会報「SOPHIA」 令和元年8月号より

男女共同参画推進本部
「来たれ、リーガル女子!」プロジェクトチーム

 11月3日、『来たれ、リーガル女子!~女性の弁護士・裁判官・検察官に会ってみよう~』が名古屋大学にて開催されます(詳しくは→こちら)。この企画は、国・地方連携会議ネットワークを活用した男女共同参画推進事業の1つであり、中高生を対象として、その中でも特に女性の皆さんに、法曹という魅力ある仕事に興味を持ってもらうべく、平成29年から各地で開催されているものです。今年の開催地は愛知県となり、当日は、現職の女性法曹による講演やパネルディスカッション、少人数でのグループセッション等が予定されています。

 さて、この企画をもっと盛り上げるべく、法曹界の第一線で活躍し続けていらっしゃる女性法曹の方々のインタビューを企画しました。趣旨にご賛同いただき、大変ご多忙の中、インタビューをご快諾くださいましたのは、綿引万里子名古屋高等裁判所長官、赤根智子国際刑事裁判所裁判官、鬼丸かおる元最高裁判所裁判官のお三方です(いずれも、超がつくビッグネーム!)。

 ご自身のご経験やこれからの女性が活躍する社会と法曹のあり方など、様々なお話を伺いました。また、若手法曹や女性法曹へのアドバイスもいただきました。それぞれの方の多様かつ豊富なご経験を、ぜひご一読ください。

綿引万里子
名古屋高等裁判所長官

昭和55年に判事補任官され、東京、岐阜、大阪等の裁判所で勤務された後、最高裁判所調査官、東京地裁部総括、司法研修所教官、東京高裁判事、最高裁判所上席調査官、宇都宮地裁所長、横浜家裁所長、東京高裁部総括等を歴任されました。札幌高等裁判所長官を経て、平成30年9月、名古屋高等裁判所長官に就任されました。東京都ご出身。

赤根智子
国際刑事裁判所裁判官

昭和57年に検事任官され、その後、名古屋、仙台、東京等の検察庁で勤務されました。この間、アメリカ留学、法科大学院の教員等も経験されました。その後、函館地方検察庁検事正、法務総合研究所所長等を歴任され、最高検察庁検事兼国際司法協力担当大使を経て、平成30年3月、国際刑事裁判所裁判官に就任されました。名古屋市ご出身。

鬼丸かおる
元最高裁判所裁判官

昭和50年に弁護士登録(山梨県弁護士会)され、東京弁護士会へ登録替えした後、日弁連両性の平等に関する委員会委員、司法研修所民事弁護教官、東京弁護士会高齢者・障害者の権利に関する特別委員会委員長等を歴任されました。平成25年2月、最高裁判所裁判官に就任され、平成31年2月に退官されました。東京都ご出身。

綿引万里子名古屋高等裁判所長官インタビュー

管内の裁判官や職員には、何かおかしいと思ったら声を上げられる組織を作っていこう、と語りかけています。裁判所が自由な雰囲気を持つ組織であり続けるため、大切なことです。

◇法曹(裁判官)を志した理由・きっかけについて教えてください。

lg1-1.jpg 私が高校生のころは、女性の社会進出が進んでいない時代でした。そのような中で、自分たちはどうやって社会と関わっていくのか、社会にどう貢献していったらよいのかといったことを、クラスの女性たちといつも熱く語り合っていました。

 そうするうちに、私は、国家資格を取得しよう、司法試験を受けようと考えるようになりました。当初は弁護士になろうと考えていましたが、司法修習中、依頼者との利害関係や組織内の指揮命令系統に縛られることなく、紛争に真正面から向き合い、公正妥当と考える解決を導くことができる点に、裁判官の仕事の精神的な自由さを感じ、裁判官の道に進むことにしました。

◇左陪席から単独のころのお仕事で、自分としてよい仕事ができたと思う事件を教えてください。

 今振り返って、よい仕事をしたと満足できる事件は思い出せません。むしろ、失敗したこと、そこから学んだことばかりを思い出します。

 特に印象深いのは、初任のときに担当した国家賠償請求訴訟事件です。この事件は、ひき逃げ事件で無罪になった元被告人が、公訴提起の違法と起訴後の勾留更新の違法を理由に損害賠償を求めたものです。私は、刑事裁判官は、直接主義の原則の下、公判のいずれかの段階で無罪の心証をとっているはずで、無罪の心証をとった後も勾留更新をしたとすればそれは違法なのではないか、では裁判官はいつ無罪の心証をとったのだろうかという点に問題意識を持ちました。しかし、その問題意識が審理を通じて解消されることのないまま、弁論が終結されてしまいました。もやもやした思いを抱えたまま、公訴提起に無理があったのではないか、そうだとすると勾留更新にも無理があったのではないかと強引に考え、公訴提起と勾留更新を違法とする判決を起案してしまいました。しかし、よくよく考えてみると、有罪認定に必要な心証の程度と公訴の適法性を肯定できる嫌疑の程度、勾留更新の適法性を肯定できる嫌疑の程度は全くレベルが違うはずです。少なくともその点の検討が全く不十分でしたし、何より自分自身が抱いた問題意識を解消することがないままこの判決をしてしまったので、判決が出た後に様々な批判を受ける中で、自分の仕事に対する姿勢について大変反省し、後悔しました。この事件は、裁判官として一生忘れることのできない戒めの事件となり、以後、私は、自分自身が納得できないまま判決をすることは決してするまい、と心に決めています。

