刑事弁護人日記〜重い十字架〜


会員 舟 橋 直 昭

 古い事件で恐縮であるが、平成8年に起きた覚せい剤常習犯による老夫婦殺害等事件の控訴審の国選事件。事案は、覚せい剤を使用して盗みに入った被告人が、徐々にやくざに追われている、見つかると殺されるという妄想を抱きはじめ、中区栄のマンションの一室に侵入したところ、部屋に帰ってきた老夫婦をめった刺しにして殺したというものであり、更に、二人を殺害後、半分自棄になってわいせつ事件等も起こしている。受任後、現場に赴き、被告人が犯行直前に飛び移ったという、8階建てのビルの屋上とマンション非常階段の踊り場との間の約1.2メートルの隙間から、地面までを見下ろしてみた。確かに常人の感覚では飛べない。

 一審判決では心神耗弱が認められて死刑求刑が無期懲役に落ちて検察官控訴、古澤仁之弁護士と共に担当した。法律扶助から一審を担当されて長期の公判を闘われた北條政郎弁護士の努力には本当に頭が下がった。

 奇異であったのは、簡易鑑定(完全責任能力)、本鑑定(責任能力なし)、再鑑定(限定責任能力)、ともに最終意見の全く異なる3つの鑑定書が証拠として公判に出されていたのである。被告人は、接見を重ねるうちに、極めて冷静でありながら、ある部分については異常な鋭さを有する人間であることがわかり、被告人との対話には、毎回、緊張感を持って臨んでいた。

 被告人に対してだけでなく、被害者の遺族らに対しても特別な気配りが必要であった。何故なら、被害者の老夫婦の遺族らは、覚せい剤使用という違法な行為を行ったが故に減刑される不条理さを強く訴え、本件を機に犯罪被害者自助グループを結成し、テレビ等のマスコミにしばしば登場して日本の司法制度に対し、根本的な疑問を投げかけており、マスコミも、本件を機に、最大限擁護さるべきは犯罪被害者の人権であるとの論調を高めつつあったからである。

 結論的には、控訴審においても原判決が維持され、検察も上告を断念したのであるが、この事件で今も強く印象に残っているのは、焦点となった責任能力に関する観念的な議論ではなく、今は退官されたが、決断力と矜持を備えた裁判長である。

 遺族らは毎回の公判に際し、被告人席の真後ろに着席し、食い入るような眼差しで裁判を傍聴していた。ある控訴審の期日、老夫婦の命日に行われた公判で、遺族らが、長さ1m以上はあろうかという額縁入りの遺影を持って、被告人席の真後ろの席に着こうとした。

 実は、遺族の一人から、この公判の少し前に、激烈な報復感情を綴った上申書が検察官に提出され、検察官から書証として出されていた。具体的な中身は本稿では書かないが、一審判決で無期懲役刑が下された被告人に対する怨嗟の念が包み隠さず述べられていた。

 このような上申書が書証提出された後の公判だったので、被告人の真後ろに屹立する遺影を見たとき、私も一瞬、緊張した。

 遺影を携えたまま遺族らが着席しようとするのを認めた裁判長は、直ちに、横の方の席に移動するよう命じた。遺族らは「いつもこの席で傍聴しているのに何故か」と猛烈な抗議をした。しかし、裁判長の威厳を持った指示に、遺族らは結局、従った。

 ところが、この日の出来事が1ヶ月程後の某人気写真週刊誌に、裁判長の顔写真入りで、しかも「被害者遺族に対して配慮のない指揮をした裁判官」なる論調で掲載されてしまったのである。更に、裁判長の自宅まで押し掛けた記者が、何故遺族らの席を移動させたか質問したところ裁判官から無視された、こういう社会常識のない人間が裁判官をやっていていいのかと、己の非を全くわきまえずに結んでいた。まだ公判は続いていたが、最初からストーリーありきのマスコミに対しやり場のない強い怒りを覚えた。

 一審公判では、裁判長から異例の許可を受けて遺族の一人が被告人に直接「あなたからは反省が伝わってこない」と問いかける機会が与えられていた。控訴審公判でも、検察官、裁判官から遺族らに対する丁寧な尋問が行われた後で、裁判所から改めて被告人に対して、今の遺族の気持ちを聞いてどう思うかという質問がなされた。被告人は「パフォーマンスととられるのが嫌だった」と前置きして遺族の被害感情に応えられなかったことを詫びた上で、一生毎日のしかかる十字架の重さを「殺人者の苦しみ」と表現して吐露した。とりわけ裁判所からは、このように遺族感情に対する細やかな気配りが随所に感じ取られたが、結局、控訴審判決後の新聞記事では「被害者不在」と切り捨てられた。

 傍若無人の写真週刊誌に対して沈黙を保ったまま退官されてしまった誇り高き裁判長は、いま、遺族の席を移動させた理由などどうでもよいと言われるかもしれない。

 しかし、若輩の弁護人が、数多くの刑事裁判の機微を体験してこられた孤高の裁判長から、そのような機微の一端を窺うことのできた貴重な体験であったのは事実である。「報道と人権」などという、一見もっともらしいテーマで議論される時には語られることのない刑事裁判の奥深さを感じることができたと思う。

 「そして殺人者は野に放たれる」(新潮社)は、心神喪失による犯罪者をテーマに、刑法39条と現行措置入院制度に対して鋭いメスを入れたジャーナリスト日垣隆氏の人気著作である。第1章で本件が取り上げられて問題提起がなされている。10年以上の取材に基づき、比較法学的な観点も採り入れた優れた著作とは思うが、日垣氏自身、親族を理不尽に殺された経験がおありとのことで、行為者側に対する攻撃感情は非常に強い。

 話がそれて申し訳ないのであるが、最近、長崎の小学6年の殺人事件に関連し、テレビで超人気の某弁護士が、某週刊誌上「犯人の少女は極刑にすべき」「精神鑑定も不要」等と意見を述べていた。善解すれば、本人は議論を巻き起こすための一石を投じたという程度の認識なのかもしれないが、そもそも、このような観点で物を言う人間が議論に参加しようとするのが間違っている。前掲「そして殺人者は……」の中でも指摘されたが、弁護人が「似非人権弁護士」呼ばわりされるのはまだいい。しかし、マスコミが遺族の気持ちを代弁すると称して応報感情を大っぴらに記事にするのは、厳に慎まなければならないと思う。

 昨今、精神障害者の手による事件あるいは精神障害が主張される事件が注目される度に、優れたバランス感覚を備えた先述の裁判長に想いを至らせてしまうのである。

 大阪池田小学校の事件を契機に法制化が進んだ「心神喪失者等医療観察法」(通称)が平成17年から施行され、これまで運用が不明確であった責任無能力による不起訴ないし無罪の後の手続が改められるが、現実の運用に関しては、手探りで進んで行かざるを得ないと思う。

 結果に比して動機が理解できない人間に対して、一律に「危険」と決めつけるのではなく、どうしたら結果と動機の不均衡を説明付けることができるか、を先ず考えることのできる人達の手によって、このような制度が運用されることを期待する次第である。