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人権侵犯救済申立事件

2008(平成20)年8月21日

名古屋刑務所  所長 殿

愛知県弁護士会 会長  入谷 正章

勧  告  書

 愛知県弁護士会は、○○○○の申立に係る平成20年度第12号人権侵犯救済申立事件につき、下記のとおり勧告する。

第1 勧告の趣旨

 申立人は、貴所が受診させた医療機関において、肝がんと診断され、平成19年12月3日には、貴所医務部医師により、肝がんの手術適応があり、医療 専門施設に移送して加療が必要と診断されたものの、現在に至るまで、医療専門施設に移送されず、上記診断後8ヶ月以上にわたり、手術などの治療を受けてい ない。このことは、同人の医療を受ける権利を侵害するものである。

 よって、申立人を、早急に、医療専門施設又は刑事施設外の専門医療機関に移送して、肝がんに対する手術などの適切な治療を受けさせるよう、勧告する。

第2 勧告の理由

 申立人から聴取した事情、貴所から得た回答及びこれらに基づき愛知県弁護士会(以下、当会という)が認定した事実は次のとおりである。

1 申立の趣旨

 申立人(昭和21年1月1日生)は、平成19年2月26日以降、貴所に在監中の者である。

 申立人は、同年10月、貴所医務部の診察において肝腫瘍が疑われたため、●●病院を受診したとこ ろ、肝がんと診断され、同年11月27日、同病院において経カテーテル肝動脈塞栓術をうけたが、治療ができず、同年12月3日、貴所医務部医師によって、 肝がんで手術適応があり、医療専門施設に移送し、加療が必要と診断された。申立人自身は、医療専門施設又は刑事施設外の専門医療機関での肝がんに対する手 術などの治療を強く希望してきた。しかるに、現在に至るまで、医療専門施設へ移送されず、加療も受けていない。早急に医療専門施設又は刑事施設外の専門医 療機関で肝がんに対する手術などの治療を受けられるように希望する。

2 調査の内容

(1)貴所からの回答

 当会から貴所に対し、申立人の肝がんの手術などの医療専門施設における治療の必要性やかかる治療の実施予定について照会を行ったところ、次の通りの回答を得た。

  1. 申立人は、平成19年10月15日、名古屋刑務所医務部医師による診断の結果、肝腫瘍が疑われたため、同月26日、●●病院消化器内科に外部通院し、肝がんのため肝動脈塞栓術の適応と診断された。
     上記診断結果を受けて、同年11月26日、同病院消化器内科に病院移送した上、翌27日、経カテーテル肝動脈塞栓術による手術が実施されたところ、本人 腫瘍の目的部位まで到達する血管が非常に細いことから、当該術式による治療は不可能と判断され、以後は、外科的治療などの治療方針を再選択する必要がある として、入院加療の必要がなくなったため、翌28日、病院移送を終了し、帰所した。
     しかし、同病院外科については、緊急手術以外で、名古屋刑務所からの待機手術の患者の受入れは困難であることから、同年12月3日、名古屋刑務所医務部 医師により、肝腫瘍のため手術適応であり専門的医療施設における加療及び移送が必要と診断され、現在のところ、医療刑務所に移送する予定である。

  2. 上記アのとおり、申立人は医療刑務所に移送予定であるところ、医療刑務所は、多くの刑事施設から受入れを行っていることから、移送には時間を要 しており、申立人については、平成20年6月末現在、移送日は決定していないが、移送までの間、腹部超音波検査、腹部CT検査及び血液検査を実施し、慎重 に経過観察を行っており、また、肝機能維持のためウルソ、グリチロン、アルダクトン及びラシックスの各処方薬を処方している。 また、今後、現時点における肝がんの評価及び治療方針の確認のため外部専門病院消化器内科への再診も予定しているが、病態が急変した場合、外部専 門病院あてに緊急手術を依頼することとしている