 また、初任明けの岐阜地裁での住民訴訟も印象に残っています。この事件は、いわゆる宴会行政の違法を問題とする住民訴訟事件で、2件が係属していました。宴会に税金を使うというようなことは許してはならないと、若い正義感で大いに張り切って臨みました。2件のうちの1件は、宴席に芸者を招いていたことなどが問題となった事件だったのですが、証拠として提出された請求書上に「花代 24本」という記載があるのを見つけた私は、当事者からの主張がないにもかかわらず、芸者を24人呼んだという事実認定をしてしまい、これが合議体の事実認定にもなってしまいました。花代の単価がたしか3千円であったことからも花代24本の意味は芸者24人分とは異なることは明らかであるにもかかわらず、代理人とその意味について議論をすることもなく乱暴な事実認定をしてしまいました。控訴審では、他の1件については一審の請求認容判決が維持されたにもかかわらず、この件については代理人から芸者24人の事実認定の誤りを強く指摘され、一審の請求認容判決が取り消されてしまいました。この事件は、証拠の評価や事実の見方について当事者と議論をし、裁判所が事件をどのように見ているかをしっかり伝えていくという私の審理スタイルの原点となりました。

 このように、最初の10年は無我夢中で頑張って、それでも失敗しましたが、その反省から学ぶことの方が多かったように思います。

◇最高裁調査官もされていましたが、裁判官として法廷に出て裁判に携わる場合と調査官として裁判に携わる場合とで意識・感覚の違いがありましたら教えてください。

 最高裁は法律審であるため、原審の事実認定を基礎とした法律判断が求められるという点で一審などとはその役割が全く違います。

 最高裁には、理由齟齬や理由不備に名を借りた認定非難や独自の見解に基づく法令解釈の誤りを上告理由や上告受理の理由とする事件が多数係属しています。そのような事件の中から、最高裁が真に判断を示す必要がある事件をきちんと拾い上げるということが調査官として最も神経を使う仕事でした。大げさに言うと、砂の山の中から一粒の砂金を見つけ出すような仕事です。さらに、最高裁が判断を示す事件については、最高裁の判断が社会に与える影響を十分に考え、この判断はどんな社会を作ることになるのだろうか、下級審の審理判断にどのような影響を与えるのだろうか、下級審を混乱させることはないだろうかといったことを考えながら、徹底的な調査を重ねました。

◇部総括判事もされていますが、印象に残っていることがありましたら教えてください。

 東京地裁の部総括判事に就いたとき、代理裁判長を含め裁判官室8名、うち左陪席4名、書記官室も20名近い大所帯を預かることになりました。とにかく、自分が担当している個別の事件のことだけでなく、部の事件処理のやり方などを皆できちんと話し合って行うことを心がけてやっていました。私の机の近くに、主任裁判官以外の左陪席も集まってきて、ある事件の争点についてホワイトボードを使って侃々諤々の議論をするということは日常茶飯事でしたし、書記官室に顔を出せば、書記官事務についての質問が飛んできて、書記官室の真ん中に椅子を置いて、若い書記官たちと議論をすることも頻繁にありました。特に、左陪席には、まずは自分の言葉できちんと筋の通ったわかりやすい判決を書けるように、そして、部を卒業するときには単独体の訴訟指揮の基本はマスターできるようにという目標を持って接していました。教育的な役割も果たしていた部だったと思います。

◇現在、名古屋高裁長官のお仕事をされている中で心がけていることなどありましたら教えてください。

 長官という立場になると、現場の裁判官や職員と直に話す機会は少ないのですが、できるだけ裁判官、職員の生の声を聞き取り、組織を活性化するために私自身の思いを伝えることが大切だと思っています。

 今、私が管内の裁判官、職員に語りかけていることは、何かおかしいと思ったら声を上げられる組織、前例と違うことを言う人がいたり、上級庁の方針と違う意見を言う人がいたりしても、それを頭から否定しないで皆で考えられる組織、それを改善に活かしていける組織を作っていこう、ということです。これを続けることにより、皆がいろいろと意見を言える組織となり、それが事務改善にもつながるのだと思います。何より、裁判所が自由な雰囲気を持つ組織であり続けるために、大切なことだと考えています。

◇裁判官としての様々な役職、司法研修所の教官を務められた経験から、法曹にとって大切な能力や適性はどのようなものだと考えていますか。

 法曹にとっての大切な能力や適性というのはいろいろとあると思っています。若い頃は、論理的分析力や決断力が何よりも大切だと考えていました。しかし、最近では、共感力、包容力のようなものがより大切だと考えるようになりました。ある文献の中で、「無慈悲で人情味のない者によってはよい紛争の解決はあり得ない」と述べられていましたが、そのとおりであると思います。

◇これまでの経験等から、弁護士に対し、こうあってほしい等の要望がありましたらお聞かせください。

 最近、代理人の弁護士が、プロとして最低限のスキルを欠いているのではないか、と感じることが増えてきているような気がします。例えば、訴状や控訴状などを見ると、とてもプロが作成したとは思えないものが少なくありませんし、訴訟提起前の準備や交渉についてもそのように感じることが少なくありません。ちゃんと事前交渉をしていれば解決していたのではないかと思うこともあります。

