憲法9条によって、アメリカとの軍事的一体化が抑止されてきたといえるのではないでしょうか。

矢崎:憲法は「国民主権」などなかった連合国の占領下で制定されています。そして、その後、GHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と呼ばれる政策により、軍国主義者と国民とを対立させ、戦争の責任は軍部の暴走にあったという教育が功を奏した効果が大きいと考えています。したがって、第二次世界大戦後の戦争への関与に歯止めがかかったのが憲法9条の機能であったという指摘には疑問があります。

小川:憲法9条の機能については先に指摘したとおりですが、それがゼロベースからの思考を要請してきた点を私は評価しています。 ただし、PKOによる自衛隊の海外派遣に関しては、国際秩序の維持によって日本の存立も保たれ、それにより恩恵、利益を受けていることも視野において、憲法9条の理念との調整を図りつつ国際貢献の在り方を考える必要があるのではないでしょうか。

杉浦:改憲の機運は国民から生じたものではないこと、国からの情報開示や検証のシステムが曖昧・不透明であることが非常に問題であると思います。日米間の話し合いの結果があたかも法律であるかのように進んでいることを非常に懸念しています。曲がりなりにも憲法9条が存在していたので、この程度で済んでいるという評価が正しいのではないでしょうか。

鈴木:私は、攻められたらどうするかの議論で自衛隊を憲法で位置づけたり、軍事費を増加することよりも、攻められない国にした方が、余程、我が国の安全に役立つと考えます。憲法前文と同9条の趣旨に基づいて、世界の文化、教育、医療、環境に大きく貢献する国になれば、攻められる可能性が非常に小さくなると思います。今、「ほころび」が生じて深刻なのは、国連、ユネスコ、WHOなど平和、教育、健康、環境などの機関の財政問題です。
 我が国の赤字国債はGDPの230%であり、敗戦時の200%を超えています。軍事費を拡大して安全を守る発想から脱却すべきだと考えます。

座談会写真2.jpg(左が矢崎会員、右が小川会員)

司会:湾岸戦争以降のPKO派遣などで憲法を巡る状況がなし崩し的になっており、憲法規範が蔑ろにされているという評価もあると思いますが、どのように考えられますか。

川口:冷戦前後で憲法9条の機能も変わってきていると思います。冷戦中は、ソ連に攻められるかもしれないという被害の想定を前提に議論がなされていましたが、冷戦後はそのような被害想定はなく、自衛隊をいかに海外に出していくかということが議論の中心に移りました。その中でも、憲法9条は自衛隊の海外派遣をどのように止めていくのかという歯止めとして、ギリギリの状況で縛りとしての機能を果たし、それによって法体系ができていると思っています。安全保障法制によって憲法9条2項は死文化したという指摘がなされることがありますが、今でも憲法9条2項は機能していると思います。

花井:これまでの情勢に応じて議論をしながら憲法9条の中身が作り上げられてきたとみるべきであり、PKOの海外派遣などについてなし崩しという評価は適切ではないと思います。一方、安全保障法制によって議論を飛び越えてしまったことは、なし崩しだと思います。

小川:PKOへの参加による自衛隊の海外派遣は、憲法はもちろんのこと、国連憲章さえも全く想定していなかったことです。現在の自衛隊のPKOへの参加は、国際秩序の維持から日本も利益を享受していることに由来する国際貢献の必要性と、憲法の平和主義の理念とを勘案しながら積み重ねられてきたものです。その意味で、自衛隊のPKO参加をもって、直ちに憲法規範が蔑ろにされてきたとみることは正しい評価とは言えません。ただし、昨今の情報の隠匿とも言える政府の対応をみる限り、自衛隊の海外派遣についても、実態に関する情報の開示や政府の説明は不可欠で、それを踏まえた議論が必要だと考えます。

杉浦:PKOについて、日本は軍隊を持たないということで信頼されてきたからこそ、他国の協力よりも日本の協力の方がスムーズに進んだとも言われています。日本には何も持たないことの強さがあり、日本の平和なブランドイメージは大切だと思います。

司会:自衛隊を憲法上明記する改憲を行うことについてどのようにお考えですか。

花井:自衛隊の存在は、国民、政府によって定着していること、実態も憲法9条の下で機能を果たしていることから、憲法上に明記をする必要はなく、また、明記すべきでもないと思います。

矢崎:自衛隊が違憲だという議論に終止符を打つため明記すべきだと思います。ただし、新三要件を明記して、その限界を示すことも必要だと考えます。

小川:現憲法のもとでも、自国の独立・安全を図る必要最小限度の戦力の行使は認められるべきであり、それを担う存在としての自衛隊に関しては国民のコンセンサスが形成されていると考えています。そのような状況のなかで、今自衛隊を明記する方向での憲法改正をする必要がどの程度あるのかは疑問を感じています。
 確かに自衛隊を違憲とする見解があることからすると、自衛隊を憲法に明記する選択もあり得ますが、その場合には先ほども触れたように、改正が憲法9条の担ってきた規律力の弛緩につながる危険性がないのかについての慎重な見極めが必要です。憲法9条の改正議論は、言葉と現実との形式的な調整の問題ではなく、以上のことを踏まえたものであるべきです。
 なお、少し議論がそれますが、国が対外的に武力を行使する目的で保有する公的組織が軍隊です。自衛隊はその意味で軍隊と言えると思います。

川口:軍事力として自衛隊を憲法上明記するということであれば、国際法的には軍事法廷を設置することも不可欠のはずですが、このことが全く議論されていないことも非常に問題だと思います。議論をするのであれば、憲法9条だけではなく、憲法の法体系全体をきちんと議論すべきだと思います。

