1 合コンの毎日
菊野は実務修習で石川という若い司法修習生と仲良くなった。石川はロースクールの既修者コースを卒業した年に1回で新司法試験に合格し、25歳になったばかりであった。
石川はまじめな顔をしながら合コンが大好きで、菊野をよく合コンに誘った。元カノにピエロにされていた菊野は(9月号)、元カノを忘れようと合コンに明け暮れていた。
2 就職活動に出遅れる
菊野は、以前から最近の司法修習生の就職状況は厳しいということを聞いていた。
しかし、菊野は、弁護士事務所が内定を出すことができるのは2月1日からと決まっていることや仲の良い石川も全く就職活動をしていなかったことから、2月1日から就職活動をすればいいと呑気に構えていた(菊野はその後、石川との違いを痛感することとなる)。
ところが、全国の相当数の事務所は、2月1日になる前に事実上の内定を出していた。
東京の事務所の中には、9月の新司法試験の合格発表前に有名大学のロースクール生をアルバイトとして雇い、その段階で事実上の内定を出している事務所もあった。
愛知県ではさすがにそこまでの状況はないものの、11月末の新司法修習開始と同時に司法修習生の本格的な就職活動は始まっていたのである。
3 就職説明会
菊野は、2月初旬に行われた愛知県弁護士会の就職説明会に参加することにした。
当日、会場に行ってみると、現段階で弁護士の募集をしている事務所のブースが開かれており、各ブースに数人ずつが、10分から15分程度で説明を聞くと言うものであった。
就職難と言われている現在では、説明会に参加した事務所は20から30であるのに対し、司法修習生は100名以上参加していた。
この時、初めて菊野は就職状況の厳しさを実感したのであった。
説明会の時間は2時間と限られていたため、菊野は半分のブースも回ることはできなかった。菊野は、途中から他の司法修習生の評判を聞いて、人気のある事務所の説明を受けることにした。そして、回りきれなかった事務所については、他の司法修習生に情報をもらうことで何とか事務所の情報を得たのであった。
もっとも、この就職説明会はどのような事務所が弁護士を募集しているかという事務所の特徴を知るきっかけになるにすぎず、就職説明会に参加することは、就職活動の第一歩に過ぎない。
一方、石川は、埼玉県の出身であったため、首都圏での就職を希望しており、菊野と同様、2月初旬に地元の埼玉弁護士会の就職説明会に参加した。埼玉弁護士会では、十数名の募集しかないにもかかわらず100名もの司法修習生が参加しており、石川もまた就職状況の大変さを実感することとなった。
4 事務所訪問の申込
弁護士を募集している事務所の情報は、就職説明会でブースを開いていた事務所以外に、愛知県弁護士会のホームページや各事務所のホームページに載っているため、菊野は、その中から破産事件を手掛けている事務所に事務所訪問の申込をした。
というのは、菊野が弁護士になろうと思ったのは、自分が勤めていた会社の破産手続をしている弁護士がてきぱきと指示を出している姿をかっこいいと思ったからである(1月号)。
菊野は実務修習先である愛知県弁護士会の雰囲気を気に入っていたが、破産事件をやれるのであれば、愛知県だけにこだわらず、東京で弁護士をすることも考えていた。
そこで、菊野は、破産事件を多く手掛けている東京の弁護士事務所に石川と一緒に事務所訪問の申込をすることにした。菊野と石川は、履歴書を添付してメールでその事務所に事務所訪問の申込をした。
すると石川にはすぐに事務所からメールで事務所訪問OKの連絡があったが、菊野には連絡がなかった。このため、菊野は、その事務所に電話で問い合わせをしたところ、その事務所は事務所訪問の希望者が多いのでメールを返信した司法修習生のみを事務所訪問させていると言った。
ここで菊野は自分が30代であることから事務所訪問を断れられたことに気が付いた。
というのは、東京の事務所の中には30代以上の司法修習生は事務所にメールを送っても電話をしても相手にしてもらえない事務所があるということを、最近になって他の司法修習生から聞いたからである。
年齢以外にも東京や大阪では、司法試験やロースクールでの成績の提出を求め、それに加え事務所独自の課題を出し、その解答によって事務所訪問させるかどうかを決める事務所もあるらしい。
愛知県では司法試験やロースクールでの成績の提出を求める事務所はあるものの、それのみを理由として訪問を受け入れないところはなく、年齢が高いことだけで事務所訪問をさせてもらえない事務所もなかった。
菊野は、若いか若くないかだけで門前払いをする東京の事務所に嫌気がさして、就職は愛知県の事務所に絞ることにした。
5 事務所訪問
菊野は、愛知県弁護士会のホームページや各事務所のホームページの情報を頼りに、募集をしている事務所に事務所訪問の申込をしたところ、それらの事務所は快く事務所訪問を承諾してくれた。