 若い代理人弁護士の対応で印象に残っている控訴審で経験した事件を一つ挙げます。ある工場で外国人労働者の女性が手を機械に巻き込まれ、手に後遺障害を負ったという事件がありました。原告代理人は、原告による機械の操作ミスを否定し、安全配慮義務違反の主張に終始していましたが、義務違反の具体的内容がきちんと特定されていませんでした。対する被告会社側は、事故後に機械の検証をしていて、証拠上も機械に問題があったことはうかがわれず、社員教育についても問題はみられませんでした。ただ、その女性は小さな子どもを抱えていたにもかかわらず、手に重い後遺障害が残ってしまいましたので、裁判所として被告会社側を説得し、かなり高額な和解金を支払う解決の内諾を得ました。しかし、原告代理人は、当事者本人を説得することもなく、裁判所が当事者本人を説得することも阻んだ上、自分の主張が最高裁で認められる蓋然性についての判断もきちんと行わないまま「まだ最高裁があります」と言って和解を受け入れませんでした。

 当事者に寄り添うことは代理人にとって、とても大切なことだと思います。しかし、一方で当事者に同化しすぎてしまうこともどうなのか、法律専門家として冷静な判断ができることの大切さをこの事件を通して強く感じました。

 よい裁判制度のためには、法律家相互の信頼関係が大切です。これからも、弁護士と裁判官が、お互いの立場を尊重し、お互いに信頼し合える関係でありたいと思います。

◇現在、裁判所がどのような課題を抱えているかについて教えてください。

 課題は山積しています。民事訴訟について言うならば、今まで経験したことのない事件が多くなり、争点整理が難しくなっているように思います。争点整理のあり方について腰を据えて考えないといけない時期に来ています。

 また、裁判制度は社会の下支えをしている制度であり、国民がどのような裁判制度を望んでいるのかをしっかりと考える必要があると思います。例えば、裁判のスピードについての国民の感覚や、しっかりと調べてほしいという思いを汲み取りつつ、あるべき裁判手続を考える必要があるように思います。現在、民事訴訟のIT化に向けた検討が進んでいますが、単に現在の民事訴訟手続の中にIT機器を取り込むという作業になってしまうと、民事裁判が扱う情報量が莫大なものになってしまい、下手をすると、情報の洪水に民事裁判が溺れるような事態になりかねません。IT機器を利用できることを前提に、あるべき民事訴訟手続を考えるよい契機と捉えることが必要です。

◇修習期間中に1人目をご出産され、任官2年目に2人目をご出産されたとのことですが、育休・産休などはどうされましたか。

 1人目は、産休も育休もなく、司法修習生としての休暇取得の範囲で何とか乗り切りました。2人目のときも、まだ育休制度がなかった時代で、法定の産前休暇、産後休暇だけで何とか乗り切りました。出産直後は近くに母や義母がいたので、何とかなったというところです。

◇お子様が小さかった頃、ご家庭の家事・育児でどのような苦労がありましたか。

 1人目が3歳半、2人目が1歳半で、岐阜に異動したとき、初めて母や義母の援助なしに仕事と育児を両立させなければならない状況となりました。住まいは岐阜で、夫は名古屋勤務だったので、保育園の送り迎えは私が行いましたが、当時は牧歌的な時代で、午前9時過ぎに保育園に送り、午後5時には裁判所を出て迎えに行くことができるという状況でした。ただ、午後5時以降に裁判所にいなければならない状況になったときには、子どもを保育園から裁判所に連れてこなければならないこともあり、薄氷を踏む思いは何度かしました。ただ、そうした中でも裁判所の職員の助けも借りながら、何とか乗り切ることができました。

◇そのような苦労をされていた中で、仕事と家事・育児の両立にどのように取り組まれていましたか。

 仕事の時間と家庭の時間を振り分けるということを心がけてやっていました。具体的には、仕事を家庭に持ち込まない、仕事には持てる時間の中で最大のパフォーマンスを上げるという姿勢で臨み、仕事に割り当てた時間を超えて仕事をするということはしないようにしてきました。同僚の中には、家事・育児にほとんど時間を使う必要がない人もいましたので、羨ましく感じたり、焦ったりしたこともありましたが、割り切ることを心がけました。

 他方、家事・育児については、完璧にこなそうということは考えず、人手を借りることができるところは人手を借り、自分なりにこだわるべきことにこだわるという姿勢でやってきました。全てをきちんとやろうとするとパンクしてしまいますが、これだけはちゃんとやろうと頑張るというのは、両立のためにはよいことだったと思います。

 また、睡眠時間を削らないことも意識しました。限られた時間の中で最大のパフォーマンスを上げるには、自分をベストな状態に保つ必要があります。睡眠時間を削ることは、かえってマイナスです。

◇最後に、法曹志願者、司法修習生、若手法曹へメッセージをお願いします。

lg1-2.jpg 何のために法曹になりたいのか、法曹として社会にどのように貢献したいのかをしっかりと考えることが大切です。そして、法曹になることを決めたときの志を忘れずに仕事をしてほしいと思います。

