会報「SOPHIA」 平成26年3月号より

Mちゃんが生きた証に


子どもの権利委員会 委員 粕 田 陽 子

夜9時過ぎに電話がなった。着信は私が未成年後見人を務めているMちゃんが入所している施設併設の病院からだった。まさか…。「容体が危険なので、来ていただけますか?」咄嗟のことで、何があったのかと思う反面、とうとうこの時が来てしまったのかとも思った。


彼女は、水無脳症といって大脳が形成されておらず、わずかに残った脳幹部で命を繋いでいた。出生直後に産院の前に置き去りにされていたのを発見されて総合病院に救急搬送され、綱渡りながらも様態は安定した。しかし、警察の捜査にもかかわらず、彼女を遺棄した保護者は見つからなかった。児童相談所に保護された彼女は、重度心身障害者入所施設に移ることになった。そして将来的な医療同意の必要性等から未成年後見人を選任することとなり、同期の弁護士の引き合わせで私が彼女と巡り会った。彼女が3歳の時であった。


医師から示されたCT画像は頭蓋内が髄液で満たされており真っ黒で、大脳がない為に感情も五感もないであろうとの説明を受けた。「この病気の平均寿命は3歳程度らしいので、短いおつきあいになるかもしれないのですが」と児相からも聞いていた。それから一年に一度は万が一の時に延命措置をどの程度施すか等の方針を確認された。彼女の母が授けた命の先行きを私が判断しなければならない重責に胸が押しつぶされる思いだったが、これこそが未成年後見人である私に求められた職務であった。


しかし、医師の説明とは裏腹に誕生日やケース会議などで彼女に会いに行くと、不快な外的刺激には筋肉をこわばらせる、こわばらせた筋肉も世話をしてくださる看護師さんに抱かれると脱力するなどの様子が見られるようになり、看護師さんとの愛着関係が形成されているようで、私には彼女がすくすく成長しているように思えた(成長ホルモンが排出されないので、実際には体はほとんど大きくならなかった)。それは彼女に対して言葉をかけ続け、優しく接してくださった方々の愛情の賜物であると思えた。時々、感染症による発熱や腸捻転などの困難にあいながらも(抵抗力が弱いので、風邪が命取りになりかねない)、皆さんに支えられ、彼女は平均寿命を超え、私は保護者として小学校入学式や授業参観に出席することができた。無事3年生に進級し、20歳になったら成年後見の申 し立てをしないといけないなと私も考えるようになった。そんな矢先、9歳2か月での突然のお別れであった。


葬儀は施設や児相の方、看護師さん、小学校の先生等多くの方が来てくださり、歌と涙で送ってくださった。人生の始まりに生みの母と別れるという最大の悲しみを味わった彼女も、多くの愛で癒やされて天に召されたことと思いたい。また、こうして、会報に彼女のことを書かせてもらうことで、彼女が多くの人に愛され、また、彼女が多くの人を励まし、癒やしたことを残したい。



このような未成年後見ケースでの個人による後見は非常に精神的な荷が重いものです。児童福祉法・民法改正により、必ずしも個人でこの重責を担わなければならない訳ではなくなりました。しかし、私はこういったケースを法人後見とする場合であっても、同じ濃度で関わりたいと改めて感じたのでした。