弁護士への道(第9回) 会報「SOPHIA」平成20年9月号より 


「弁護士への道」第9回 新司法修習 その1

会報編集委員会

1 合格ピエロ
 菊野は、司法試験に合格した直後、別れた彼女に電話をかけた。もちろん、合格したことを伝えるために。
 彼女は、菊野が試験に落ちた後、「試験のこと聞いたよ。残念だったけど、大ちゃんなら次は絶対大丈夫だから、負けずに頑張ってね!!」というメールを送って励ましてくれた(8月号)。菊野は、そのメールをお守りのように大切に保存し(携帯メールを「保護」するだけにとどまらず、パソコンにメールを転送し、さらにバックアップまで取った)、たまに眺めては勇気を奮い立たせていたのである。
 そんな彼女のことだから、きっと自分が合格したことを誰よりも喜んでくれるはずだ。菊野は、そのことを疑わないばかりか、あわよくば彼女とよりを戻せるのではないかと本気で考えていた。
 しかし、電話に出た彼女の反応は、淡々としたものであった。「そう・・・菊野君、合格したんだ。良かったね。おめでとう。」
 予想外の反応に、菊野はいささか戸惑い、彼女の近況を尋ねてみた。すると、「うん、私ね、実は去年の夏、結婚したんだ。言わなかったっけ?」
 結婚だって?・・・ということは、去年、メールが来たときには、もう結婚していたのか。では、あのメールは一体何だったんだ?
 菊野は、動揺を悟られないよう、平静を装いつつ、彼女に「結婚おめでとう。」と伝えた。彼女の最後の言葉は「いよいよ弁護士だね。菊野君、何かあったらよろしくね。」であった。
 そう、きっと菊野は、このひと言を聞くためにピエロになったのだ。

2 気がつけば三十路
 
さて、勤めていたA社が倒産したとき、菊野は26歳だった。失職し、一念発起して弁護士になろうと決意した菊野は、入試、ロースクール生活、そして新司法試験と、待ち受けるハードルを必死に跳び越えてきた。新司法試験には1回落ちたが、その他は比較的順調だったように思える。しかし、ここまでの道程は決して楽なものではなかった。
 そういう菊野も、早31歳である。A社に勤めていたころ、兄貴に「大輔もあっという間に30だぞ」と言われたこともあったが(1月号)、本当にそのとおりである。そして、菊野が弁護士になるためには、これからさらに1年間の司法修習を経なければならないから、順調に行って32歳である。もちろん、菊野の場合はスタートが遅かったから、社会人経験を経ずにストレートでここまで来た人と比べても、あまり意味はない。しかし、この5年間に、元彼女を含め、周りの友人の何人もが結婚し、子育てを始め、中にはマンションを買った人もいた。皆、着々と人生の新たなステージへと進んでいるのだ。菊野は、友人の披露宴に招待されるたびに、正直なところ祝儀の出費も痛かったが、それ以上に、自分だけが取り残されてしまうのではないかという不安を強く感じていた。
 ロースクールが始まり、従来の司法試験が廃止されて、弁護士になるまでの年数が短くなったのではないかと菊野は思っていたが、必ずしもそうではないようである。

3 司法修習生
 さて、菊野は、9月に新司法試験に合格し、その後、事務手続を経て、11月から司法修習生という身分で修習を開始する。従来の司法試験のときは、合格してから4ヵ月以上も暇な期間があり、この間、合格者は海外旅行に行ったり予備校のアルバイトをしたりして羽を伸ばしていたそうであるが、今の合格者はあっという間に修習に突入である。
 菊野は、「最高裁判所司法研修所第○○期司法修習生」という肩書の名刺を作り、また、司法研修所から修習生バッジをもらった。修習生バッジは、ジュリスト(jurist)の頭文字Jをデザインしたもので、裁判官、検察官、弁護士を表す青・赤・白の3色で塗られている。新制度になってもバッジは変わらないそうである。菊野は、名刺とバッジを満足げに眺めながら、自分が司法修習生になったことを実感していた。
 ところで、司法修習生の身分は、公務員ではないが、国家公務員に準じたものである。したがって、司法修習生は修習専念義務を負っており、副業やアルバイトは一切許されていない。その代わりに、司法修習生は、国家公務員と同じように、国から給与が支給される。支給額は国家公務員一種採用者と同等額とされるが、本を買ったり引越ししたり、何かと物入りであるため、それほど余裕はない。それでも、ロースクール時代、そして浪人時代に比べれば、司法修習生は遙かに恵まれているといえよう。
 ところが、である。このような給与制も平成21年を最後に廃止され、翌年からは、国が無利息で資金を貸与し、これを修習が終わった後に返済するという貸与制に移行するそうである。司法制度改革によって修習生が大幅に増加したことが給与制廃止の原因とのことであるが、その反面、修習生は相変わらず修習専念義務は負っている。
 ロースクールの学費のときもそうであったが(1月号参照)、修習時代の生活費すら保障されないというのでは、裕福でない家庭の子は、今後どうやって法曹を目指せばよいのだろうか。ロースクール時代の奨学金と修習時代に貸与される資金をあわせれば、かなりの負債額になるはずである。多額の借金を背負ったまま法曹になればよい、という制度設計なのだろうか。