 失敗することもあるでしょうが、その経験からは学びや教訓が得られます。失敗したときも、気にしすぎないことです。

◇左陪席の頃の失敗談から家事・育児まで幅広く、深く、お聞かせいただきました。お忙しい中、本当にありがとうございました。

赤根智子国際刑事裁判所裁判官インタビュー

最短距離でうまくやる必要は全然ありません。今、縁のあることに一生懸命取り組めば、大抵は、道は開けますし、また、開けなくともそれはそれでいいのではないか、と思います。

◇法曹を目指した理由、きっかけと、その時期等を教えてください。

 中学生のころは、化学者になろうと思っていました。ただ、高校2年生で文系に進むことを決めました。

 法曹を意識したのは、大学3年生のころです。このときは、弁護士になろうと思いました。弁護士を目指した理由は、生涯意義のある仕事をしたいと思っていたところ、弁護士は人を法律によって助ける仕事だと考えたためです。また、当時から、精神的にも経済的にも自立するために仕事をするべきと考えていましたが、弁護士なら、男女関係なく、自分の力で仕事が続けられると思いました。

 検察官という仕事を意識したのは、司法試験に合格した後です。検察実務修習を経験し、事実をとことん明らかにしようとする仕事に興味がわきました。また、私はもともと勧善懲悪でできている時代劇が好きだったこともあり、検察の理念に共感し、検察官になることにしました。

◇検察官としての仕事について、お話をお聞かせください。

 刑事事件は、犯罪者にとっても被害者にとっても、きわめてまれな出来事で、人生を変えてしまうことでもあります。刑事事件に関する過去の事実を明らかにして、被疑者や被告人の責任を追及する(あるいは起訴しない)選択をすることは、社会にとって誰かがやらねばならない必要な仕事です。

 以前、ある交通事故の事件を担当しました。子どもが道路を渡るときにバスに轢かれて死亡したという事件で、バスの運転手が被疑者でした。被疑者の運転手は、当初は自分の見落としを認めていたのですが、途中で「子どもが飛び出してきた」と否認に転じました。複数の目撃者は、いずれも小学生の子どもたちでした。最初の検察官が不起訴にしたところ、被害者遺族である親御さんが申し立てた検察審査会で不起訴不相当と判断され、その後の再捜査を私が担当することになりました。

 私は、目撃者の子ども全員から直接話を聞き、実況見分をやり直しました。そして、目撃者の子どもたちにも法廷に立ってもらう前提で、ギリギリだが、起訴できる、と判断しました。しかし、上司に相談したところ、子どもを法廷に呼び出すことの是非などが議論となり、結果、不起訴にしました。

 自分の未熟さを感じました。ですが、親御さんといろいろなお話をし、最終的に、不起訴という判断に納得してもらいました。起訴できなかったという意味ではうまくいかなかった事件でしたが、強く印象に残っています。

◇名古屋大学法科大学院と中京大学法科大学院で派遣検察官として教鞭を執られています。この間、どのようなことがありましたか。

 派遣検察官として法科大学院生を教えることは、法曹として歩んできた自分の姿を振り返ることにつながることを実感しました。刑法や刑事訴訟法の理念や実際を見返し、新たな発見をしたこともありましたし、研究者や弁護士、裁判官との交流もでき、法律家の世界を改めて知ることができました。

 法科大学院生に実務の醍醐味を伝えたいと強く思いました。実務をやる上で、本当に重要なことは何か、どうでもよいことは何か、を伝えることが、私の役割だと思っていました。そのため、伝え方も工夫しました。自分の経験に照らして、いろいろと事例問題を作りました。これは、とても面白かったです。また、事実と正義を追求する姿勢を持っていてもらいたいとも考え、そのために自分の経験を話しました。

 優秀な教え子たちに恵まれ、将来の法曹界(またその周辺領域)に夢を抱くことができました。その後、法務総合研究所で検事や若手職員を育成することにも携わり、法科大学院のときに学んだことも活かすことができました。その意味でも、法科大学院は、私の人生のひとつの転換期になったように思います。

◇国際的な活動にも関わっていらっしゃいます。どのような経緯だったのでしょうか。

 アメリカ留学は自分で決めました。国内法との比較研究をしてみたいという気持ちなどがあったからです。アメリカ留学から帰国してから数年後、法務総合研究所の国連アジア極東犯罪防止研修所の教官になりました。

 その後、国際的な部署での仕事をいくつか経験しました。

◇国際的な場において、日本の法曹が活躍できる機会や可能性について、いかがお考えでしょうか。

 国際的な場で日本の法曹が活躍できる機会は、無限にあります。今は、個人や企業の国際的な訴訟も増えています。国と国との争いも国際機関で審理されることが増えました。外務省での条約交渉にも法律家は必要だし、WTOの訴訟にも日本人弁護士だけで臨めるようになって欲しいと思います。そのほか、国連などの国際機関にも、活躍の場はたくさんあります。

 現時点では、これらの場に日本の法曹は数えるほどしかいません。正直、物足りなく感じますし、寂しくもあります。

 今後、日本の法曹が、もっともっと積極的に参加していくことは、その法曹個人の可能性を大きく広げるでしょうし、また、日本の国益にもつながります。

◇日本の法曹が、今後、もっと国際的な場で活躍するには、何が大切ですか。

 まずは語学力でしょう。能力が高くても語学力がないと外国人に伍していけません。それから、度胸も大事です。これらのためには、若いうちに海外でインターンや法律事務所で働く経験を積むことも有益です。