(2)平成20年8月4日、当会担当調査委員は、貴刑務所内において、申立人本人と面談して事情聴取し、申立の趣旨記載の内容の事実を確認するともに、これに付加して聴取した概要は次のとおりである。

  1. 申立人は、平成15年ころからC型肝炎のため、▲▲病院に通院し、平成18年9月ころには肝硬変と診断された。

  2. 貴所に在監中の平成19年9月ころ、腹痛を覚えたため、貴所の医師に診察をし、血液検査や、エコー検査、CT検査をしてもらったところ、肝臓に怪しい影があると説明を受け、10月に、●●病院を受診して、肝がんと診断された。腫瘤は、2.5cm大とのことであった。

  3. 同年11月26日から●●病院に入院し、翌27日、経カテーテル肝動脈塞栓術を実施したが、塞栓することができなかった。塞栓できなかった理由は 説明をうけていないが、医師は、非常に難しいなどと言っていた。治療のあと、貴所の職員と医師が話をしていた内容を隣で聞いていたところによると、同病院 の医師は、12月中に肝切除術を実施したほうがいいが、同病院は、12月に移転するため、入院患者を受け入れられないので、1月に実施したいなどというこ とを話していた。

  4. その後、申立人は、貴所の職員に何度も、いつ肝切除術を実施してもらえるかと尋ねたが、当初は、同病院の回答待ちとのことであり、平成20年1月 からは、医療刑務所に移送されることになったと聞いたが、現在まで移送日が決まっていない。何故、移送の日が決まらないのかについての理由の説明もない。

  5. 平成20年7月に、上腹部痛を訴え、CT検査を実施してもらい、●●病院の医師の診察を受けたが、肝がんの積極的治療はなされなかった。8月からは、強力ネオミノファーゲンシー(肝臓疾患用剤・アレルギー用薬)の注射を受けているが、肝がんには効果はないと聞いている。

  6. 申立人は、平成20年11月26日に満期出所の予定であるが、それまでの間に、医療刑務所に移送してもらうか、それができないのであれば、刑務所外の専門医療機関において、肝がんに対する積極的な治療を実施してもらうことを強く希望する。

(3)平成20年8月4日、当会担当調査委員は、貴所において、医務部保健課保険課長補佐看守長及び処遇部処遇部門主任矯正処遇官副看守長と面談し、上記2(1)の事実を確認するとともに、これに付加して聴取した概要は次の通りである。

  1. 面談日現在、申立人の医療刑務所移送日は未確定である。名古屋刑務所において、申立人に対して、肝がんの手術などの治療は不可能である。

  2. 名古屋刑務所において、面談日現在、医療刑務所への移送を待っている受刑者は、申立人以外に4名いる。全国の刑務所において、同じように移送を待っている受刑者が多数いるものと思われる。

  3. 刑務所外の医療施設で、受刑者の入院加療に協力してくれた実績があるのは、●●病院の外に特殊な疾患に関して2施設があるだけであり、現時点で、可能性があるのは●●病院だけであるが、同院も待機手術は受け入れられないとしている。

  4. 申立人の肝がんの進行度はステージⅡである。

(4)認定した事実

 以上の調査の結果から、当会は、次の事実を認定した。
 貴所は、平成19年12月3日、申立人について、肝がんのため、医療専門施設に移送して、手術などの治療が必要であると判断したにもかかわらず、 8ヶ月以上経過しても、なお、医療専門施設への移送はなされず、刑事施設外での専門医療機関においても、これらの治療が実施されていない。

