弁護士への道(第8回) 会報「SOPHIA」平成20年8月号より 


「弁護士への道」第8回 新司法試験 その3

会報編集委員会

1 失意の菊野
 9月○日の合格発表以来、菊野は放心状態のまま、一人寂しく怠惰な日々を過ごしていた。あんなに勉強したのに・・・。ロースクール卒業までは、カリキュラムに追われて、試験対策的な勉強は確かにできなかった。しかし、直前期の追い込みの頑張り。あれは今思い出しても、不合格と分かった今でも、自分を褒めてやりたいくらいだ。
 弁護士を目指してから、友人とは疎遠になっていた菊野だが、菊野の携帯には試験の結果を尋ねるメールが入る。何度かメールの受信音を聞いた後、菊野は携帯の電源を切った。どうせ俺は負け組だよ・・・。菊野の精神状態は最高にクサっていた。菊野は、元来明るく前向きな性格である。しかし、努力の度合いが大きければ大きいほど、落胆度合いも比例するというものだ。
 そんなこんなで部屋に引きこもっていた菊野だが、ある日、携帯を手にすると、去年別れた彼女からのメールに気付いた。「試験のこと聞いたよ。残念だったけど、大ちゃんなら次は絶対大丈夫だから、負けずに頑張ってね!!」目の前に光が差し込んだように感じた菊野は、自分が誰かに励ましてもらいたかったんだ、と実感した。そして、このままではいけない、次こそは絶対に合格する!!と決意を新たにし、来年に向けて勉強を再開したのであった。発表までの夏、そして発表後の時間を、無為に過ごしてしまったことを悔やんでも始まらない。元カノからのメールの威力はすごい。彼女は今、自分のことをどう思っているのかも大いに気になるところだが、何はともあれ、菊野は前向きな気持ちで机に向かっていた。

2 ロースクールの再チャレンジ支援態勢

(1)自習室
 家ではぐうたらしてしまう菊野は、とりあえずロースクールに通うことにした。菊野がロースクールに通うことができるのは、菊野が施設利用の申請をしているからだ。申請するだけで利用できる訳ではなく、もちろんそこには費用が発生する。菊野の通うX大学では、在学生と同じ自習室を利用するには半年で10万円、一年ならば20万円の費用がかかる。X大学では、今年から、浪人生用に別の自習室を開設してくれている。大部屋に机が並べられ、簡単なパーテーションが付けられただけの部屋だが、こちらの部屋なら月に1万円で利用ができる。浪人生の懐具合を心配してくれているのか、年々増加する浪人生の数を見越した対策なのかは分からないが、懐の寂しい菊野は、迷わず大部屋を利用することにした。全国のロースクールでは、浪人生用の自習室を用意していないところもあるらしい。自習室が用意されていても、今後浪人生が増加すれば、希望しても利用ができない人も出てくるだろう。そんなことを思うと、菊野は自分が恵まれていると感じるのだった。
 自習室には、菊野と同様に不合格となった元学生がちらほらいた。浪人生が全員自習室を利用するとは限らず、家で黙々と自学自習している人もいるようだ。自習室にいる元クラスメイトと息抜きに話をしてみるが、ここに来ていない人が今何をしているかは分らないそうだ。在学中はあれこれ法律談義を交わしていたのに、菊野は少し寂しく思った。余談だが、X大学は、ロースクールの在学可能期間を6年から5年に引き下げた。浪人生をいつまでも面倒見切れないという意思表示なのだろうかと菊野は思った。

(2)ゼミ
 在学中はカリキュラムに追われ、必死に通学していたが、講義もないのに自習のためにロースクールに通うのは、意外と簡単ではなかった。勉強しなければいけないのに、自習室に通うのが面倒だと感じる自分を、いささか情けなく思いながら、動機付けが欲しいと思った菊野は、自習室仲間に相談をした。すると、驚きの返答が。何とゼミを開催しているというではないか。早く教えてくれよ、と内心思いながら、さっそく参加させてもらうことにした。それだけではなく、近々合格者によるゼミも開催されるらしい。
 自習室仲間のゼミは、択一の問題を時間を決めて解き、分からなかったところを互いに解説しあうという形式だった。他にも、論文を書いて答案を読みあうというゼミもあった。自分の未熟さはさて置き、人の答案を読むと、意外と気づくことが多いと思い、菊野には新鮮な勉強法であった。合格者によるゼミは、今年度の新司法試験の論文問題を解き直し、合格者が採点、解説するという形式だった。同級生に採点されるというのは少し恥ずかしいような気もしたが、今はプライドとかそんなことを言っている場合ではないと割り切ることにした。論文の書き方だけでなく、どんな勉強が役に立ったと思うか、どのテキストがよかったかとか、メンタル面はどうケアしたか等、菊野はここぞとばかりに合格者に質問した。受験前はそれぞれが精一杯で、お互いがどんな試験対策をしているかについては詳しく語り合えなかったため、色々な情報を仕入れることができ、菊野にとって合格者ゼミは実のあるものとなった。

(3)教員によるゼミ
 公言してよいのか分らないが、X大学でも教員によるゼミが開催された。教員の作成した問題を解き、それに解説がなされるというものだ。全科目開催される訳ではないので、不満もあったが、教員に質問できるいい機会でもあり、予備校に通っていない菊野にとっては貴重なものであった。