◇国際的な視点から見たとき、日本の法制度や法曹には、どのような特徴や強みがあるとお考えでしょうか。

 日本の法制度は、法体系がしっかりしています。また、実務が確立し、かつ、きちんとなされていて、事件処理や判例のブレが少ないといえます。また、日本の法制度は、汚職と無縁です。皆が、まっとうな裁判でまっとうに戦い、負けるとしても、まっとうに負ける。これは、日本にいると当たり前ですが、国際的に見ると、誇るべき点だと思います。

 日本の法制度や法曹の質は国際的に見ても高いので、日本で活躍している法曹なら、言葉の問題さえクリアすれば、国際的な場でも、十分に力を発揮できるはずです。

◇現在、国際刑事裁判所の裁判官をされています。どのような経緯だったのでしょうか。

 日本国として国際刑事裁判所裁判官候補に推薦されたのは、2016年4月の閣議了承です。同年6月に最高検検事のまま外務省に移り、それから、国際的な場で選挙活動を始めました。多くのご関係者の方のご尽力もあり、支持を広げることができ、2017年12月の国際刑事裁判所加盟国会議の選挙で、当選することができました。任期は、2018年3月から9年間です。

◇国際刑事裁判所とは、どのような組織なのでしょうか。

 国際刑事裁判所は、ローマ規程という条約により、2002年7月、オランダのハーグに設立されました(このローマ規程は、国際刑事裁判所の基本法でもあります)。よく国際司法裁判所と間違えられますが、まったく違う組織で、国連の機関ではありません。

 日本は、2007年にローマ規程を批准し、それ以来、裁判官を出してきました。最初の2人は外務省出身の国際法の専門家でした。私は、日本の刑事司法専門家としては初めての国際刑事裁判所裁判官です。

 国際刑事裁判所の裁判官は、全部で18名です。加盟国は1名の裁判官候補を出すことができますが、同じ国から2名以上を選ぶことはできません。女性裁判官の人数は、今は私を入れて6人です。

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国際刑事裁判所の裁判官たち

◇今、どのような仕事をされていますか。

 国際刑事裁判所には、予審裁判部、第一審裁判部、控訴審裁判部があり、私は今、予審裁判部にいます。ここに所属しているのは、イタリア出身の刑事司法の専門家、コンゴ民主共和国出身の国際法の専門家、そして私という3人の裁判官です。

 予審裁判部の成り立ちや仕事は、かなり説明しにくいです。きわめて簡単に言うと、国際刑事裁判所の検察局からの要請を受けて逮捕状を発付することや、逮捕された被疑者を第一審の裁判に付してよいかどうかを決める役割を担っています。日本の令状裁判官と検察官の起訴前の仕事を足して2で割ったようなものでしょうか。ただし、捜査はしませんし、したがって取り調べもしません。検察局から送られてくる証拠(主に書面)を見て主張を聞き、弁護側の主張と証拠を見て、被疑者を公判に送るか、そこで手続を打ち切りにするかを決めます。証拠のあるなしが決め手となります。

◇具体的には、どんな事件があるのですか。

 中央アフリカの内戦時に、戦争犯罪ないし人道に対する罪を犯したとされる2人の被疑者を、我々3名の裁判官で担当しています。

 2人の被疑者は、我々が出した逮捕状で逮捕され、今、ハーグの拘置所にいます。将来の公訴事実となるようなものは、検察局から送られてくるはずですが、まだ送られてきていませんので、どうなるかわかりません。

 第一審に送るまでの勾留期限は特に定められておらず、これが非常に長くなる傾向があるので、これについては懸念しています。この事件の2人も、既に8か月と9か月がそれぞれ経過しています(2019年8月5日現在)。

◇日本における刑事裁判との共通点や相違点は、どのようなところにあるのでしょうか。

 どういう場合に事件を立件できるかとか、捜査の仕方とか、証拠方法がほぼ証人尋問に限られてしまうことなどは、大きく違います。また、証拠開示方法も違いますし、被害者参加の方法もかなり異なります。

 もっとも、いざ、事件が始まってしまえば、日本の刑事裁判と同様と考えてよいと思います。特に、事実認定や証拠判断の考え方は、共通です。日本での刑事司法分野での経験や専門性、という私の強みが活きています。

 一方、様々な国出身の裁判官と共に事件を担当しますので、苦労の連続です。

 まずは言葉。私は英語でしか意思疎通ができませんが、ほぼ全員フランス語もできるし、スペイン語やイタリア語も飛び交っています。

 次に、コモンロー系と大陸法系との違い。大陸法系の我々は、法律にないものはできない、と考えます。しかし、コモンロー系は何でもありで、禁止されていなければやっていい、という方向に傾きがちです。たとえば、ローマ規程には執行猶予の規定がないのですが、第一審裁判官が判決に執行猶予をつけたことがありました。結局、この判断は控訴で取り消されたのですが、私は、「執行猶予期間はどうするの?」「どんなときに執行猶予を取り消すの?」など、いろいろなことが頭に浮かび、とても驚きました。

