介護は寄与分?

 「寝たきりの母と同居して十年間も面倒見たのです。それなのに,どうして他の兄弟と同じだけしか遺産がもらえないのですか。」

 私は,弁護士になってまだ数年であるが,このような相談を受けるのは初めてではない。そして,このような相談を受ける度に,内心頭を抱えてしまう。

 依頼者からこのような相談を受けた場合,弁護士は,遺産分割協議や家庭裁判所の遺産分割調停等で「依頼者は無償で故人を介護することで,故人の財産維持や増加に特別の寄与をしたので寄与分を認めてもらいたい」との主張をすることになる。 しかし,見通しは必ずしも明るいとは言えない。調停の中では,他の兄弟から「お母さんは一人で身の回りのことはできたから介護の必要はなかった」「お母さんに会いに行くといつもオムツのまま放置されていて,かわいそうだった」等と言われ,また,審判官から「入院中付き添ったということだけど,親族が付き添うよう医師から指示がありましたか」「親族の扶養義務の範囲内で,『特別』の寄与には当たりませんね」等と言われ,依頼者は傷つきながら,介護疲れが残る身体で,故人の生前の病状を示す証拠等を探し回る羽目になることもあり得る。そのことを思うと,思わず暗い気持ちになってしまうのである。

 このような紛争が生じる一因は,老人介護において,介護者にかかる負担が相当に重いことにあるのではなかろうか。

 老人を介護するのは大変である。昼夜を問わず,休日もない。自分が尊敬し愛している人が衰えていくのを目の当たりにせねばならず,また必死に介護をしても行き着く先は「死」であり,その「死」が,訪れるのが二か月先か,あるいは五年先かは誰にも分からない。肉体的にも精神的にも疲弊してしまう。懸命に介護をした者が,故人の遺産分割協議の際,他の相続人と平等に扱われることに抵抗を示すのもまた,当然だろうと思う。
京都市で起きた「介護疲れ」を理由とする殺人未遂事件のニュースは耳に新しい。「老人を介護するのは家族の当然の義務であり,介護する者が相当の犠牲を払うことになっても,それは家族なのだから仕方ない」という発想では,このような事件や介護を苦にした自殺はなくならないのであろうし,上記のような紛争もなくならないであろう。

 私が「若手」と呼ばれなくなるころには,介護者にかかる負担が軽減し,上記のような事件や紛争がおきない社会になっていてほしいと,若手弁護士は切に願っている。