弁護士への道(第3回) 会報「SOPHIA」平成20年3月号より 


「弁護士への道」第3回 ロースクール その1

会報編集委員会

1 ガイダンス
 いよいよ、これから3年間のロースクール生活が始まる。ロースクールにはどんな仲間がいるのだろうか。授業では、どのようなことを教わるのだろうか。自分は授業について行けるのだろうか。菊野は、期待と不安が入り混じった気持ちで、ロースクールの初日を迎えた。
 菊野は、学部の学生に混じって校門をくぐって、一際輝くロースクールの校舎へ向かった。X大学では、わざわざロースクール用に立派な校舎を建てたそうだ。いや、X大学だけではない。どこのロースクールも同じようなもので、中にはホテルのような豪華な校舎を新築した大学もあると聞く。たかだか数十名のロースクール生のために、すごい待遇だよなぁ。菊野は優越感に浸っていたが、よくよく考えてみれば、自分の払う学費もかなりの額であった(1月号)。
 さて、入学式では、法科大学院長の祝辞の後、さっそくガイダンスが行われた。事前に
配布されたシラバスや手引き書に基づいて、色々な説明を受ける。シラバスという言葉は、確か菊野が学部生のときにも使われていたはずだが、あまり真面目に講義を受けていなかった菊野にとっては、例えばコンプライアン
スと同じくらいピンとこない言葉である。シラバスというのは、どうやら講義の大まかな計画のことのようだ。
 単位の取り方についても説明を受けた。菊野の入った未修者コースの場合、次のように3年間で96単位を取得しなくてはならないとある。先生の話によれば、大学によってカリキュラムは全然違うようで、それぞれ特色があるらしい。先生は、X大学独自のカリキュラムについても説明してくれた。
(1) 法律基本科目(必修58単位)
 … 憲法、民法、商法、刑法、行政法など
(2) 実務基礎科目(必修10単位、選択必修4単位)
 … 法情報調査、民事・刑事実務基礎、法曹倫理、エクスターンシップなど
(3) 基礎・隣接科目(選択必修4単位)
 … 法政史、政治学、比較法など
(4) 展開・先端科目(選択必修20単位)
 … 労働法、民事執行・保全法、知的財産法、金融法、国際法など
 このうち1年目では、必修科目として前期14単位、後期16単位のほか、6単位までの履修が可能である。最大36単位だ。
 菊野は、ロースクール生は全員同じ講義を受けるものだと思い込んでいたが、実際は自分でどの講義を受けるか決めなければならないようだ。この点は学部の講義と同じだ。しかし、法律のホの字も知らない自分は、一体どうやって受ける講義を決めればよいのだろうか。確か、学部のときは、単位が取りやすい講義を先輩から聞いて、そればかり取っていたっけ。しかし、自ら志願してロースクールに来ておいて、そんな消極的な姿勢ではいけない。あれこれ悩んだ挙げ句、菊野は、シラバスを見ながら、何となく面白そうな講義を適当に見繕って取ることにした。
 しかし、あえてどれとは言わないが、菊野の目から見ても、法律家になるために必ずしも役に立つとは思えない講義も結構あるようだ。こういう講義は、きっと先生が厳しくて受講者が少なくて大変なんだよな。しかし、こういう講義もいくつか取らないと、必要単位を取得したことにならない仕組みらしい。この点でも大学の学部と同じである。
 学部のとき、菊野は講義もろくに出ず、テストの前に友人からノートを借りて、何とか単位を取っていた。しかし、ここロースクールではそうはいかないようだ。90分の講義を受けるためには、それと同じくらいの時間の予習が必要だ。ガイダンスをした先生はそう言っていた。1限の開始が午前9時前で、5限の終了が午後6時だから、曜日によってはほぼ1日中講義が入る。つまり、予習をするのは必然的に夜間か土日になる。こうやって3年間、法律漬けになるのか・・・。菊野は、ガイダンスを受けながら、あらためて険しい道への第一歩を踏み出したのだと実感した。