◇国際刑事裁判所は、今、どのような課題を抱えているのでしょうか。

 課題は山積しています。国連安全保障理事会による国際刑事裁判所への付託も可能であるところ、アメリカ、中国、ロシアのような超大国が参加せず、むしろ敵対的であること、加盟国が122か国にすぎず、管轄等の点で問題になること、検察官の国際捜査が、加盟国の協力に依拠するため困難を抱え、重要な事件をなかなか立件できないこと、国際刑事裁判所を作ったときの理想(世界から虐殺や戦争犯罪などについての不処罰をなくす)と現実(きちんと捜査し、刑事裁判を経なければ、処罰はできない)とのギャップ、などです。

 これらの課題に取り組みながら、今後、世界の中で存在感を示し、真に有用な国際裁判所となっていくべきだと思いますし、そのために、私も、できる限りのことをしたいと考えています。

◇お話を伺い、多彩なご経歴を実感します。このようなキャリアを歩むことを、法曹を目指したころや検察官となったころから、ある程度考えていたのでしょうか。

lg2-2.jpg 全然考えていませんでした。途中までは普通の検事だったのに、その後まったく想像していなかった展開になり、自分でもびっくり。

 私は、自分の人生の長期的な計画のようなものは、まったく立てていません。検事になったときにも、周りの知人から、「3年持つかな?」といわれ、「まあそうかもね」と思っていました。

◇今後について、お聞かせください。

 とりあえずは、日本の法曹、特に若い人たちに、国際刑事裁判所をもっと知ってもらいたい、と思っています。また、国際的な業務全般に興味を持ってもらいたいです。日常の中でも、日本の世界における役割や位置づけを考えながら仕事に取り組んでほしいと思っています。

 私自身、国際的な活動に関与することになり、世界の中の日本を感じることで視野が広がりました。日本という国が、将来、この世界の中でどうあるべきかを、自分事として考えるようになりました。私たち一人一人がこのような意識を持ち、日々必死に考えないと、日本が衰退していく可能性もあるという危機感さえ抱くようになりました。

 そのために、国際刑事裁判所を訪問される方々には、私なりにできる限りのことをします。ぜひハーグまで来てください。

 あとは、目の前の仕事を着実にこなしていくことに小さな目標を置いています。9年間の任期が終わるときには71歳目前ですが、まずはそこまで、自分の役割を果たします。

◇若手法曹や女性法曹に向けたメッセージをお願いします。

 法律がすべてだとか全能だとか思わないことが大切です。自分をえらいと思わず、他人の言うことに耳を傾けることも大切です。法曹の常識は、世間では非常識かもしれません。今後、法曹の仕事を続けるにせよ、そうではないにせよ、法曹以外の仕事にも目を向けて欲しいと思います。

 やりたければ、そのエネルギーは湧いてきますし、何かしら道は見つかるものです。特に最近の若い方は、無駄や回り道や失敗を避けようとする傾向にある気がしますが、最短距離でうまくやる必要は全然ありません。それよりも、与えられたことでも、好きなことでも、今、縁のあることに一生懸命取り組めば、大抵は、道は開けますし、また、開けなくともそれはそれでいいのではないか、と思います。

◇国際刑事裁判所の仕事やダイナミックなキャリアの展開など、たくさんの魅力的なお話をお聞かせいただきました。長時間にわたり、ありがとうございました。

鬼丸かおる元最高裁判所裁判官インタビュー

弁護士は、依頼者と一緒に走るわけです。依頼者の経験を自分の経験であるかのように味わえます。やってみると、弁護士は非常におもしろい仕事でした。

◇法曹を志したきっかけを教えてください。また、法曹を意識したのはいつ頃でしたか。

 法曹になろうとはっきり意識したのは、高校2年生くらいでした。ただ、漠然と法曹の道に行きたいと思い始めたのは、小学5年生くらいからだと思います。私が小学生の頃はまだ男女差別が激しくて、どこの家を見ても、お母さんは主婦業をしていて、自分の将来は主婦しかないのかという疑問を持ちました。自分は男性のように好きな仕事をし続けたいと思ったのが、最初のきっかけです。

 そのためには資格を取る方がいい、そのためには勉強をしないといけないと思い、勉強と併行して自分に適した資格を探していき、最終的に、法曹資格であれば、ずっと働き続けながら、しかも、男女差別の問題にも取り組んでいけると思いました。

◇最初から弁護士志望だったのですか。

 私はどちらかというと人付き合いがあまり得意でなく、しゃべることも好きではないので、弁護士は当初念頭になく、漠然と裁判官の方が良いのかなと考えていました。

 しかし、裁判官は転勤がありますよね。私は、家庭も欲しいし、子どもも欲しい。できれば家族はいつも一緒にいたい。そうすると法曹の中では弁護士しかない。このような消極的な選択で弁護士を選びましたが、やってみると弁護士は非常におもしろい仕事でした。

◇弁護士のおもしろさはどのようなところにあったのでしょうか。

 人の経験を自分の経験にできるところ、でしょうか。しかも、お金をいただいて。弁護士は、依頼者と一緒に走るわけですよね。依頼者の経験を自分の経験であるかのように味わうことができます。

 事実は小説より奇なり、といいますが、本当にそうです。しかも、自分が入りこむこともできます。

◇弁護士登録をされた際、事務所に所属されたほか行政のインハウスとしても勤務されたそうですが、どのような経緯だったのですか。

 私が最初に弁護士登録をしたのは山梨県でした。当時の山梨県では、国体の誘致や刑務所の移転問題があったほか、近い時期に未熟児網膜症訴訟が提起されることがわかっていました。当時、甲府には女性弁護士がいなかったため、注目していただき、甲府市から声がかかったのです。また、私は大学のときに行政法と財政学を選択していましたが、当時の弁護士にしては珍しいこの選択も、先方の要望に合致していました。このような経緯から、勤務弁護士と行政のインハウスを兼任することになりました。