3 判断
(1)在監者の医療を受ける権利と国の義務

 すべての人には、医療、医学が到達し、実施が可能な医療を受ける権利がある。
これは、我が国が昭和54年に批准した国際人権(社会権)規約(経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約)12条や、日本国憲法13条及び25条にその根拠を見いだすことができる。基本的人権に他ならない。
そして、いうまでもなく、かかる医療を受ける権利は、すべての人に等しく保障されなくてはならない。人が在監者という立場になった としても、もちろん、これに代わるところはなく、むしろ、国が刑事処遇の目的を達するために、在監者に、刑事施設外での自由に医療をうける権利を制約する以上は、国には、在監者が刑事施設内外において適切な医療を受けることができるよう、その権利を保障する義務がある。
この点を、明らかにしたのが、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律56条である。同条は、「刑事施設においては、被収容者の心身の状況を 把握することに努め、被収容者の健康及び刑事施設内の衛生を保持するため、社会一般の保険衛生及び医療の水準に照らし適切な保健衛生上及び医療上の措置を 講ずるものとする」と定めている。そして、同法62条によれば、刑事施設の長は、傷病の種類や程度やその必要性によって、刑事施設内において、在監者に、 刑事施設の職員である医師等又は刑事施設の職員でない医師等の診療を受けさせたり、刑事施設の外の病院または診療所に入通院させて診療を受けさせることが 求められているのである。
また、国連被拘禁者処遇最低基準規則(1955年国連会議採択・1957年国連経済社会理事会承認)第22(2)は、「専門医の治療を要する病気の被拘禁者は、専門施設または一般の病院に移送しなければならない。」と定めている。
なお、最高裁判所は、平成17年12月8日判決において、「勾留されている患者の診療に当たった拘置所の職員である医師が、過失により患者を適時に 外部の適切な医療機関への転送すべき義務を怠った場合において、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同病院において適切な医療行為を受けていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、国は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害について国 家賠償責任を負うものと解するのが相当である。」と判示している。この判決は、拘置所に勾留中の者についての判断ではあるが、刑務所に在監中の者について も、同様に転送義務が認められることは自明である。

(2)申立人の人権侵害

 これらを踏まえ、上記のとおり当会が認定した事実を考慮するとき、申立人の医療を受ける権利が侵害されていると言わざるを得ない。
すなわち、申立人は、貴所において肝がんと診断され、貴所では治療が不可能で、医療専門施設における手術などの治療が必要と判断された以上は、貴所 には、速やかに、申立人に医療専門施設又は刑事施設外の専門医療機関での治療を受けさせる義務がある。少なくとも、現在の社会の医療の水準に照らせば、肝 がんで手術適応があると判断され、かつ、患者がかかる手術などの積極的治療を希望しているにもかかわらず、8ヶ月以上も手術などが可能な専門医療機関での 診療も受けられず、手術も実施されず、なんら積極的な治療が実施されないということは断じて許されない事態と言わなければならない。かかる治療の遅延は、 患者の予後に重大な影響を与える可能性も高い。
この点、貴所が、まずは、医療刑務所に移送を申し出でて、申立人に肝がんの治療を受けられるように取りはからっていることについては、理解できる。 しかしながら、貴所の説明によると医療刑務所の収容人数に限界があるためか、すでに8ヶ月以上にわたり、申立人の医療刑務所への移送日すら決まっていな い。かかる現状では、医療刑務所への移送日の連絡を待つばかりでなく、刑事施設外の専門医療機関に移送するなどして、速やかに申立人に治療が実施されるよ う努める必要がある。

4 結論

 よって、当会は貴所に対し、勧告の趣旨記載のとおり勧告するものである。
なお、本件の背景には、我が国における刑事施設での在監者に対する専門的治療についての医療体制が極めて乏しい点があるものと思料する。よって、当 会は、本勧告書を、法務大臣および名古屋矯正管区長にも送付し、その抜本的改善を求める。また、刑事施設外の医療機関にも、在監者に対する診療に理解と協 力が求められるものであるから、そのためにいかなる環境整備が必要であるのかなどについて、早急に検討し、協議することが必要であり、当会も、貴所や医療 機関とともに、これに協力するなど、在監者の医療を受ける権利の実現に努力する所存である。

 以上