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人権侵犯救済申立てに関する勧告書(名古屋刑務所宛)

愛弁発第398号 平成24年3月5日

名古屋刑務所
所長  有村 正広  殿

愛知県弁護士会 会長 中村 正典

勧 告 書

 愛知県弁護士会は、●●●●の申立に係る平成22年度第72号人権侵犯救済申立事件につき、下記のとおり勧告する。

第1 勧告の趣旨

 申立人は、貴所入所前に外部医療機関で血腫の診断を受け、これを放置すると悪性化する可能性がある旨の指摘を受けたことから、その摘出手術が予定されていた。

 その後、申立人が手術実施前に貴所に入所することとなった際には、申立人が受診していた医療機関の医師が、「血腫が急激 に大きくならない限り早急の手術は不要」である旨の意見を述べており、さらに、貴所入所後には、申立人が再三に亘り血腫の疼痛を訴え、その痛みが服薬をし ても睡眠や姿勢等の基本的な生活に支障を来す程度に至っていた反面、申立人が受診していた医療機関の医師は、「腫瘤を摘出すれば痛みはなくなる」としてい る。

 以上のような、医師による診断の結果や申立人の状況に照らせば、申立人に対して、速やかに適切な検査を行い、手術の要否 を正確に診断した上で、手術が必要であれば、手術が実施可能な医療専門刑事施設又は医療機関に移送して、血腫の摘出手術を受けさせるなどの適切な措置を執 る必要がある。

 にも関わらず、貴所は、平成22年8月●●日の入所時から平成23年11月3日までの間、手術の要否を判断する上で必要な血腫の大きさの測定を全く行わず、さらには、手術の要否を判断するために必要な検査を申立人に受検させていない。

 これは、申立人の適切な医療を受ける権利を侵害するものである。

 よって、申立人に対し、適切な検査を速やかに行い、手術の要否を正確に診断した上で、手術が必要であれば、手術が実施可能な医療専門刑事施設又は医療機関に移送して、血腫の摘出手術を受けさせるよう勧告する。

第2 勧告の理由

 申立人から聴取した事情、貴所から得た回答及びこれらに基づき愛知県弁護士会(以下、当会という)が認定した事実は次のとおりである。

 

1 申立の趣旨

 申立人は、平成22年8月●●日以降、貴所に在監中の者であり、平成27年3月●●日まで在監予定の者である。

 申立人は、平成23年2月2日時点で左臀部に径12センチメートル以上の血腫があり、座位が困難なほどの疼痛を伴うことから、貴所医務部医師に対して、血腫の摘出手術を要請していた。

 にもかかわらず、一向に手術は実施されず、同年12月19日時点では血腫は径15センチメートルほどに増大していた。し かも、処方された鎮痛座薬の使用回数が、1日2回に制限されるうえ、効果が各数時間に留まり、その効果が消失すると疼痛が持続し、血腫が触れない姿勢の座 位をとらなければならず、入眠時にも血腫が触れない姿勢をとることを余儀なくされ、睡眠導入剤の処方にもかかわらず、疼痛のために週1回は目が覚める状態 が続いている。

 そのため、早急に医療専門施設又は刑事施設外の専門医療機関で血腫の摘出手術を受けられるように希望する。

 