◇弁護士登録3年目の終わりに、東京に登録替えをされたのですよね。

 私はもともと東京出身だったので、東京への登録替えを考えました。

 登録替えの際には、どのような事務所なら自分にあった仕事を継続でき、育児も可能かを考えました。当時の弁護士は、深夜まで働くのが当たり前でしたが、私は、すでに2人の子どもがいましたので、それは無理でした。そこで、子どもを育てつつ弁護士としても働けることを優先し、事務所を選びました。入所した事務所は、当時は、女性だけが集まっている日本で唯一の事務所でした。女性からの依頼は非常に多かったですね。

◇法曹に必要な感覚や能力はどのようなものだとお考えですか。

 争点を早期に見出す分析力とその嗅覚ですね。それと熱いハート、熱意だと思います。

 嗅覚というのは難しいですが、これは弁護士経験を重ねたあとにできる、分析力のもっと進んだところだと思います。

 最初法律を勉強したときは、数学の感覚が活きるところだな、むしろ文系よりも理系だなと思ったぐらいです。複雑に入り組んだ事実の中で争点を見つけていく作業が、幾何学の問題で図形に補助線を描く感覚に似ていると感じました。

◇長年の弁護士経験を経て最高裁判事に就任されましたが、まずは最高裁判事の職務について具体的にお聞かせください。

 最高裁判事には、大きく2つの役割があります。ひとつは、司法部の代表としての役割。もうひとつは、裁判所のトップに立つという役割です。

 司法部の代表として仕事をするというのは、三権分立を具現化する仕事で、三権の代表者が宮中に行って行事に参加したりします。

 そのほかの日は裁判の最終審としての仕事をしており、9時から9時30分頃に当庁して、17時頃には帰ります。仕事の仕方は三つの小法廷各々違いがあるようでした。

 私の具体的な1日は、だいたい9時30分にはスタートします。朝登庁すると、いわゆる持ち回り事件の記録が机にどんと積んであって、効率よくこなせるような順に並んでおり、1日だいたい平均13~20件くらいの事件を処理します。多くはそのまま持ち回りで処理(棄却・不受理・却下)することになります。

 記録の回る順番は主任、つまり裁判長になる人が最初に見て、あとは部屋の順に見るようになっています。持ち回りになる事件のほかに期日審議になる事件がありますが、調査官が先に主任裁判官と相談して期日審議事件として小法廷の裁判官全員に一斉に通知して資料を配付します。

 持ち回り事件でも、1人の裁判官でも反対の結論の可能性を考えれば、期日審議に回すことができます。ただ、審議は頻繁にあるわけではなく、週に1回もないくらいの割合ですが、1回の審議で2、3件の期日審議をすることも少なくありません。

◇最高裁判事に就任された際に性差について言及されていましたが、性差に関して印象に残った事件などはありましたか。

 具体的な事件を取り扱う中で、無意識のうちのことだと思いますが、性差、弱者・強者の差を感じた経験が、いくつかありました。

 ひとつは、性犯罪の被害者の感覚のことです。性犯罪のことを「魂の殺人」という表現をすることがあります。しかし、男性と女性の間では、そのような感覚の受け止め方に違いがあるように感じることがありました。

 もうひとつは、夫婦別姓制度の訴訟です。女性とは限りませんが、名前を変えた人に、どういう不利益があり、面倒なことがあるのか。いろいろな煩わしさがありますし、アイデンティティにも影響します。ですが、弱い立場に立ったことのない人は、この微妙な差をわかっていない感じがしました。

 他には、保護責任者遺棄致死の事件も印象に残っています。女性が幼児を遺棄した、というとても悲惨な事件がたまたま2件あったのですが、片方の事件は、父親の男性は事件の当事者ではありませんでした。離婚して女性が子を引き取れば全責任をとるのが当たり前で、男性は関与しないでいることに刑事責任はないのだろうか、とずいぶん悩んだことがあります。

◇最高裁判事として、どのような事件を難しいと感じましたか。

 最高裁判所判事にとっての難事件は、社会的に騒がれている事件とは違うと思います。

 私の場合、立法趣旨がわからないものを難しいと感じました。立法当時、学者が議論していたり、国会での議論があったり、何らかの議論があれば、それを土台にして現代に引き直すことができます。しかし、全く議論されていない条文が争点になったものや、2つの法律があるのにその間の関係が考えられていないものは難しかったです。

◇判事の出身(裁判官や弁護士、検察官など)によって、考え方や事件に対する取り組み方の違いを感じることはありましたか。

lg3-1.jpg それは感じました。もちろん最終的には人柄、個性がものをいうと思いますが、たとえば裁判官出身の判事は、要件事実や構成要件に当てはまるかという見方から入る、弁護士出身の判事は、生の事実に注目する、といった違いを感じました。

 また、外交官出身の方は、グローバルの中の日本という視点から考えることが多いので、ここが弁護士や裁判官とは大きく違うように感じます。

 とはいえ、リーガルマインドの部分では、不思議なくらい一致していましたね。

◇最高裁判事を経験されていかがでしたか?

