会報「SOPHIA」 平成28年10月号より

子どもの権利委員会ランチタイム勉強会
「教育基本法と主権者教育の在り方」



子どもの権利委員会 委員
矢 普@暁 子

10月14日、名古屋大学の中嶋哲彦教授(教育行政学)をお招きし、表題の勉強会を行った。単に選挙制度に参加させるのでなく、子どもたちがコミュニティの一員として、日常生活の場でも自由な意見表明を尊重されることが重要である。そうした問題意識から開催された本勉強会は、「主権者教育」との言葉からイメージされてきたものを超え、「教育」一般のあり方を考え直す有意義なものとなった。

中嶋教授のお話は概ね以下の通りである。

(1) 教基法の「政治的中立性」の意味

18歳選挙権が始まり、子どもの政治参加の意義に注目が集まっているが、同時に、政治的教養教育や若者の政治参加に対する制限もまた問題になっている。

教基法14条2項の「政治的中立性」をめぐっては、政府は従来から規制範囲等の拡大解釈を続けている。そのため教育現場は、政治的教養を涵養する教育のあり方につき萎縮し続けている。他方で、政府の教基法拡大解釈や愛国心教育方針に反発し、この際好きなことを言ってやろうという教師も現れるかもしれない。教育法学会は、教基法の要請は「党派的中立性」であり、特定の政党や政治団体を直接支持する内容でなければよい、と解してきた。しかし、法的責任論からはともかく、教育実践の観点からは、党派的中立性さえ保てば政治的に偏った教育をしていいというわけではない。

(2) 政治参加保障のための政治的中立性

政治的教養教育においては政治的中立性が要請される。それは、被教育者(学生・生徒)の自由な政治参加を保障するためである。

政治参加とは、選挙での投票やリコールなどの「制度的政治参加」のみならず、これらを実質的ならしめる集会参加や団体結成などの「非制度的政治参加」があり、後者がとりわけ重要である。参院選前の政治参加教育が単に「選挙の仕方」学習に終わってしまった学校も少なくなかったが、政治参加は、政治的教養の獲得と表裏一体のものである。

(3) 教育実践における課題

学びにおいては、知識や思考方法の獲得だけでなく、具体的な事実に照らしてそれらの真理性を検証することが不可欠である。さらに、活動・実践を行う中で新たに知識を獲得し、それに基づき実践する、という繰り返しも大切である。

政治的教養教育の内実とは何なのかが必ずしも明確でないため、教育現場から主体的に明確化していくのが課題であるが、具体的には次のことがいえよう。

まず、非制度的政治参加の意義と方法を学べるようにすべきである。例えば生徒会活動等を通じても、説得的なものの伝え方や、意見の違いをどう調整し折り合いをつけるか、といったことを学ぶことができる。

また、政治・経済・歴史・科学などを学び日常生活に照らし考察する教育が重要である。例えば安保法制等が問題になると、それだけを取り上げたくなるかもしれないが、様々な分野にまたがる世の中の出来事を幅広い視点で考えられる若者を育てることが必要である。

教師は、若者が自分で考えられるということを信頼しなければならない。自らの主義主張を言いたがる教師は、根っこのところで若者の考える力を信頼していないのではないか。

UNESCOの学習権宣言では、学習権とは疑問を持ちじっくりと考える権利とされる。現在の授業は、獲得目標と、結論を導くための教材や授業の流れなど教師の設定した指導計画に基づき行われている。そのため、授業でディスカッションの時間があるからといって必ずしも生徒が自由に考えられるわけではない。しかし、学習権の観点からすれば、被教育者が自らの文脈に即して実践的に知識や思考方法を行使し、それら自体の真理性や政治性を検証できる機会を保障しなければならない。

(4) 政治的教養教育と被教育者の政治的活動に関するテーゼ

@教育の政治的中立性に対する第一義的な脅威は国家権力の介入である。

A政治的中立性を確保するための規律は、社会的に合意された自律的規範に則った自己規律であるべきである。
 国家の作る法ではなく、学校や教師の独善でもない点が重要である。ドイツでは「教師は、期待される見解により生徒を圧倒してはならず、生徒が自ら判断するのを妨げてはならない」等の自主的な規律が提起されたように、政府のルール作りや出来の良い副読本の発行を待つのではなく、教育の世界から規律を提起し社会的合意を獲得していくべきである。

B被教育者自身が、自らの受けた教育の政治的中立性を検証できる機会が確保されなければならない。
 例えば図書館に様々な新聞や雑誌などを置いて学校や教師から独立した「知」にアクセスできるようにしたり、被教育者の学校内外における広義の政治的活動の自由を確保したりする必要がある。この第3テーゼは、別の見方をする力を養うためのものであり、政治的教養教育がまともなものとして機能するために不可欠である。

C教師は、自己の政治的な主義主張の表明を国家権力からも親からも強制されない。

(5) 教基法と文科省2015年通知の問題点

 政治的教養教育と生徒の政治的活動について文科省が2015年に出した通知は、教師が指導に当たって、自己の主義主張を述べることを避けるべきとするが、教師は自己の意図を示さずして求める結論に生徒を誘導できてしまうため、自己の見解を示したうえで自由に考えさせる方がむしろ公正ではないか。

また、2015年通知は、高校生の政治的活動について、学校内での授業中や時間外での政治的活動の禁止が必要であるとするが、授業内容に関連する生徒の意見表明が禁止される危険を孕む。授業中に生徒から「原発は危ない」などの発言があっても止めるべきではない。また、2015年通知は、学校外の活動でも違法・暴力的な活動になるおそれが高いものは制約すべきとするが、学校外での活動を制約する点は、大きなお世話と読むべきである。

(6) 質疑

Q.自分の発言が「政治的か」など生徒には判断できないのでは。A.教師の中に「対立のあるものは政治的」とする雰囲気がある。しかし生徒は気にせず自由に発言すればよい。

Q.「正解」があり○×がつく教科教育の中で多様な見方を育てる教育はできるのか。A.考える力を作る授業へのシフトが必要と言われているができていない。教科教育でも、教科書を使いながら、その外にある「知」を気づかせることはできる(総合学習の時間が活用できるとの意見、解の導き方の違いや英語の模範構文とネイティブ表現の違いなど「答えは一つじゃない」ことを自分たちも意識する必要がある、との意見も出た)。

Q.「エアコンがほしい」「自転車通学したい」等の意見は出せても「参加して変わる」との意識がないがどうすれば。A.教師自身が全国学テ対応で多忙。教師も生徒と一緒に変わろうという意識が必要(全校討論集会で校則を変えた会員の経験も語られた)。

(7) 感想

面白かった。詰め込み教育で育った私たち大人にも政治的教養教育が必要だと思った。