2 調査の内容
  • (1)申立人からの聴取内容
     平成23年4月20日、及び同年12月19日、当会担当調査委員は、貴所内において、申立人本人と面談して事情聴取し、申立の趣旨記載の内容の事実を確認するともに、これに付加して聴取した概要は、それぞれ次のとおりである。
    ア.4月20日
     申立人は、平成16年に●●刑務所に入所中、左臀部に径3cmの腫瘤を認め、平成21年3月までに、A大学医学部付属病院で良性の診断を受けていたが、同院医師より、「放置すると悪性化する」として摘出手術を勧められ、B病院において腫瘤の摘出手術を予定していた。
     しかし、平成21年3月ころ逮捕されたために、手術が実施されない状態となっていた。
     平成22年8月●●日、貴所に入所し、同年11月、貴所の整形外科医師による初回診察があったが、腫瘤につき「大きいので所内では手術できない」と言われ、疼痛の主訴に対してロキソニンが処方されただけで経過観察とされた。
     平成22年12月の貴所整形外科医師の診察で、ロキソニンが座薬に変更されたが、経過観察のままであった。
     平成23年3月の貴所整形外科医師の診察の際、腫瘤の増大を訴えたところ、同年4月7日、C地域医療センターでMRI検査を受けたが、4月14日、貴所整形外科医師の診察で、「1年後に再度MRI検査を実施する」と告げられ、手術を実施するという話はなかった。
    イ.12月19日
     A大学医学部附属病院の医師は、「現在は良性だが、放置すると悪性化する」と言い、B病院で手術を行うことになった。また、B病院の医師は、腫瘤をとれば痛みはなくなると述べていた。
     左臀部の痛みは、動かなくてもあり、座位だけでなく、立位でもある。特に腫瘤が触れると痛いため、座位では、腫瘤が触れ ない姿勢でなければならず、就寝時は、右側を下にした側臥位か左足を浮かせる形の仰臥位でなければならないうえ、就寝中も週1回程度は痛みで目が覚める。
     痛み止めの座薬を処方されているが2時間程度しか効果がない。
     座位をとるときは腫瘤に触れないようにしなければならず苦痛なため、自ら希望して、10月11日から作業内容を立ち作業(4C工場)に変更してもらった。
     腫瘤の大きさは径15cmほどになっている。
     医師の診察の際には、腫瘤が大きくなっていること、座薬の効果が2時間程度しかないこと、薬が切れると痛みが強く不眠や イライラがあること、摘出手術を希望する旨を伝えているが、貴所整形外科医師は「手術をして麻痺が残ると困るので手術はできない」と答えており、腫瘤の大 きさも測らない。
     それでも、平成23年11月8日の診察の際、整形外科医師より「A大附属病院での診察を検討する」と言われた。
     痛み止めの座薬は、11月4日の診察時に1日3回にしてもらったが、11月8日の診察時に、気管支喘息が悪化することを理由に2回に減らされた。
     申立人は、平成27年3月に満期出所の予定であり、出所までが長期間に亘るうえ、血腫は悪性化の可能性を示唆されて摘出 手術を予定していたものであり、最近増大傾向にあるうえ、常時疼痛を伴い、不眠が生じるなど刑務所内作業のみならず生活にも支障を来しているため、早急に 医療刑務所に移送してもらうか、それができないのであれば、刑務所外の専門医療機関において、摘出手術を実施してもらうことを強く希望する。

  • (2)貴所からの回答
     当会から貴所に対し、申立人の腫瘤に関する主訴およびこれに対する医師の診察状況、医療専門施設における治療の必要性やかかる治療の実施予定について照会を行ったところ、次の通りの回答を得た。
     左臀部の痛みが座り作業で悪化するとの主訴があり、貴所整形外科医師が診察し、消炎鎮痛座薬を1日1回の処方から2回に変更したが、その後さらに、同座薬の効果が2時間程度しかないため回数を増やしてほしいとの主訴があったものの、医師は増量せずに経過観察とした。
     今後の治療方針については、平成23年4月7日のMRI検査結果を踏まえ、1年に1回程度、経時的に外部医療機関に通院 のうえ、同MRI検査を実施して経過を観察する方針であり、今後の同検査において緊急手術等の処置を要する所見が出現すれば、外部総合病院に通院の上、連 携する。