4 新司法修習
 新司法修習の期間は1年である。その昔、司法修習の期間は2年であったが、平成11年の第53期修習生から1年6ヶ月に短縮され、さらに平成18年の旧第60期修習生から1年4ヶ月に短縮された。1年の修習期間は、8ヶ月の分野別実務修習、2ヶ月の選択型実務修習、そして2ヶ月の集合修習の3つで構成されている。
 このうち、分野別実務修習は、裁判所民事部、裁判所刑事部、検察庁、弁護士事務所で、それぞれ2ヶ月ずつ個別修習を行う。期間は異なるが、従来の実務修習と同じである。
 選択型実務修習は、分野別実務修習の後、関心のあるテーマを選択し、これに応じたプログラムを実施するものである。例えば、一定の分野を多く取り扱っている弁護士事務所に配属されたり、模擬裁判を行ったり、民間企業・自治体などに配属されたりする。新司法修習で初めて導入された制度である。
 集合修習は、従来の後期修習に相当するもので、実務修習が全て終わった後、埼玉県和光市の司法研修所で実施される。従来と同じクラス担任制で、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護の5科目が実施される。
 そして、集合修習が終わると、最後に司法修習生考試(二回試験)が実施され(詳しくは11月号で触れる予定である)、これに合格すれば、ようやく司法修習が終わる。
 以上、昔の2年修習と比較すると、次のようになる。

5 前期修習の全廃
 このように修習期間が短縮された理由については、新司法試験合格者がロースクールにおいて既に一定の実務教育を受けているからとされている。特に、前期修習が全廃された点は従来との大きな違いである。従来の前期修習に相当する教育はロースクールに委ねることとし、修習は実務修習から開始するというのが新制度なのである。
 菊野は、法曹の先輩達から前期修習がどのようなものであったかを聞いたことがある。前期修習では、全国の司法修習生が司法研修所に集まり、遠隔地から来た者は寮で暮らし、指導教官の講義を聴き、要件事実教育を受け、判決や訴状などを繰り返し起案していたそうである。新制度では、菊野達はこのようなトレーニングをロースクール時代に終わらせたことになっているが、少なくとも菊野が卒業したX大学ロースクールでは、そのような起案は数えるほどしかやらなかった(5月号参照)。こんな状態でいきなり分野別実務修習を始めて本当に大丈夫なのだろうか。
 ところで、新司法修習の第1期生である新第60期については、分野別実務修習の前に約1ヶ月間の「導入修習」が司法研修所で行われたそうである。この「導入修習」は、従来の前期修習の短縮版であったが、新第61期からは行われていない。
 なお、弁護士会の中には、これから司法修習を開始する新司法修習予定者を対象とした「事前研修」を自主的に実施しているところもあり、また、弁護修習の最初に全員を集めて最小限必要な実務知識・技能を習得してもらうための「冒頭修習」を実施しているところもある(当会では、いずれも実施している)。

6 駆け抜ける実務修習
 分野別実務修習は、思っていたよりもずっと忙しかった。裁判修習では法廷を傍聴したり判決の起案をしたりという毎日で、あっという間に民裁2ヶ月、刑裁2ヶ月の計4ヶ月が過ぎ去っていった。検察修習では、実際に取調べを担当する機会もあったが、もともと修習期間が2ヶ月と短く、加えて、手頃な事件が少ない時期に当たってしまったため、やや不完全燃焼であった。弁護修習も2ヶ月と短いため、1期日しか見られない訴訟案件が意外と多く、指導担当弁護士が次回期日を入れる横で、ため息をつきながら自分の手帳を眺めることが何度もあった。
 こうして菊野は、あっという間に実務修習を駆け抜けていった。しかし、実務修習は、それ以前の勉強とは違い、実際の事件に主体的に関わる分、素直に面白いと思ったし、弁護士になる日がいよいよ近づいてきたという実感を持つこともできた。
 実は、この実務修習の期間中、菊野の前には「就職問題」という巨大な壁が立ちはだかったのであるが、それは次回10月号で。

弁護士への道 第10回へつづく