事務所訪問当日、事務所に行くと、集団面接という形がとられており、先日の就職説明会と同様、ここでも、1回に多いところで7人から8人、少ないところでも3人から4人程度の司法修習生が訪問していた。新司法修習の場合、司法修習生が多いため、最初から1対1の面接を行うことはほとんどなかった。
そして、最初の訪問は、ほとんどの場合、自己PRを記載した履歴書を持参し、それについて、事務所の弁護士が質問をし、その後司法修習生が事務所について質問がある場合には、それぞれが聞いていくというものであった。人数が多いため、実質1人10分から15分程度の時間しかなかった。
菊野は、電子部品メーカーに就職した際の就職活動を思い出したが、民間企業に就職する時の就職活動とは勝手が違い、思っていることの半分も話すことができないまま、集団での面接は終わった。
ただ、人によっては既に何十件も事務所訪問をしており、次々といろいろな質問をしたり、熱心に自己PRしたりする司法修習生がおり、菊野は事務所訪問は慣れることが重要なのだと感じたのであった。
菊野はその後も事務所訪問を重ねた。多くの場合、1回目の事務所訪問は、司法修習生が多少話をし、後は事務所の概要を説明してもらい、事務所の中を見せてもらった後食事に連れて行ってもらうことで事務所の雰囲気を知るというものである。その上で司法修習生がその事務所に行きたいと思った場合には、再度事務所訪問を申し込むという形になっていた。
ただ、愛知県でも2回目は必ずしも会ってもらえるとは限らない。場合によっては、課題が送られてきて、その解答を事務所に送り、その結果によって、2回目の事務所訪問ができるというところもある。
やはりこれも司法修習生の数が多く、全員に会うことはできないからだと思われた。
2回目以降の事務所訪問では、どこの事務所もほとんど1対1で面接し、より詳しく司法修習生の話を聞くほか、作文を書かせる事務所や、いくつかの事例を挙げて、弁護士となったらどのように対応するかを尋ねるところもあった。
他の司法修習生の話によると、1回目で決まることはほとんどなく、だいたい3回目辺りに決まることが多いらしい。菊野も、2回目、3回目と事務所訪問を重ねつつあったが、最終選考でもれてしまっていた。
一方、石川は、就職活動を開始した2月に東京で内定をもらった。
早く就職先が決まる司法修習生は総じて若い男性の司法修習生であり、菊野のような30代以上の司法修習生や女性の司法修習生はなかなか就職先が決まらなかった。
そうこうしているうちに、弁護士会のホームページで公募をしている事務所も残り少なくなってきた。
東京や大阪には、イソ弁になれないノキ弁(軒弁−ボス弁と雇用契約を結ばずに事務所だけを無償で使わせてもらう弁護士)やタク弁(宅弁−就職ができずに電話兼ファックスがあるだけの自宅を事務所として登録する弁護士)やソクドク(即独−司法研修所を出て即独立する弁護士)がいるという話を菊野は聞いていた。
菊野は、もしかすると自分もノキ弁・タク弁・ソクドクになるのではないかという強い不安にかられた。
6 やっと内定
菊野は今まで公募をしている事務所を訪問していた。しかし、公募をするとあまりに多くの司法修習生が殺到するため、公募はしていないが、実は弁護士を募集している事務所が相当数存在するということを聞いた。
そこで、菊野は、他の司法修習生から情報を得たり、ロースクールの実務家教員や指導弁護士・修習委員の先生にお願いしたりして、公募はしていないが実は募集をしているという事務所を探した。
そして菊野は、石川と一緒によく飲みに連れて行ってもらった修習委員の先生から、今まで募集をしていなかった事務所が最近募集を始めたということを聞いた。
菊野はすぐにその事務所に連絡したところ、その修習委員の先生から強く推薦していただいたお陰で、その後その事務所から内定をもらった。
菊野が内定をもらったのは、後期修習が開始する1か月前の8月末のことであった。
7 後輩達へのアドバイス
菊野はやっとの思いで事務所から内定をもらった。
菊野が就職できたのは、愛知県で修習していたため、愛知県の事務所の募集情報を他県で修習をしている司法修習生に先駆けて入手することができたからである。
ロースクール生も将来が不安のようで、菊野は、出身のロースクールの後輩から時々司法修習生の就職状況について聞かれることがあった。
今回の就職活動を通じて後輩達にアドバイスできることは、就職を希望している都道府県で実務修習をした方が絶対的に有利であるということである。
そして、就職は若い男性の司法修習生が圧倒的に有利で女性や30代以上の男性の司法修習生はできるだけ早く就職活動を開始した方がいいということである。
菊野は、後輩達に対して、そんなアドバイスをしなければならないことにやりきれなさを感じた。そして、菊野は、多種多様な経歴を持つ人材を法曹界に迎えようとした司法制度改革の理念と現実とのギャップに疑問を感じずにはいられなかった。
弁護士への道 第11回へつづく
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