  • (3)貴所からの聴取内容
     平成20年4月20日、および12月19日、当会担当調査委員は、貴所において、●●●●統括矯正処遇官、●●●●矯正処遇官、●●●●主任矯正処遇官らと面談し、上記(2)の事実を確認するとともに、これに付加して聴取した概要は、それぞれ次の通りである。
    ア.平成23年4月20日
     申立人は、平成20年12月、A大学医学部附属病院における病理検査の結果、良性と診断された。
     腫瘤に関して、貴所がB病院に照会した結果、同院医師の平成21年4月8日付の診断書では、診断名は「腫瘤(血腫の疑 い)」であり、要旨として、「平成20年12月10日、A大学医学部付属病院で血腫と診断される。経過観察でも手術でもよい。急に大きくならないかぎり、 早急の手術は不要」とされていた。
     平成22年8月18日入所時の健康診断記録では、左大腿部に血腫があること、A大学医学部付属病院で手術を勧められたことが記載されているが、腫瘤の大きさに関する記載はない。
     平成23年3月22日、申立人の「左臀部の痛み」「最近大きくなってきた」との主訴を受け、同年4月7日、C地域医療セ ンターにてMRI検査(造影剤なし)を実施した結果、「左臀部軟部組織に35×65×70mmの高信号腫瘤。」「chronic expanding hematoma疑。他に出血を伴った血管腫など?」と診断された。
     上記診断結果を受けて、同月13日、貴所の整形外科医師が診察した結果、経過観察となった。
    イ.平成23年12月19日
     平成23年10月11日より、申立人の希望で座り作業から立ち作業に変更した。
     平成23年11月4日、貴所医務部医師が、申立人から「左下肢のシビレ感」「増大してきた」との主訴を受けて腫瘤を計測 した結果、径15cmであった。平成22年8月18日の入所時以降、診察で腫瘤の計測がなされたのは、カルテで判明する限り平成23年11月4日のみであ る。
     平成23年11月8日、貴所整形外科医師が診察し、同日付けでA大学医学部付属病院に対して、照会書を書いた。その要旨 は、「A大学医学部付属病院で良性の診断が出ている患者で、現在疼痛の主訴があり、本人は手術を希望しているが、刑期内であるため、良性ならば手術は考え ていないが、貴院の意見はいかがか」というものである。なお、同照会書には添付資料として、C地域医療センターのMRI(平成23年4月7日撮影)、服薬 状況が記載されている。
     平成23年12月19日現在、上記照会書に対する回答は得られていない。
     しかし、平成20年12月にA大学医学部付属病院で良性と診断されてから3年が経過しており、入所時の腫瘤の大きさに関 するデータはないものの腫瘤の増大傾向が認められるように思われ、服薬にもかかわらず疼痛が継続していることから、医務部に対して、摘出手術および病理組 織検査の必要性につき、早急に照会する予定である。
     上記(2)の回答のうち、外部の総合病院と連携をするという、今後のMRI検査結果で「緊急手術等の処置を要する所見」について、具体的な内容は不明である。
     また、血腫摘出手術ができない特段の理由はないと思われる。
     なお、申立人の体重は、平成22年8月18日の入所時に78.6キログラムあったが、平成23年4月13日に68.1キログラム、同年7月15日に61.1キログラム、同年11月4日61キログラムと激減している。

  • (4)認定した事実
     以上の調査の結果から、当会は、次の事実を認定した。
     貴所は、申立人の左臀部の腫瘤について、申立人より、放置すると悪化する可能性があるとの医師の指摘があり、入所前に、摘出手術が予定されていたことを伝えられていた。
     また、平成21年4月8日付で、B病院医師より、A大学医学部付属病院で血腫と診断されていることを伝えられ、かつ、 「急に大きくならないかぎり」「早急の手術は不要」との診断を把握していたのに、平成22年8月18日の入所時から平成23年11月3日までの診察で、腫 瘤の大きさを計測しなかった。
     そのため、平成23年11月4日の時点での大きさが径15センチメートルであることが把握できたのみで、B病院の医師が摘出手術実施の目安とする腫瘤の「急激な」増大があったか否かを判断できない状態にある。
     また、貴所は、申立人から左臀部の腫瘤につき疼痛の主訴を受け、消炎鎮痛剤を座薬に変更したうえ、同座薬につき申立人に 対して処方可能な最大限の処方をしてもなお座位が苦痛な程度の疼痛があり、刑務作業を立ち作業に変更するほどに至っていることを認識し、かつ、疼痛に加え て左下肢の痺れ感の主訴までが出現していることを認識しながら、なお、申立人に対するそれ以上の検査や処置を予定していない。
     さらに、B病院の医師からは「腫瘤を摘出すれば痛みはなくなる」旨を告げられていた。