2 歓迎会
 翌朝、菊野は普段着で登校することにした。昨日、一緒に入学した人達が、明日からは普段着で登校すると言っていたからだ。社会人のときはスーツ、ネクタイが当たり前だっただけに、何だか不思議な感じがする。ロースクール生と言っても、所詮、学生ということなのだろう。菊野は、学部の1年生に戻った気分で、自転車をこぎ出した。いや、自分では大学1年生の気分だが、端から見れば、留年に留年を重ねたおっさんかも知れない。
 この日の夜、クラスごとに歓迎会(いわゆる新歓コンパ)が行われた。場所は学部生の好きそうな居酒屋だ。聞くところによると、結構、盛り上がるらしい。いきなり学生気分全開だなぁと菊野は少し心配になったが、ほとんどのロースクール生が出席すると聞いていたので、出席することにした。
 ロースクールには、確かに自分と同じような社会人経験者も何人かいるようだが、新卒のロースクール生が圧倒的に多い。それはなぜだろうか。
 一発勝負の司法試験を廃止してロースクールを導入することになったとき、ロースクールの制度趣旨の一つに、社会人経験者など多種多様な経歴を持つ人材を法曹界に輩出するという話が出ていたそうだ。菊野の入った未修者コースも、社会人経験者を意識して作られたものだと聞く。しかし、実際に社会人を4年経験した菊野には、社会人経験者がロースクールに入らない、あるいは入れない理由が分かる気がした。
 まず、完全に仕事を辞めなければならないことだ。カリキュラムを見れば一目瞭然だが、仕事を続けながらロースクールに通うということは、まずもって不可能だ。平日の朝から晩まで学校に通うことを許してくれる会社などあるわけがない。つまり、ロースクールに入るには、自分の築いてきた地位や収入を全部捨てて、一度「失業」しなければならないのである。このような決断のできる社会人はそうそういないはずだ。逆に言えば、ロースクールにいる社会人経験者は、皆、不退転の決意でここにやって来たことになる。もし勤めていた会社が倒産しなかったら、自分はロースクールに入る決断ができただろうか。
 次に、新司法試験の合格率が意外と低いということも考えられる。ロースクールができた当初は8割くらい合格すると言われていたそうだ。しかし、平成19年度の合格率は約4割である(1月号)。つまり、ロースクールに入ったからと言って、必ず弁護士になれるというものでもない。不確実という意味でも、社会人にとって、ロースクールは普通の転職とは同列に考えられないのである。
 そして、学費がかなり高いということも関係がありそうだ。菊野は、たまたま200万円ほど蓄えがあったが、他の人は3年間で300万円くらいかかる学費を一体どうやって捻出しているのか。3年間、全く働けないことを考えると、ロースクールは本当にお金がかかる世界だ。社会人は学生より損得勘定にシビアだろうから、社会人経験者がロースクールに二の足を踏むのも無理はないと思う。
 さて、話を歓迎会に戻すが、やはり菊野と新卒のロースクール生とでは、根本的にノリが違うと言わざるを得ない。新卒のロースクール生は何と言っても若い。菊野とは5歳ほど年の差があるから、当然と言えば当然だが。しかし、ロースクールには勉強しに来たのであって毎日コンパをやりに来たのではないから、そんなこと気にしても仕方ない。きっと、そのうち溶け込めるだろう。
 新卒集団のすぐ隣に、落ち着いていて物腰の柔らかい一人の学生がいた。菊野が話しかけてみると、彼は市役所に5年ほど勤めていたそうだ。市役所の時代から法律家に憧れていたが、今回思い切って公務員を辞めてロースクールに飛び込んできたのだという。彼は菊野より1つ年上だが、同じ社会人経験者ということもあって気が合いそうだ。彼は入谷と名乗った。

3 講 義
 未修者コースの1年目は、憲法、民法、刑法といった基本法律科目や法令・判例等の調査・分析という法情報調査が中心となる。講義は、基本的に少人数で行われる。講師が一方的に話し続ける学部の講義とは異なり、ロースクールでは積極的な発言や討論が頻繁に求められる。このような、教員と学生との闊達な対話を通して進められる授業形式のことをソクラテスメソッドと呼ぶそうだ。小テストやレポートなどの課題も多い。
 菊野がロースクールに入って驚いたのは、ITの活用ぶりだ。細かい連絡事項はもちろん、レポートの提出まで全てインターネットを経由させるのだ。他の学生が提出したレポートを相互に評価することもできる。だからパソコンが使えないと全く話にならない。ロースクール生は、いつもノートパソコンを持ち歩いて、廊下をウロウロしている。
 そして、講義には、大学の先生だけでなく実務家も次々と登場する。他の学生も同じだと思うが、菊野もこれまで弁護士や裁判官や検事と話をする機会はなかったので、これはかなり新鮮だ。若い弁護士がチューターとして質問を受けつけたり、補講をしてくれたりする制度もあるようだが、菊野は正規の講義で手一杯なので、あまり利用していない。
 ロースクールは、とにかく予習と復習が大変である。インターネットで講義の概要、到達目標、参考文献などを見ることができるので、これを利用しながら予習する。授業後はウェブ上で小テストを受け、理解度をチェックしながら復習する。
 自習室は24時間利用可能で、もちろんインターネットも使える。ロースクールによっては、学生ごとに専用のスペース(キャレル)が与えられるところもあるそうだ。
 菊野は、他の仲間とともに毎日自習室に通い詰め、「人生でこれほど勉強したことはない」と断言できるほど勉強することになった。しかし、考えてみれば、以前の司法試験受験生は、狭き門を目指して毎日朝から晩まで家にこもって勉強したと言うではないか。ロースクール時代になって変わったのは、勉強方法だけであり、弁護士への道が大変なことに何ら変わりはないのである。
 菊野はそんなことを考えながら、分厚い法律書と悪戦苦闘していた。

弁護士への道 第4回へつづく