公害対策・環境保全委員会(以下「当委員会」)は、昭和45年5月に人権擁護委員会に公害部会として設置され、翌年4月に同委員会から独立し公害対策委員会として発足し、本年度で発足50周年となる節目の年を迎えました。

【50周年記念行事、第一回座談会の様子】

第1回座談会の様子.JPG

【50周年記念行事、第二回座談会の様子】

第2回座談会の様子.JPG

 当委員会の発足当時、世の中は、高度経済成長を背景とし、全国各地で深刻な公害被害が多発しておりました。この地域では有名な四大公害事件の一つである四日市公害事件があり、深刻なぜんそく被害が発生していました。愛知県弁護士会に所属する多くの弁護士が、四日市公害事件に取り組んでいました。

 昭和39年10月、第7回人権擁護大会が名古屋市で開催された際、日本弁護士連合会(以下「日弁連」)は「公害・災害の予防排除の件(宣言)」という宣言を公表しました。この宣言は日弁連として初めての公害問題への取り組みでした。その後、昭和43年5月に日弁連定期総会が名古屋市で開催された際、当会の会員が中心となりシンポジウムが開催されるなど、当会は全国でも公害問題の先頭を走っていました。

 当委員会の発足後は、当委員会を中心に、弁護士会として公害問題に取り組んできました。活動としては、調査・研究、現地視察、意見書の公表及びシンポジウムの開催等、法理論の問題だけでなく、被害の実情や現場で何が起こっているのかといった現場主義を大切に活動してきました。

 社会の変化に応じて、当委員会の活動は、深刻な被害をもたらした公害事件の収束とともに、地域の開発問題や自然環境問題等に軸足が移るようになり、昭和61年には現在の「公害対策・環境保全委員会」と名称を変更しました。名称変更後も、道路問題や中部新空港建設、藤前干潟埋立て、愛知万博、設楽ダム問題等、様々な問題に対し、時には意見書をまとめ、時にはシンポジウムを開催するなどして積極的に活動を続けてきました。

 近年では、原発や生物多様性、リニア新幹線問題などにも果敢に取り組んでいます。

 このような当委員会50年に及ぶ活動は、この地域の歴史の一部ともいえる側面があります。そして過去から学ぶべきことは多く、これからの地域のあり方や環境問題を考えるうえで必ず役立つものと考えております。

 このような考えのもと、2021年度に、かつての四日市公害訴訟や名古屋新幹線騒音公害訴訟に取り組まれた当会の会員を迎えて座談会を開催したり、これまでの当委員会の活動をまとめる作業などを行いました。この内容は小冊子として取りまとめています。

 良好な環境を守り、将来の世代へ引き継ぐことは、私たちの責務であり、当委員会の目的とするところです。

 当委員会は公害問題および環境保全に関し、基本的人権擁護の立場から調査・研究し、各所へ提言するなどの活動に今後も邁進して参ります。