会報「SOPHIA」 平成27年5月号より


子どもの事件の現場から(143)

親子関係も再非行も乗り越えた少年の成長



会 員  景 山 智 也


 彼女に初めて会ったのは、彼女が16歳のある日の少年鑑別所でした。初回の置引き事件で、非行性は深くなく、問題なく家に帰せる事案でしたが、母親との関係が悪く、母親に受入れを拒否されました。彼女は母親と二人暮らしでしたが、仕事を1か月で退職したことから親子関係が悪化しました。その仕事は介護職であり、小柄な彼女にとっては体力的にもきつく、また、コミュニケーションを図るのが難しい高齢者の介護を行うことは、16歳の彼女には精神的にも大変でした。その間、母親から優しい言葉を掛けてもらえれば、もっと頑張れたと思いますが、母親からは娘を思いやる言葉はありませんでした。受入れを拒否された彼女でしたが、調査官が自立援助ホームを確保してくれて、試験観察になりました。審判では、私から母親に、彼女が1か月間とはいえ、大変な介護の仕事を頑張っていたと認めてほしいと水を向けましたが、母親は彼女の頑張りを評価してくれませんでした。審判後、援助ホームに向かう車中で、彼女はお母さんを絶対に見返したい、と話してくれました。ほどなく、彼女は新しい仕事を見つけ、試験観察後の審判でも在宅処遇が決定したため、母親との関係修復の必要を感じながらも、彼女への連絡は疎かになっていました。


 そのような最中、事件の被害者から手紙が届きました。被害弁償ができない事情として、彼女の家庭環境も説明していたところ、応援の手紙とプレゼントを送ってくれたのです。私は援助ホームにいるはずの彼女に連絡を取りましたが、彼女は再非行を起こして鑑別所にいることが分かりました。鑑別所で、彼女は期待を裏切ってごめんなさいと泣きながら謝りました。順調に更生していると思っていた彼女でしたが、仕事や人間関係に悩み、ストレスから再非行に及んでしまいました。私が一度でも様子見の連絡をしていれば、こんなことにはならなかったと思い、私も放置していたことを詫びました。被害者から届いた応援の手紙とプレゼントは少年院でしっかり学んで帰ってくるまで私が預かることとしました。


 彼女は少年院では模範的に生活していましたが、母親が受入れを拒否し、帰住先が決まらずに困っていると手紙が届きました。私は、子どもセンターパオ理事長の多田元会員と事務局長の高橋直紹会員にステップハウス「ぴあ・かもみーる」(ぴあかも)での受入れをお願いし、快諾を得ました。少年院の退所日に多田会員と迎えに行くと、院長以下多数の職員が、模範生であった彼女を玄関先に並んで見送ってくれ、付添人としても誇らしい気持ちになりました。


 ぴあかもに入ってからは、下野谷順子会員が私とともに彼女のパートナー弁護士となってくれ、一緒に彼女を応援してくれました。親身に接してくれる、ぴあかもスタッフにも恵まれて、彼女は介護職として稼働し、8か月で一人暮らし可能な金額を貯めて、先日、無事ぴあかもを卒業しました。


 鑑別所で会ってから2年、彼女は再非行もあったものの、一人暮らしができるまで成長してくれました。立ち直っていこうと真摯に努力する若者の傍らで一緒に泣き笑いしながら、ともに成長していけるのは少年事件の大きな魅力です。若手会員のみなさんにもこの魅力を感じてほしいと思います。 (止)