本年2月8日発売及び同月23日発売の「週刊新潮」は、名古屋市で発生した殺人事件等について、被告人である元少年の実名を挙げ、顔写真を掲載しました。

 この実名報道は、少年の非行について、氏名、年齢、職業、容ぼうなど本人であるとわかる(推知できる)ような記事又は写真の報道を禁止した少年法第61条に明らかに違反する行為です。

 少年法は、成長の途上にあって将来の可能性ある少年について、たとえ大きな過ちがあったときも、その健全な成長を援助することを通じて(少年法第1条)、犯罪のくり返しを防ぐことを基本理念としています。それは、憲法第13条の個人の尊重、すなわち一人ひとりの「人間の尊厳」を認めあう民主的理念に由来しています。国際的にも、国連子どもの権利条約は、罪を問われる子どものプライバシーを尊重される権利を認め(第40条第2項(b)(ⅶ))、少年司法運営に関する国連最低基準規則第8条も「少年犯罪者の特定に結びつくいかなる情報も公表してはならない。」と定めています。

 重大凶悪な少年非行の原因背景をみると、少年たちは、非行に至る前に、大人たちの不適切な扱いや不良な環境によって、健全な成長を妨げられ、適切な人間関係を形成できない結果、他者に対する加害行為につながってしまっているというのが現実です。少年法は、そのような実態に対する科学的な認識に基づいて、少年の人格を尊重する扱いを通じて自己肯定感を回復し、成長発達を援助するための適切な扱いをすることを目的としています(子どもの権利条約第40条第1項もこのことを謳っています。)。少年の非行については、少年個人の責任に帰して済ませる問題ではなく、子どもの健全な育ちを保障すべき社会全体の責任の問題であると冷静に考えるべきです。

 そして、少年法第61条は、少年が犯した過ちの公表、暴露によって、その人格が否定されることがない社会環境においてこそ、少年法の精神は活かされ、少年の更生も可能になるという合理的な認識に基づいているのです。

 今回の実名報道は、以上のような少年法の精神や少年非行問題に関する国際規範に照らすと、何ら合理性も正当性も認められません。

 現実には報道以外のインターネット上で、既に実名等の情報が拡散されていますが、それもプライバシー権の侵害の違法行為であり、実名報道を正当化するものではありません。さらには、被害者側が実名等で報道されることとの対比も議論されますが、名誉・プライバシー権保護の理念は被害者とその遺族についても尊重されなければなりません。「週刊新潮」の今回の実名報道は被害者の遺影写真を表題に添付する無作法により被害者の名誉と肖像権を侵害し、そっとしておいてほしい遺族の感情を傷つけていることが懸念されます。したがって、被害者報道も少年の実名等の報道を正当化する根拠となるものではありません。

 報道の自由もまた憲法が保障する重要な権利ではあります。しかし、このような事件がなぜ起きたのか、その原因や背景を冷静に分析することが大切であり、実名を公表したり顔写真を掲載したりすることが社会の正当な関心に応える道ではありません。

 今回の実名報道は、元少年の人格を否定することに加えて、その周辺の人々と元少年との関係にも打撃を与え、元少年の社会との関係を断ち切り、更生を妨げかねないという意味において、メディアによる苛酷な私的制裁にほかなりません。一時の世論として犯人の人格さえも完全に葬りたいという処罰感情や排斥的感情が広がることがあっても、報道機関はひとりの人間の人格も否定してはならないという節度を保つことこそ、報道の使命であるというべきです。

 当会は、2005年11月10日付で「週刊新潮の実名報道に対する会長声明」を発表したほか、これまでなされた同様の報道に対し、少年法第61条を遵守するよう重ねて強く要請してきました。特に、本事件に関する「週刊新潮」による実名報道・写真掲載については、2015年2月6日付「少年事件の実名報道に対する会長声明」でも実名報道・写真掲載をすることのないよう要請していたところです。それにもかかわらず、その後も複数回同じ事態が繰り返されたことは極めて遺憾であるといわざるを得ません。

 このような「週刊新潮」の対応に鑑みれば、3月24日に予定されている判決の後にも同じ過ちを繰り返すことが強く危惧されます。

 当会として、今回の実名報道が、明らかに少年法に違反し、かつ、犯罪報道として適正さを欠いていることについて厳重に抗議するとともに、「週刊新潮」を含む報道機関に対して、少年法第61条を遵守し、今後同様の実名報道、写真掲載等がなされることがないよう強く要請します。

2017年(平成29年)3月22日

愛知県弁護士会

会 長 石 原 真 二