(4)講義
 ゼミのおかげで何とかコンスタントに登校できるようになった菊野だが、ロースクールを目一杯利用したい思いから、講義を聴講することにした。X大学では、学校の好意で、卒業生や浪人生が講義を無料で受けることができる。菊野は、学生から評判の高い実務家教員の講義と、苦手な民事訴訟法の講義を受けることにした。X大学は生徒数が少ないので、教員も学生の顔と名前を覚えていてくれていて、菊野を励ましてくれる。他のロースクールでも、講義を受けることができると聞いたが、自習室問題と同様に、あと何年後かにはそうは言ってはいられないのだろうと菊野は思った。

3 予備校
 自習室仲間には、予備校の答練に通う者も現れ始めた。論文・択一対策講座が夏ころから開講され、年末ころには模試も始まるらしい。一講座の値段は10万円前後であり、資金不足の菊野には関係のない話だが、予備校の話を聞くと、菊野は不安になった。講座はあまり利用者がいないようだが、模試の利用率はそこそこ高いと聞いた。T予備校の全国公開模試とやらは、3000人近くの受験数があるようだ。 
 ロースクールには、現行司法試験受験経験のある、いわゆる司法浪人生が沢山いる。在学中、きれいにファイリングされて、使い込んだ様子が伺える予備校の資料を持った同級生を見る度に、菊野は同じ土俵に立てるのか不安で仕方なかった。その不安は、卒業後も変わらなかった。しかし、それを嘆いていても始まらない。菊野は、予備校を使うことについて入谷に相談した。すると、択一の模試はともかく、新司法試験の論文問題の形式が確立されていないため、予備校の論文問題はどれだけ信用できるか微妙であるから、費用対効果を考えると利用しなくてもよい、との返事だった。心配ならば、数回問題だけ見せてもらえばいい、ともアドバイスされ、菊野はそれに従うことにした。

4 二度目の直前期
 二度目の出願も終わり、勉強漬けの中、年が明けた。お正月には久々に家族にも会い、家庭の味を満喫し、束の間の充電期間を過ごした。家族や親しい友人に励まされると、何としてでも合格しようと力が湧いてくる。菊野は、応援してくれる人がいるありがたさを身にしみて感じた。
 直前期になると、予備校の模試が立て込んでくる。菊野は、予備校とTKCの択一模試だけを受験し、あとは肢別問題集、過去問、論文問題集やロースクールで使った教材をもとに勉強を重ねた。合格者に聞いたところ、ロースクールで勉強したことを軸にしていくのが良いと教わったので、講義で課題として与えられていた問題を見直して、答案構成をしたりした。時には不安に襲われるが、そんなときは、司法修習生となった入谷らに修習生活について話を聞き、早く自分もそうなりたいとモチベーションを上げていった。去年の合格者には、法学部出身者でない全くの純粋未修者もいた。そんな人の存在も、菊野を勇気づけた。

5 本試験と発表
 二回目であっても、去年と同様に緊張する。菊野は、選択科目ごとに分けられた受験会場に入り、辺りを見渡した。同じロースクール卒業生を見つけて軽く挨拶を済ませると、菊野は臨戦態勢に入った。22時間30分の試験が始まった。
 最終日も無事に終わり、菊野は心地よい疲労感を味わっていた。受験会場からの帰り道、どこからともなく、会場に来なかった人の話題が聞こえてきた。確かに、菊野の席の周りにも、多くはないが、空席がいくつかあった。受け控えも想像以上にあるようだ。三振アウトの恐怖を考えれば分からなくもないが、タイムリミットがあるのだし、間が空けば空くほど受けにくくなるのに、と菊野は思うのだった。
 9月△日、合格発表の日を迎えた。人生でこれほど緊張することがあっただろうかと菊野はふと考えた。やれるだけのことはやったと思ってはいても、貼り出し発表を見に行く勇気が出ない菊野は、ネットでの発表を待つことにした。発表は午後4時、落ち着かない菊野は外へ出た。街を歩くと幾分気が紛れたが、発表時間が近づくと、心なしか胃の辺りがキリキリする。択一の順位(6月に発表済みである。)からすれば、順当に行けば合格もありえる。合格しているかもしれない。いや、論文でミスもあるし、そんなに楽観していては万が一のときに精神的に立ち直れない。菊野はあれこれ自分に言い聞かせながら、本当は考えたくはないのだが、万が一ダメだったときのことをシュミレーションしながら、アパートに帰った。時刻は午後4時10分。パソコンを立ち上げ、発表ページを開く。菊野の受験番号は26△番だ。画面をスクロールしながら番号を探す。「な、ない・・・。」菊野は一瞬にして固まった。が、すぐに、名古屋の発表は画面の下の方にあることを思い出し、気を取り直して番号を探した。・・・、256、259、260、26△、・・・。「ある・・・。あった・・・。あった!!」自分の番号を見つけた菊野は、パソコンの前で一人震えた。菊野はしばらくその場から動けなかったが、合格の喜びが沸々とわき上がり、気づくと菊野は受験票を掴んだまま喜びの声を上げていた。

弁護士への道 第9回へつづく