弁護士会報 昭和42年5月号より
 毎月発行される当会の会報は、529号を数えています。憲法記念日にちなんで、今回は、過去の記事の中から、ガダルカナルでの戦争体験を書かれた会員の記事をご紹介します。なお、昭和42年当時に書かれた原稿の原文をそのまま転載させていただきますのでご了承下さい。


ガダルカナル(1)

会 員  山 本 正 男

はしがき
 日本が大東亜戦争に突入したのは、昭和16年12月8日未明のことである。当時私は南支にあって香港作戦に参加し、その後アンボン、チモール、ジャワ、ガ島、ボ島、と転戦し、敗戦をニューブリテン島で迎える日まで青春の一切を犠牲にして祖国防衛の尖兵として日夜戦斗に明け暮れていたのである。
 大東亜戦争の是非は後世の史家が明らかにするであろうが、少くとも我々はひたすら祖国の加護と繁栄を信じて南浜の地に若き命を失った幾多の将兵に対し、その死を決して無駄にしてはならないし又このことを決して忘れることがあってはならないということである。
 第二次世界大戦という多大な犠牲を払って漸やく獲ち得た平和が今日果たして維持されているであろうか。戦後朝鮮動乱を始めとして、イスラエル紛争、印パ紛争、南阿の反乱等一日も晏如(あんじょ)たる日はない程である。今尚ベトナムでは巨大な出血を強要されており住民の生活は全く破壊されていると聞く。人類の歴史は治乱興亡の歴史といわれる。破壊と建設それが人類に課せられた宿命というのであろうか。今こそ世界の雄国の指導者らにはこの地上に人類の永遠の平和と繁栄を築き上げるためにその卓越せる指導力を駆使して、その叡智と勇気を傾注すべき義務があるというべきではないか。
 戦後22年。日本は敗戦の廃墟から立ち上り、世紀の驚異とまで云われる繁栄を示しているが、その底辺に戦争の危険が絶無であるという何等の保証は全然ないのである。
 若き日大東亜戦争中最大の激戦地といわれた「ガ島」に一兵士として参加し、辛くも、九死に一生を得て生還したが、今日ベトナムの戦争記事をみるにつけ、ガ島を想起する心がしきりに高まり、その頃の憶い出を書き記しておくことは苛烈無残な戦争を通して真の平和とは何かということを理解する上に決して無意味ではないと思い敢えてこの小文の筆を採ることにした。

1.序章
 大東亜戦争の緒戦に挙げた電撃的戦果は昭和17年の中頃より漸やく衰退を見せ始め、アッツ島の玉砕、ミッドウエーの敗北、ガ島の撤退、ニューギニヤの苦斗と打ち続く悲報は祖国日本を震撼し、次第に敗戦の色を濃くしていった。
 この頃の日本の戦域は北は満州より、支那全土に亘り、仏印からマレー半島、蘭領東印度諸島から太平洋諸島に及び、その戦域は史上最大となっていたのである。ガ島はその東南端の防衛線上にあり、日本にとってはガ島を扼することは対濠包囲戦上不可欠の要請であり、米国にとってはガ島を失うことは米濠間の連絡を断絶するという作戦上の理由が、太平洋上の一小島のガ島をして大東亜戦争中最大の激戦地たらしめたのである。
 日米両国がこの一小島を太平洋戦争の天目山としてあらゆる戦力を投入し、米国は米海軍最強といわれる第七海兵隊を出動させ、連日熾烈なる砲火を日本軍に浴びせたのである。ために、さしもの千古の密林も丸裸となり、山容俄かに改まるという状況であった。
 ガ島に最初日本軍が上陸したのは昭和17年5月頃、400名の海軍陸戦隊と千数百名の工作隊であった。だが8月には米軍の猛攻の前に全滅してしまった。その後陸軍が続々と投入された。
 先づ8月旭川師団の一木大佐の指揮する一個大隊と配属部隊が上陸したが間もなく全滅、連隊長は割腹自殺、軍旗を川中に埋めるという悲運となった。その次に9月牟田口兵団の川口少将の指揮する一個連隊を基幹とする兵団が上陸したがこれも殆んど全滅、ついで10月丸山師団が上陸したがこれ亦全滅、最後に第三八師団が投入されたのである。
 敵の優勢なる兵力に対しこのような出し惜み的な戦力の投入によってガ島を奪取できると考えた上層部はその作戦において大なる過誤を犯していたものというべきである。
 制空権も制海権もないガ島の上陸部隊は常に2、30倍以上の敵兵力と死斗を続けなければならないという悪条件の上に、食糧弾薬の欠乏は更にこの戦斗を悲惨にした。栄養失調で死んだ者はその数を知らず。その凄惨さは筆舌に尽くし難し。