 自分の考えたことや意見をきちんと受け止めてもらえる、といううれしさがあります。弁護士ですと、自分としては大切な点と思い、力を入れて準備書面に書いても、裁判所からはなかなか理解を得られないことも多いです。しかし、最高裁では、自分の意見や考えを表現できます。もちろん、それ相応の責任があり、苦しみもありますが、自分の表現によって、立法府や司法界に何らかの気づきを与えることができるかもしれないし、広く一般の方にも何かを訴えかけることができたように思います。これは、一弁護士ではできないことでした。悩み苦しみましたが、楽しくもありました。

◇弁護士と裁判官を両方経験されて、法曹の魅力はどのようなところにあると感じましたか。

 私は、やはり、紛争を解決することに価値や魅力を感じます。

 法制度の最終的な目的は、紛争解決です。これは、裁判所も弁護士も同じです。紛争というのは社会的な病気のようなものであり、法制度は、いわば社会的な医者制度のようなものだと思います。訴訟での紛争解決は、手術を受けるようなものです。

 紛争解決の仕方には、いろいろなものがあります。弁護士としては、もちろん依頼者がいますので、依頼者の満足を無視することはできませんが、必ずしも依頼者の目先の満足だけに拘束される必要はなく、より長いスパンで見たときの満足や、もっといえば、社会から見たときのよい解決も考えてもいいですし、私は、考えるべきだと思っています。

 これこそが、弁護士の役割であり裁判官の役割でもあり、同時に、法曹の魅力です。

◇子育てと仕事の両立で苦労されたことなどはありますか。

 修習中に出産しましたので、弁護士になった時点で、子どもが1人いました。そして、弁護士になって2年目に、2人目の子どもを出産しました。

 山梨のときはイソ弁でしたが、そのときのボス弁は、私が2人目を生んですぐの時期に、倒れてしまいました。そのため、私がボス弁の事件を全部担当しなければいけない状態になりました。当時は、自治体のインハウスもしていましたので、週の平日の半分は自治体で働き、あとの半分で、もともとボスが担当していた約120件の事件の処理をする、というおそろしいことをしていました。そのうえ、土日は小さな子どもたちと一緒です。若かったからなんとかやれたのだろうと思います。

 しかし、弁護士になって間もない時期にこんな経験をしましたので、何事も手早くするコツが、自然と身に付いた気がします。期日から帰ったらすぐに依頼者に報告を済ませ、次回期日に向けた準備を始めてしまう、といったことです。なんでも前倒しで取り組むようにしてきました。

 子育てについては、いろいろありました。不登校も体験しました。また、当時は、学童保育も今のように充実していませんでしたし、私の場合は、親の助けを全面的に得られるわけではありませんでしたので、公的な援助が主でしたが、今のようには充実していませんでしたから、綱渡り生活でした。子どもが学童に行かないで逃げ出す、といったこともありました。ただ、今振り返ると、楽しい思い出です。

◇法曹の仕事と子育ての両立について感じられることはありますか。

 弁護士は、自分の働き方をコントロールできます。仕事の量を減らしたり、夜に仕事を入れないようにしたりといったことが可能なので、子育てと仕事を両立しやすい仕事ではないでしょうか。

 裁判官も、自分の仕事をコントロールできます。概して、法曹界は、女性が働きやすい環境が整えられた世界だと感じます。

◇今後の目標などをお聞かせください。

 これからの時代は、法曹に限らず、いろいろな人がリーガルマインドを持つことが大切だと思っています。

 そのためには、子どもへの法教育が大切なのではないでしょうか。リーガルマインドを、あいうえおを覚えるのと同じように覚えてもらうことで、自然とリーガルマインドを身につけてもらえます。

 私は、弁護士をしていたときから、子どもに法の教育が絶対必要、少なくとも法律の素養が必要だという持論をもっていました。

 今後は、このようなことに少しでも役に立てたら、と思っています。

◇若手法曹や子育てをしている法曹へのメッセージをお願いします。

 子どもにとって、父親と母親は、1人ずつです。ですから、子育ての時期は、できるだけ子どものための時間を作ってほしいと思います。

 ただ、子どもは、親のことをよく見ています。親が、一生懸命に、そして、楽しく仕事をしていると、子どもはそれを無視しないものだと思います。

lg3-2.jpg 仕事には何度も岐路が訪れますが、常に少しだけ背伸びをして難しい方を選択することが大切だと思います。私の場合は、司法研修所の教官の話をいただいたときが、その岐路でした。まだ子どもが小学生でしたので、ずいぶんと迷いましたし、いろいろな人に相談もしましたが、ここまで頑張ってきたのだし、もうちょっとだけ頑張ってみようかと思い、引き受けました。自分の120%を出す意識でしたが、いつの間にかそれが100%になり、やがて90%になって余裕が生まれていった気がします。少し難しい方、少し難しい方を選び続けると、結果的に自分の能力を引き出せるように思います。

 失敗することもあるかもしれません。ですが、法曹界では、どんな失敗も糧となって次の成功のもとになります。ぜひ、積極的にいろいろな経験をしてほしいと思います。

◇弁護士の魅力や、最高裁判事の具体的な職務、仕事と育児の両立など、多岐にわたって貴重なお話をお聞かせいただきました。お忙しい中、本当にありがとうございました。