会報「SOPHIA」 平成26年8月号より

●ためになる実務 
精神保健福祉法改正の問題点


司法制度調査委員会 委員
櫻井 博太

  1. ここでは「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)」が平成25年6月に一部改正されたことにより精神障がい者の処遇がどのように変わるのかを概観したい。

  2. 夙に言われるように精神障がい者(かつては癲狂病者などと言われた)に対する処遇は悲劇の連続であった。

    明治33年(1900年)精神病者監護法が制定されるまでは精神障がい者は公的な処遇の対象とされず、私宅に監置され治療は加持祈祷等に頼るしかないという状態であった。

    乱暴な言い方をすれば精神障がい者はそれぞれの家で責任を持って面倒を看ろということである。この発想は保護義務者制度まで引き継がれ、今般の改正でようやく法文上から削除されたのである。

    しかし、精神病者監護法が制定された後も、決して精神障がい者の権利が擁護されるようになったわけではなく、むしろ私宅監置が医学的かつ法的に正当化されてしまった感がある。

  3. 私宅監置が法的に廃止されたのは、その後大正8年の精神病院法の制定を経て昭和25年に精神衛生法が制定されてからである。

    この精神衛生法では、精神科病院の設置を都道府県に義務付けるとともに、精神衛生鑑定医や精神衛生相談所など現在の精神保健指定医や精神保健福祉センターの源流となる制度や公的機関が法定化された。しかし、それでも精神障がい者に対する処遇は迷走を続けた。

  4. 精神障がい者に対する処遇に転機が訪れたのは、昭和39年のライシャワー事件(駐日米国大使が精神障がいを有する日本人青年に刺された事件)と、昭和59年の宇都宮病院事件(民間精神科病院内で看護職員が患者2人に暴行を加えて死亡させた事件)である。

  5. これらの事件を契機に精神衛生法が改正され、さらに昭和62年精神保健法が制定された。

    同法は、精神障がい者の人権擁護と社会復帰を目的とし、精神科病院の入院形態を任意入院・医療保護入院・措置入院の三本立てとし、医療保護入院の同意権者としての保護義務者(保護者)制度が導入された。さらには精神保健指定医制度や精神医療審査会制度も創設されたのである。

  6. この精神保健法は、平成7年の改正により、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)という名称となり、平成11年、同17年の改正を経て今般の改正を迎えることとなる。

    同法は名称からも分かるように入院患者の権利擁護と社会防衛的な部分(措置入院)、さらには精神障がい者のノーマライゼーションと社会参加を目指す複合的な法律である。しかし、国際社会を見ると、医療の対象となる「傷病」と福祉の対象となるべき「障がい」を明確に区別しようという考え方が趨勢になっている。その意味で精神保健福祉法は時代から取り残されつつあるのかも知れない。

  7. このジレンマの中で、今般、精神保健福祉法の改正がなされた。改正に先立って立ち上げられた検討チームでは、保護者制度の廃止と患者の利益を保護するための代弁者制度の導入を二本柱として改正内容を検討してきた。保護者制度は保護者に対して精神障がい者に治療を受けさせる義務のほか、保護義務をはじめ数多くの法的義務を課していたため、特定の家族のみが過大な義務を負う等様々な問題点が指摘されていたからである。

  8. ところが、改正法では保護者制度を廃止する一方で家族等の同意が入院要件として定められた。また、患者の代弁者制度はそっくり見送られてしまった。

    しかも、今回の改正では医療保護入院にあたって指定医2名による診察・判定を必要とすべきであるという提案もなされていたが、その提案も受け容れられないままとなった。

    厚労省は「誰の同意も得ずに入院させてよいのかを検討し、今回の案にした。代弁者は性格や権限がはっきりしない。」と説明する。 しかしこれでは従来の制度に比較しても安易な医療保護入院を増やすことに繋がりかねない。

  9. 精神保健福祉法が抜本的な改革を成し遂げられない原因は多数考えられるが、精神障がい者に対する公的権利擁護制度を各関係者が真剣に追求できなかったことが最大の原因ではないであろうか。

    早急に精神障がい者処遇の構造的な問題解決を図る時期に来ていると思われる。