2.上陸
 運命の日。忘れもしない昭和17年11月5日その未明、我々は初めてガダルカナル島に第一歩を印した。これまで大東亜戦争勃発以来殆んど無傷に近い第三八師団がここで大半全滅し、生還したものは1割にも達しなかった苛烈なる戦斗の序幕となったのである。私は第三八師団歩兵第二二八連隊第一二中隊に所属してこのガ島に上陸したのである。
 ガダルカナル島は南緯9度に位し東西130粁(キロメートル)南北40粁(愛知県よりやや大きい)のソロモン群島の一小島であって海岸線に沿って椰子林が密生し、その奥地は昼なお暗きジャングルを形成し、食物もない全くの無人島である。
 ガダルカナル島は赤道直下の太陽のギラギラ輝く明るい島である筈であるが、今脳裡に残っているのは凡そこの世のものとも思われない陰気な、無気味な死の島ということである。ガダルカナル……何という薄気味の悪い語音を持つ言葉であろうか、当時我々は餓死のガ島といっていた。
 これから3カ月この島での死斗が繰り展げられるのである。
 その日未だ明けやらぬ船上からガ島を眺めるとボンヤリと鬱蒼としたジャングルが海辺に迫っていた。風もなく波も静かで空にはまだ星の光が明滅していた。ガ島は死んだように静まり返っていた。しかし上陸地点には数隻の日本の船舶が擱坐(かくざ)していて先日来の戦斗の苛烈さを物語っていた。
 上陸開始の指令で海中に飛込み、その儘上陸地点であるタサファロングに向って急いだ。まだあたりは暗い。中隊全員が上陸を了えたところへ、先に上陸していた某部隊の将校がジャングルより出て来て「こんな所でグズグズしていると艦砲射撃にやられるぞ」という第一声を聞いた。我々は支那事変以来艦砲射撃の洗礼を受けていないので、その恐ろしさをその時まで全然知らなかったのである。 しかし夜が明けてからそれが現実化されるとその恐ろしさをいやという程知らされることになった。取るも取敢えずジャングル内に入り壕を掘ることになった。しかし前日来一睡もしていないので穴堀りも容易に進まなかった。夜が明けるまでに漸やく膝の部分位の穴しか堀れていない。ガ島は日本より東に位置するので午前3時頃に夜が明ける。もう猶予はない。既に艦砲の音がし始めている。敵は定期便の如く海岸線に沿って射込んで行く。至近弾が烈しく落ちるので、更に奥地に入る。我々の目標はルンガ岬にある敵を攻撃することにある。しかしそこに達するのは容易ではない。距離はせいぜい40粁であろう。しかし敵機が縦横無尽に銃撃を加え到底昼間の部隊行動はとれない。夜間、しかも海岸線は進めず、真暗なジャングル内を進まなければならないので異常な時間がかかる。
 上陸して間もなく異様な兵隊を見た。
 着衣はボロボロ、負傷した箇所にむらがる銀蠅を追う気力もなく、うつろな眼で何処へ行くのか戦野を彷徨している姿である。これが勇猛をうたわれた二師団の敗残の姿だ。我々より1カ月前に上陸し総攻撃に失敗した残党であったのである。このとき我々は1カ月先きには同じ運命が待っているとは少しも知らず、その無気力に寧ろ軽蔑の目で眺めていたのである。
 上陸3日目、コカンボナを経て勇川に達す。ここからの前進は至難を極めた。耳底に響くのは烈しく射つ敵の弾丸の音だけだ。この3日間何処で寝て、何処をどう行動したのか、さっばり判らない。
 ともかく勇川のほとりの真暗なジャングルで野営したことを今でもはっきり憶えているというのは、翌朝とんでもないことが起きたからだ。