3 判断

(1)在監者の医療を受ける権利と国の義務

 すべての人には、医療、医学が到達し、実施が可能な医療を受ける権利がある。
 これは、我が国が昭和54年に批准した国際人権(社会権)規約(経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約)12条や、日本国憲法13条及び25条にその根拠を見いだすことができる。基本的人権に他ならない。
 そして、いうまでもなく、かかる医療を受ける権利は、すべての人に等しく保障されなくてはならない。人が在監者という立 場になったとしても、もちろん、これに代わるところはなく、むしろ、国が刑事処遇の目的を達するために、在監者に、刑事施設外での自由に医療をうける権利 を制約する以上は、国には、在監者が刑事施設内外において適切な医療を受けることができるよう、その権利を保障する義務がある。
 この点を、明らかにしたのが、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律56条である。同条は、「刑事施設において は、被収容者の心身の状況を把握することに努め、被収容者の健康及び刑事施設内の衛生を保持するため、社会一般の保険衛生及び医療の水準に照らし適切な保 健衛生上及び医療上の措置を講ずるものとする」と定めている。そして、同法62条によれば、刑事施設の長は、傷病の種類や程度やその必要性によって、刑事 施設内において、在監者に、刑事施設の職員である医師等又は刑事施設の職員でない医師等の診療を受けさせたり、刑事施設の外の病院または診療所に入通院さ せて診療を受けさせることが求められているのである。
 また、国連被拘禁者処遇最低基準規則(1955年国連会議採択・1957年国連経済社会理事会承認)第22(2)は、「専門医の治療を要する病気の被拘禁者は、専門施設または一般の病院に移送しなければならない。」と定めている。
 なお、最高裁判所は、平成17年12月8日判決において、「勾留されている患者の診療に当たった拘置所の職員である医師 が、過失により患者を適時に外部の適切な医療機関への転送すべき義務を怠った場合において、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同病院において適切な 医療行為を受けていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、国は、患者が上記可能性を侵害されたことに よって被った損害について国家賠償責任を負うものと解するのが相当である。」と判示している。この判決は、拘置所に勾留中の者についての判断ではあるが、 刑務所に在監中の者についても、同様に転送義務が認められることは自明である。

 

(2)申立人対する人権侵害

 上記のとおりに当会が認定した事実を踏まえると、以下のとおり、申立人の医療を受ける権利が侵害されていると言わざるを得ない。
 すなわち、申立人の左臀部の腫瘤は、診断された時点では良性であるが、これを放置すると悪性化する可能性があるところ、良性と診断されてから、既に3年以上が経過しており、悪性化している可能性が否定できない。
 また、貴所が照会したB病院の医師からは、摘出手術を実施する目安を、腫瘤の急激な増大があるか否かで判断するとされて いることから、腫瘤の大きさを経時的に測定する必要があるにも関わらず、貴所では、合理的な理由なく、申立人の貴所入所から平成23年11月4日に至るまで、医師の診察の際に腫瘤の大きさを測定していない。その結果、手術を実施すべき状態か否かの判断材料の1つが失われてしまっている(なお、申立人によれ ば、平成16年半ばころに径3センチメートルであったものが、平成23年2月には径12センチメートルとなり、同年11月には15センチメートルとなって おり、これによれば、急激な増大が懸念される状況である)。
 さらに、腫瘤による疼痛のために座位や睡眠等の基本的な生活に支障を来たし、貴所が処方する消炎鎮痛剤でもこれが解消されず、さらに左下肢の痺れ感まで生じるに至っている反面、この疼痛は、B病院の医師によれば、腫瘤の摘出により消失するとのことである。
 以上のように、申立人の腫瘤の悪性化が否定できず、さらに腫瘤の急激な増大が懸念され、その疼痛も強いものである反面、 手術で腫瘤を摘出することによって、疼痛が解消されることからすれば、申立人に対し、適切な検査を速やかに行い、手術の要否を正確に診断した上で、手術が必要であれば、手術が実施可能な医療専門刑事施設又は医療機関に移送して、血腫の摘出手術を受けさせる必要があり、申立人に対して、そのような検査の機会 を与えないことは、重大な人権侵害である。

4 結論

 よって、当会は貴所に対し、勧告の趣旨記載のとおり勧告するものである。

 以上