弁護士への道(第6回) 会報「SOPHIA」平成20年6月号より 


「弁護士への道」第6回 新司法試験 その1

会報編集委員会

1 4月××日 受験票が届く
 えーっと、なになに・・・「甲は、生活費に窮したため、知人の乙所有の木造家屋に延焼させる意思で逃走中、憐憫の情から乙に金員の借入れを申し込んだが、その事情を知った丙が甲を幇助した場合であっても、丙が逮捕を免れるため乙の反抗を抑圧するに足りる程度の暴行を加えなかったのであれば・・・・」んんん?「甲は、生活費に窮したため、知人の乙所有の木造家屋に延焼させる意思で逃走中・・・」
 ううううぁーっ、全然意味わからん、時間切れじゃーっ!!!

 「はあーっ、夢かあ・・・」
 菊野は目を覚まして、ため息をついた。パジャマ代わりに着ている古いTシャツの背中は汗でびっしょりだ。枕元に携帯を探す。午前2時40分・・・寝床に就いてからまだ1時間半しか経っていない。部屋の灯りを点けて、机の上から窓付き封筒を持ってくる。そう、昨日、司法試験の受験票が届いたのだった。封筒の中には、受験票のほかに、試験当日に答案用紙ごとに1枚ずつペタっと貼り付けるための受験番号のバーコードのシートが入っている(これをなくしちゃダメダメよ、と菊野は受験票だけを封筒から取り出して眺めてみる)。
 旧司法試験は、5月の短答式試験から始まって、7月の論文式試験、10月の口述試験と段階を追って進んで行き、順に勝ち抜いていくと、1年の半分くらい試験を受け続けている感じだったそうだが、菊野が受ける新司法試験は、5月に短答式と論文式の両方の試験がまとめて実施され、そして終わる(口述試験はない)。受験票が届けば、試験まではもう1か月ない。
 新司法試験の受験スケジュールは次のようなものである(平成20年の例)。

 また、試験自体の日程は次のようなものである(同)。正味22時間30分に及ぶ苛酷な試験だ。

 選択科目は、(1)倒産法、(2)租税法、(3)経済法、(4)知的財産法、(5)労働法、(6)環境法、(7)国際関係法(公法系)、(8)国際関係法(私法系)の8科目の中から出願時に予め1科目を選択することになっている。
 試験地は、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の7都市だ。

2 出願あれこれ
 受験料(受験手数料)は2万8000円。これさえ納めて試験会場に出向けば、短答式はもちろん、論文式の解答を「書いてくる」ことまではできるのだから、旧司法試験の受験生が短答式試験だけで敗退した場合に味わうような割損感はない。なお、電子出願の方法で出願すると2万7200円になり、800円お得だが、菊野のように出願の時点でまだ法科大学院を修了していなかった者は、電子出願できない。ちなみに、旧司法試験の受験料は1万1500円(電子出願の場合は1万1100円)だ。
 同じ年に新司法試験と旧司法試験の両方を受験することはできないことになっている。但し、菊野のように出願時点において法科大学院修了予定にとどまる者に限っては、(落第しても受験できるように)新旧試験両方の併願ができる。この場合でも、無事に法科大学院を修了できれば新試験だけ、落第すれば旧試験だけを受験し得ることになるから、やはり同じ年に新旧両試験を受験することができるわけではない。
 受験案内には事細かな注意事項が書かれている。飲み物はペットボトルに入っていれば持ち込んで飲める(但し、床に置く)。水筒や瓶はダメ。ペットボトルはテロリストが時々爆弾にしたりするので飛行機なんかへは持ち込めないが、新司法試験ではOKだ。多分、せっかく苦労して法科大学院を修了した受験生が集う司法試験会場を爆破するのはあまりにかわいそうだし地味過ぎるし、テロリストも気乗りがしないからだろう。耳栓は使用禁止。座布団の持ち込みは許可制だ。

