米国政府は、2026年8月18日、国際刑事裁判所(International Criminal Court。以下「ICC」という。)の赤根智子所長及び上級法廷法律家のアブドゥライ・セイ氏の2名を、2025年2月6日付け大統領令第14203号に基づく制裁の対象に指定したと発表した。これにより、両氏は、米国内における資産を凍結され、米国への入国を禁止されるほか、事実上、米国の金融システムから遮断されることとなる。ルビオ国務長官は、両氏がICCの管轄権に同意していない国の国民等の訴追に関与してきたことを制裁の理由として挙げた上、ICCを「腐敗し、致命的なまでに政治化された超国家的な裁判所」であるなどと非難したと報じられている。
当会は、国際刑事司法機関の長であり裁判官である赤根所長、及び法廷において訴追活動に従事する法律家であるセイ氏を、その職務の遂行を理由として制裁の対象とする本措置に対し、強く抗議する。
第1 ICCの使命と当会のこれまでの声明
ICCは、ジェノサイド犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪及び侵略犯罪という「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪」(コア・クライム)について、「不処罰の文化」を終わらせるために設立された、世界初の常設の国際刑事司法機関である。国家が関与することが多く領域国の国内裁判所による処罰が困難なこれらの犯罪について、法と証拠に基づき個人の刑事責任を追及し、被害者の苦しみに光をあてることによって、人類全体の平和と安全及び人間の尊厳を維持することが、ICCの使命である。
当会は、2025年3月7日、「国際刑事裁判所の独立性と公正性を守ることを求める会長声明」を発し、日本政府に対し、ICCの判断を独立した司法判断として尊重する旨を表明すること、及びICCに対する非協力的な活動並びに制裁の実施に明確に反対する立場を示すことを求めた。しかしながら、その後も事態は改善せず、制裁の対象は主任検察官から次席検察官、そして裁判官へと次々に拡大し、ついに裁判所の長たる所長にまで及ぶという事態に至った。
第2 本措置に抗議する理由
1 司法権の独立に対する重大な侵害であること
裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、法にのみ従うべき存在である。これに対して、裁判官が、司法判断その他の裁判官としての職務の遂行を理由として、資産の凍結や入国の禁止といった不利益を科されることになれば、裁判官は、判断の内容いかんによって自らの身に及ぶ不利益をおそれ、独立してその職権を行うことができなくなる。しかも、制裁の効果は米国内にとどまらない。国際的な金融システムからの遮断は、ハーグにあって職務を行う裁判官の活動基盤そのものを損なうものであって、本措置は、裁判官個人に不利益を与えるにとどまらず、その職責の遂行そのものを妨げる強制力として作用する。これは司法権の独立の中核を否定するものであり、国内の司法制度においても、国際的な司法制度においても、断じて許されるものではない。
2 法律家の職務の自由に対する威嚇であること
今回、裁判官とともに、法廷において訴追活動に従事する上級法廷法律家が制裁の対象とされたことは、看過することができない。本措置は、ICCの裁判官及び職員のみならず、弁護人、被害者代理人、証人、並びにICCに協力する各国の政府、企業及び市民社会に対して、「次は自らの番であるかもしれない」と告げる威嚇として機能する。法律家がその職務の遂行を理由として国家権力から不利益を受けることは、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士にとって、決して見過ごすことのできない事柄である。
3 「不処罰の文化」の復活を招くものであること
本措置は、個々の裁判官等に対する不利益にとどまらず、ICCの活動能力そのものを失わせることに向けられている。ICCが機能しなくなれば、国際社会は、最も重大な犯罪を放置し、「不処罰の文化」を再び許容することとなる。既に締約国の一部には脱退の意向を表明する動きも生じており、事態は、国際刑事司法制度全体の存立にかかわるものである。
第3 日本政府に対する要請
本措置は、対象とされた者の国籍のいかんを問わず、国際社会が半世紀以上をかけて築いてきた国際刑事司法制度そのものに向けられた攻撃である。もっとも、日本は、ローマ規程の締約国であり、ICCの最大の分担金拠出国として、また継続して裁判官を輩出する国として、ICCの活動を支えてきた。日本国憲法は、その前文において、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と宣言しており、ICCの活動を支え、これに対する不当な圧力に反対することは、この憲法の理念に沿った日本の責務である。米国との間に緊密な関係を有する国であるからこそ、率直に是正を求めることこそが責任ある態度というべきである。
よって、当会は、日本政府に対し、以下のことを求める。
1 本措置に対して明確に抗議し、米国政府に対しその即時の撤回を求めること。
2 ICCの判断を独立した司法判断として尊重し、引き続きICCの活動を支持し、これに協力する立場を対外的に明確に表明すること。
3 立場を同じくする締約国と直ちに連携し、本措置を非難する共同声明の発出その他の共同の行動をとること。
4 赤根所長が引き続きその職務を全うすることができるよう、渡航、金融取引その他の実務面において必要な支援を行うこと。あわせて、国内の金融機関等がいわゆる二次制裁のリスクを過度に恐れて過剰な対応をとることのないよう、必要な情報提供及び支援を行うこと。
5 米国の制裁は、制裁対象者と取引した第三国の個人及び法人に対しても米国内での資産凍結等の不利益が及び得る。このような制裁の域外適用によりICCに協力する日本国民及び日本法人が不利益を受けることのないよう、これらの者を保護するための法制度について、速やかに具体的な検討を行うこと。
第4 結び
当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする法律専門家団体として、ICCの独立性及び公正性が守られ、国際社会における法の支配が貫徹されるよう、ICCの取組みを広く支援し、あらゆる形での協力を惜しまないことを、ここに改めて表明する。
2026年(令和8年)8月24日
愛知県弁護士会
会長 長谷川 龍伸

