会報「SOPHIA」 平成25年10月号より

シンポジウム第1分科会
放射能による人権侵害の根絶をめざして
〜ヒロシマから考える、福島原発事故と被害の完全救済、そして脱原発へ〜


人権擁護大会シンジウム第1分科会実行委員
子どもの権利委員会
委員 兼 子 千 佳

公害対策・環境保全委員会 委員
藤 川 誠 二

1 はじめに
10月3、4日に人権擁護大会が広島市において開催された。3日に行われたシンポジウム第1分科会の内容は、福島第一原発事故から2年半の間における日弁連及び各地の弁護士による活動の軌跡でもある。以下その内容を報告する。
2 シンポジウム概要

第1分科会は、開催時間が12時〜19時と他の分科会より長く、内容は三部構成であった。第一部は福島第一原発事故の被害について、第二部は放射線被害について、第三部は脱原発をテーマとして行われた。各テーマはそれぞれが一つの分科会としても十分成り立つものであったが、いずれも外すことはできないということから、通常のシンポジウム開催時間を拡張し、三部構成とする工夫をした。

会場は、大会と同じ大ホールで定員1500名という大きな会場であった。開催前は、空席が目立つような状態になるのではとの心配もあったが、開始してみると、一般来場者を含め900人以上の多数の参加があり関心の高さがうかがえた。


3 第一部「福島被害を考える」

(1)福島第一原発事故は福島県を中心に深刻な放射能汚染をもたらした。現在も15万人もの人々が県内外へ避難しており、これまでの公害被害等とは比較にならないほど被害規模が突出している。東電に対する損害賠償請求では、避難者が全国にいることから、日本各地の弁護士がこの問題に取り組んでいる。第一部で被害の問題を取り上げたのは、被害救済の課題、ふるさとや生活基盤そのものを奪われたという過去に例のない問題について、これまでの損害賠償の法的枠組みでは解決できない課題として考えるとともに、被害救済にかかわる全国の弁護士の活動を後押しするという意味も込められていた。

(2)第一部は、まず、海渡雄一前日弁連事務総長から第1分科会全体にわたる内容について日弁連からの基調報告があった。特に印象的であったのは、事故の翌日早朝から津波被害者の捜索が行われる予定であった福島第一原発に程近い浪江町請戸の浜での出来事であった。救難作業は平成23年3月12日午前5時44分に発令された避難指示により実施されなかった。この時、捜索が行われていたのであれば、何人かの尊い命が救えたかもしれなかった。実際には、この浜の汚染は低レベルであり、避難先の方が高かったのであった。

(3)基調報告に続き、福島県弁護士会の三名の弁護士による福島とチェルノブイリ事故後のウクライナ調査報告があった。自身も被害者でありながら現地にとどまり弁護士としての活動を続けている立場からの詳細な報告でもあり、福島の被害実態、放射線被害とどう向き合うか、考えさせられる内容であった。

(4)そして、基調講演インタビュー「福島は、今」というテーマで原発告訴団団長である武藤類子さんから話をうかがった。事故前の里山での楽しく豊かだった生活、そして、事故によりすべてが奪われたこと、反原発活動や東電の無責任な対応、告訴団を組織した経緯など、生活のすべてを奪われた立場からの心情が会場にも伝わる貴重な話であった。

(5)除本理史教授(大阪市立大学大学院経営学研究科)の講演では、これまでの公害被害の経済学的観点からの研究を踏まえ、放射能汚染の長期的影響、ふるさとの喪失といった福島事故の特徴に応じた十分な賠償、生活再建に向けた支援措置の重要性の指摘があった。

4 第二部「放射線被害を考える」

(1)第二部では、放射線被ばくによる健康被害の防止に向けた取り組みについてパネルディスカッションを中心に議論した。開催地の広島は、原爆投下によって甚大な被害を受けた。一瞬にして数万人が亡くなり、その後も多数の死者が出て、当時広島市の人口は約35万人であったが、昭和20年末までに約14万人が死亡したという事実。時を経て起きてしまった福島での放射能による被害。この時期に広島で人権擁護大会が行われたことに不思議なつながりを感じざるを得ない。

(2)パネルディスカッションでは、西尾正道氏(北海道がんセンター名誉院長)、津田敏秀氏(岡山大学大学院環境学研究科教授)、今中哲二氏(京都大学原子炉実験所助教)、足立修一弁護士(広島弁護士会)の4名のパネリストにより、放射線被ばくとその対策について議論が行われた。
避難指示基準が年間20mSvであることの問題点や低線量被ばくのリスク、福島での健康被害の現状、県民健康調査の実態や問題点等についてチェルノブイリ事故との比較や、福島での最新データも踏まえた活発な議論が行われた。どのパネリストも今回の事故による放射線被害を重大に受け止め、被害対策の必要性を述べていた。

5 第三部「脱原発を考える」

(1)日弁連はこれまでも原発には反対の立場である。今回の人権擁護大会では、さらに踏み込んで、既存の原発についても「できる限り速やかに、全て廃止すること」という決議をした。これは、現在の政府の原発推進路線に真っ向から反対するもので、非常に意義のある意見表明である。会員には、ぜひ日弁連の立場と活動を知っていただきたい。

(2)さて、第三部では、冒頭に福島第一原発事故の経緯について私から報告した。ポイントは、津波の襲来前に重要な機器が地震の揺れにより損傷していた可能性があること、事故原因はいまだ解明されていないことである。
冒頭報告に続き、当初の予定では事故当時の首相である菅直人元首相が登場する予定であったが、飛行機の関係で順番を変え、田中三彦氏(元国会事故調査委員会委員)と後藤政志氏(NPO法人APAST理事長)の講演が行われた。

(3)田中氏の講演は、地震による1号機の損傷の可能性や未解明の問題点についてであった。特に1号機が地震により損傷した可能性については、水素爆発の発生原因に関し具体的で説得力のある内容であった。事故原因究明に対する東電の非協力的な姿勢について理不尽さを感じるものであり、事故原因が未解明であることを踏まえると、現在各地の原発で再稼働申請がされていることについては、大きな問題を感じざるを得ない。
後藤氏の講演は、元原子炉技術者の立場から、なぜ原発は安全といえないのか、また、今年策定された新規制基準においても問題点は変わっておらず事故は防げないこと等の内容であった。

(4)菅元首相からは、事故の第一報を受け背筋が寒くなったという当時の心境や、事故直後官邸には東電から情報が入ってこなかったという実態、水素爆発が起きた直後に東電に聞いても「分からない」との回答であったというやりとり等、生々しい話がなされた。また、SPEEDTの発表が遅れたことや、浜岡原発の停止要請の経緯など、臨場感のあるインタビューであった。

6 最後に
シンポジウムのテーマ選定の際、どのテーマとするかについて、委員の中で様々な意見があった。いずれも今やらなければならない問題であり、最終的には全ての内容を盛り込むことになった。かなりの大所帯となったが、福島の現地視察や実行委員会を重ねる度に実行委員同士の一体感が高まるなど、非常に内容の濃いシンポジウムであった。