矢崎:本来は、国民のコンセンサスを得て改憲すべきであると思います。ですが、憲法9条2項を削除するなどして自衛隊を軍隊と真正面から認めてコンセンサスを得ることは、現段階では極めて困難であるので、いわば妥協の産物として政治的な判断として出てきているのが現在の改憲案ではないでしょうか。

鈴木:今の改憲案では、前文を変えようとしていないのが救いだと思っています。憲法前文は9条とつながっており、第一次、第二次世界大戦を経験した人類の英知の宣言です。憲法前文や9条を変えることは、世界遺産というべき人類の英知を傷つけ、後退させるものです。そのように捉える人が多く、保守系の政治家からも、改憲の機は熟していない、国民の亀裂より統合が大切であるなどの発言が相次いで出ているくらいですので、慌てて無理をして改憲する必要はないと思います。

杉浦:これまでは、憲法上に自衛隊が明記されていなかったことでギリギリの制限があったのだと思います。憲法9条の改憲を進めてしまうと、国会や司法の歯止めがかからない状態に陥ってしまったときに後戻りすることができませんので、憲法に自衛隊を明記するべきではありません。憲法を実態に合わせるのではなく、実態を憲法に近づけていく努力をしていくべきです。

川口:憲法に自衛隊を明記すると、結果的に今までの解釈による縛りが損なわれてしまいます。
 自衛隊を憲法に明記して歯止めをかけようといういわゆる「立憲的改憲論」にも反対です。「縛りをかける」といいながら、現実には、かえって解釈の限界が拡大してしまい、歯止めが効かない状態となり、立憲主義を保つことができないと思われるからです。また、外交的にもアメリカからの要求を拒絶するカードを自ら放棄することにもなりますので、改憲すべきではありません。

司会:自民党の憲法改正推進本部における改憲案をどのように見ていますか。

花井:旧三要件を外した上で、実態との乖離を取り込もうとしている点に、非常に問題があり、反対です。

川口:この改憲案は、旧三要件でも新三要件でも要求されている「必要最小限度」という要件を敢えて削除しています。これにより、新三要件すら超える内容となることは明らかですので、この点だけからも、改憲案には反対です。

小川:安全保障法制により、いまの自衛隊は日本が直接武力行使を受けていない「存立危機事態」にも集団的自衛権を行使して武力行使ができることになっています。そこに至った手続上の問題は措くとして、私はこのことを否定しません。しかし、国民の実質的合意の有無が問われるのは、まさにこの部分であることからすると、憲法改正を付議するときにも、改憲案は以上を内容とする新三要件を明記すべきです。少なくともそれに関し国民の意思を正面から問う手続上の工夫が必要です。そうでないと、安全保障の在り方に関する憲法解釈上の争いを再び繰り返すことになりかねません。加えて、自衛隊や我が国の安全保障体制の在り方に対する本当の意味での国民のコンセンサスの形成にはつながりません。

鈴木:これまでの解釈でも言われてきているように、自衛の目的だけでは制約にはならず、「必要最小限度」という要件は不可欠です。

杉浦:私は、集団的自衛権行使は「自衛のための必要最小限の範囲」を超えるものであり、これを容認する安全保障法制は違憲であると考えていますし、集団的自衛権行使が合憲となるように憲法を変えることにも反対です。安倍首相は「現在の自衛隊」を憲法に書き込むと言っていますが、「現在の自衛隊」は既に安全保障法制によって違憲の集団的自衛権行使の任務を負わされている「自衛隊」です。この「現在の自衛隊」が合憲となるように憲法に明記することを目指すという安倍首相主導の今の改憲の流れにはそもそも反対です。現実にも自民党の改憲案は、自衛の範囲につき「必要最小限度」とする文言を敢えて外しており、軍事力拡大の歯止めとなる規定とはなっておらず、暴力装置への制限規範として全く不十分であり、解釈が拡大していく危険があると考えます。

矢崎:全体的にみて、憲法により国家権力を縛るという立憲主義の理念が抜けているように感じられます。憲法9条に関しても、小川会員が指摘するように、新三要件が明記されておらず、活動の限界が不明確となってしまっているため、解釈の議論が終わらないことになってしまうと考えます。やはり新三要件を明記すべきと思います。

司会:本日は長時間にわたり熱のこもったお話をいただき、誠にありがとうございました。

 高度成長期には、現実問題として憲法改正を目指すという意見は、自民党内でも主流ではありませんでした。それは、55年体制の下、衆参両院で改憲勢力が3分の2を占めるということが現実的ではなかったという事情もあります。これに対して、近年は、一強他弱と評される政治状況の下、平成26年にはこれまで集団的自衛権は憲法上認められていないとしていた政府解釈が変更され、その後、具体的な条文イメージが出されながら、憲法改正論議が進められています。このような動きがあること自体、隔世の感を持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 最大の関心事である憲法9条と自衛隊に関し、憲法改正を推進する側は、解釈を変えるつもりはない旨述べています。しかしながら、一旦条文ができると、その後の状況の変化等により、当初の意図とは異なる解釈がなされる可能性は否定できません。そうでなくとも、改正された条文がその後の世代にもわたって変更されず引き継がれていく可能性がある以上、条文の改正には慎重を期した議論が望まれます。
 本特集の座談会では、憲法9条、自衛隊、集団的自衛権、憲法改正に関し、会員同士で議論をしていただきました。他の会員が憲法改正に関しどのような意見を持っているのかを知る機会は余りないと思われ、その意味で貴重な機会になったのではないかと自負しています。不十分な点も多々あるかもしれませんが、本特集が憲法改正議論の深まりに幾何か寄与できれば、望外の喜びです。