追悼文「さようなら ステファニ・レナトさん」


会員  名 嶋 聰 郎

 名古屋弁護士会人権賞受賞者であり、イタリア国籍のカトリック司祭であるステファニ・レナト神父が亡くなられました。昨年1月、活動の地を建国間もない東ティモールに移されてわずかの間に、深く現地に根付いた活動をされる中での死でした。66歳でした。

 レナトさんは、裕福でない家庭に生まれ、自動車会社でライン労働者として働く等の中で、教会の働く青年労働者の活動に生きがいを見つけ、神学校に進まれました。そして香港で哲学を、上智大学で神学を修め、日本で司祭として活動を開始されました。
 深い日本理解と鋭い人権意識がちりばめられたその著書「日本人の知らない日本」(拓殖書房刊)において示された日本の管理教育に対する鋭い問題意識を基礎にして、刈谷市での「働く青年の家」を拠点とした青少年との交流、小牧市の中学校での体罰を辞めさせる活動、不登校児を自宅に預かっての支援活動などに奔走される一方、第三世界に係わる援助や人権問題を考えるNGOの設立、ニカラグァに医療を送る活動、ペルー人等外国人労働者の一時保護活動などをされての人権賞受賞であったとご記憶の方も多いかと思います。

 しかし、昨年、レナトさんは、「人々に希望を与える教会になるために」と言う著書(新世社刊)を残され、活動の場を転じられましたが、同著で、「・・・今、東ティモールに活動の場を移す準備を進めています。自分は教会の中で貧しい人々への理解を求めながら、豊かな日本に暮らし続けているという矛盾を断ち切るには、貧しい人々の中に入るしかない・・」と決断の動機を語っておられます。
 しかし、レナトさんの東ティモールとの係わりは、1991年に遡り、住民2000人が虐殺されたサンタクルス大虐殺事件を密かに撮影したビデオの国外持出しに協力、NHKの報道を可能にし、独立を問う国民投票では国際監視委員を務めた経過がありました。
 そして、独立後の今回の活動は、東ティモールの首都ディリから車で3時間半、アッサベという町で、鶏飼育、コーヒー乾燥などを通じ住民の健康増進、収入増を考える、道路改修の人手確保など、生活に根ざしたものでした。一方、8月には、アッサベに、苦難の末独立を果たした東ティモール独立記念館を完成させ、次いで取組まれたのが、通学に苦労する青年の寄宿舎建設であり、その建設労働者の食料用とうもろこしをディリで大量に仕入れての帰路起きた交通事故がレナトさんの活動を永久に終わらせるものとなりました。
 悪天候、悪路、パンク、しかも運悪く事故現場斜面に車を止めるコーヒーの木もなく、20m転落。即死であったと言うことです。

 レナトさんは、前掲最後の著書で信仰の意義を自問し、信仰は「現在世界に横行している生命無視、環境破壊、人間の尊厳無視、経済中心の世界システムに対する抗議です。」「命、正義、貧しい人々の連帯は必ず勝つとの声なき宣言です。」と答えておられます。
 レナトさんは、信念通り、正にキリスト者として、日本で活動され、今、東ティモール、アッサベの丘に眠っておられます。レナトさん、さようなら。本当に有難うございました。