3.餓狼
 我々が上陸する以前に上陸していた部隊で岡部隊というのがある。この部隊は川口支隊の一個連隊であるが、敵陣に総攻撃をして全滅したが一部残党が指揮系統を勝手に離脱して戦野に彷徨していたのである。
 既に2カ月に亘り軍の食糧から見放され野盗化していたのである。この野盗は餓狼と化して新しく上陸する部隊を狙い携帯する食糧を掠奪し、時には殺害もするという手合である。日本軍の道義は既に地に堕ちていた。尤も彼等をかかる状態にした軍も悪い。
 最早や救いのない状態が戦場にあった。敵は内にもいたのだ。
 私は上陸3日目の夜連日の疲労で不覚にも昏睡していたらしく、近づく人の気配すら感じなかったのである。ところが翌朝目が醒めると、前夜枕にしていた背のうが失くなっているのである。この中には食糧が10日分はゆうにあり、煙草その他身廻品が一杯入っていた。
 私が中隊で最初の餓狼の餌食となったのだ。私は限りない憤りを覚えた。既に前線を脱走した野盗がこれから前線に向うべく休息している兵隊の食糧を奪うとは、何という非道の奴輩と烈しい怒りがこみ上げた。
 幸いにも戦友より若干づつ食糧を貰い受け露命をつないだ。
 彼等が暗躍するのは比較的後方地区に属するところである。彼等には軍人精神不在である。従って弾の烈しく落ちるところにはいない。このような事件は前線では起こらなかったからである。
 しかし後方地区では糧秣輸送隊の落伍者が殺害され糧秣を強奪されたことが屡々(しばしば)あったことを後で耳にしている。
 私の今までの経験ではかかる前線を脱走し、野盗化した友軍によって脅される事例はなかったので、ガ島という異常な戦場、即ち戦力なき者への非情性が作り出した特有なものであったかも知れない。負傷しても手当されず、病に倒れても薬すらない。医療設備は皆無に等しく、兵站病院は死体処理場と化していたのである。衛生兵の仕事は毎朝死体を勘定してこれを一箇所に集めることであった。
 戦列を離れた彼等に食糧の配給はなく、従って野盗化せざるを得なかったであろうが断じて許すべきではない。速かに戦列に復帰すべきである。しかし彼等には戦意なく、唯一匹の餓狼に堕していたのである。全く救いのない戦場というべきである。

4.最初の戦死者
 上陸4日目初めて中隊で戦死者が出た。T上等兵だ。この日までは敵は定期的な射ち方であったが、新上陸部隊を察知したのか、一段と烈しい射ち方に変って、ジャングル内に猛射を浴びせて来た。
 他部隊でも夥しい死傷者が出たが、わが中隊ではT上等兵一人が壮烈な戦死を遂げた。Tは私と同年兵の戦友で、頭がすごく切れるという方ではないが、仲々世間慣れしていて、所謂要領のいい方で皆の気受けもよく、又瓢軽な奴で、変な流行歌等を口遊んでいた。よもや彼が真先きに死ぬとは思わなかった。惜しい男だった。穴を堀り死体を手厚く葬ってやった。だがこのときはまだよかった。これから連日の如く戦死者を出したが死体を埋めるということは殆んど出来ず、戦野にそのまま放置されていた。生存者にも余裕がないし、体力的にも戦況的にも許されざる状況であった。
 これからの3カ月間、死体は山野に散在し屍臭はジャングル内を充満した。その状況は到底筆舌に表し難い。悲惨悽愴という外はない。
 死体には何万という銀蠅がたかり、口、目、鼻、肛門、穴のあいているところには無数の蛆がうごめいていて、膚に粟を生ぜしめる地獄の世界だ。
 死体は2、3日で、もの凄く青く膨れ上り、その内毎日降るスコールと暑熱のため、10日間位で白骨化してしまう。ヨレヨレの軍衣を骸骨が纏っている格好だ。
 はじめは恐怖と戦慄を感じたが、その内に無神経となり、そのようなものを見ても何とも思わなくなった。驚くべき心理状態となるものだ。これは体験しなくては到底理解できない心的変化である。

ガダルカナル(2)へつづく