3 三振アウトの恐怖
 新司法試験には受験回数の制限がある。旧司法試験時代には合格者の高齢化傾向に危機感を抱いた当局が導入しようとしても果たせなかった(丙案とかいう若手優遇策がとられるにとどまった)受験回数制限の制度が、新司法試験では、明確かつ厳しい形で導入されている。
 その内容は、「5年以内3回限り」というものである。
 菊野の場合、今年の3月に法科大学院の課程を修了して受験資格を得たので、今年の4月1日から5年の間に3回に限って受験できることになる。
 三振アウトになったらもう一生受験できないのかというと、必ずしもそうではない。「別の受験資格」に基づく受験は一応可能だ。但し、「前の受験資格」に基づく最終受験から2年の間隔を置かなければ受験を再開できない。この2年の待機期間(?)は、勉強し直せということなのか、考え直せ(あきらめろ)ということなのだろうか。
 「別の受験資格」は、もう一度法科大学院の課程を履修するか、予備試験(司法試験予備試験)に合格するか、そのいずれかで取得するしかない。もう一度法科大学院へ行くなんて・・・お金の点からしたって、労力の点からしたって、考えたくもない、それは無理というものだ。予備試験は、法科大学院を経ないで新司法試験を受験できる、いわばバイパスだが、平成23年、すなわち旧司法試験が行われないようになるまでは実施されない。
 新旧通じて生まれて初めて司法試験を受験する菊野には直接関係のないことではあるが、法科大学院在学中に旧試験を受験していると、3回の制限回数にカウントされる。法科大学院を修了して新試験の受験資格を取得する前2年間における旧試験の受験回数が対象だ。だから、未習コース3年の2年次と3年次に旧試験を受験してしまった(そして合格できなかった)修了者にとっては、初めての新試験受験であるにもかかわらず、それが3回目のラストチャンスということになってしまう(うーん、そういう人もいるんだ)。それから、これも今の菊野には関係ないが、受験資格取得後(法科大学院修了後)に旧試験を受験しても、やはり3回の回数制限にカウントされる。
 菊野は思う。初回受験を迎えようとする自分ですら、3回の受験回数制限のプレッシャ
ーを強く感じるのに、これが、2回目、3回目の受験だったら、どんな心持ちになってしまうのだろうか、と。

4 そして菊野は眠れない
 これまでの新司法試験実施結果の概要は次のとおりだ。

 「受験予定者数」とは、出願後無事に法科大学院を修了できた人の数である。「合格に必要な成績を得た者」とは、短答式試験の総合点について司法試験委員会が定める合格ラインをクリアした人の数である。短答式試験は350点満点で、合格ラインは、平成18年と平成19年が210点(正答率60.0%)、平成20年が230点(正答率65.7%)だった。総合点で短答式試験の合格ラインをクリアしても、1科目でも最低ライン(40%未満)をクリアできなかった科目があると、論文答案は採点すらしてもらえない。「合格に必要な成績を得た者」と「総合評価対象者数」との差は、そのような赤点科目のあった人の数ということになる。せっかく17時間もかけて書いた論文答案も、短答をクリアして「総合評価対象者」に入らないと、見てもくれない、無駄書きということになる(論文の本試験を経験できただけでもありがたい、と考えることもできるのではあるが)。
 菊野はこう考えてみようとする。年間3000人まで合格者を増員する政策だって弁護士会の中には見直しを主張しているところがあるみたいだし、先行き不透明。受験者の数、つまり法科大学院修了者の数だって、これからどうなるか分からない。何一つ確実な数字はないが、一つだけ確かなのは、制度がどうなっても、競争がどうなっても、実力のある者は試験に受かるということだ、と。
 しかしやはり菊野の不安は拭えない。誰かに「あなたは大丈夫よ」と言って欲しい。菊野は別れた彼女の声が無性に聞きたくて、何度も携帯に手を伸ばし、そしてやめた(番号の登録は消していない。「合格したよ」の一言を告げるためだ)。
 菊野は寝床から起きあがると、顔を両手で2度3度たたき、机に就いて勉強を始めた。勉強に没頭している時間だけ、菊野は不安から解放される。
 東の空がもう白み始めた。

弁護士への道 第7回へつづく