会報「SOPHIA」 平成25年9月号より

子どもの事件の現場から(123)
少女の幸せを願って


子どもの権利委員会
委員 兼 子 千 佳

「お母さんを包丁で刺しちゃったの」

鑑別所で初めて会った16歳の少女は、にこにこと笑いながら話を始めました。なんで笑いながら話せるんだろう…というのが最初の印象でした。少し話をすると、知的な問題があることが分かりました。

事件は、酒に酔った母親から暴言を吐かれた少女が、喧嘩の末に、包丁で母親の腕を刺したというものでした。

少女には、軽い知的障害がありました。精神的な病気もあり、家で暴れることもあったようです。

母親は、昼間は献身的に少女の世話をしていましたが、夜になると毎日のように酒を飲み、少女や他の家族に暴力をふるっていました。包丁を出して警察沙汰になることも何度もありました。父親は、そんな母を止めるために暴力をふるっていたようでした。日常的に激しい暴力がふるわれる環境で過ごしていた少女は、包丁を持ちだすことに全く抵抗がなかったようです。


面会を重ねるにつれ、少女は、徐々に色々な話をするようになりました。お母さんはいつもお酒を飲んでいること、お酒を飲んだお母さんは嫌いなこと、お父さんはお母さんを叩くこと、学校の勉強はわからなかったこと、学校でいじめられたこと、鑑別所はみんなが面会に来てうれしいこと…少女は少女なりに、いろいろな思いをもって生きていました。この子が幸せな生活するためには何をすることができるのか、頭を悩ませる日々が続きました。

やるべきことは色々あったのですが、少女を家に帰すことができないことは明らかでした。安らげる場所を用意することが少女にとって何よりも大切なことでした。

私は、両親や祖父母から、福祉関係の仕事をしている親戚がいると聞いていたので、その方に力になってもらえないかと思っていました。私が、その親戚の元に少女を預けることを提案すると、両親は、少女の知的障害のことは誰にも言っていないから嫌だと抵抗していましたが、最終的には少女のためになるならと了承してくれました。私は、親戚夫婦に連絡をとり、少女の病気、家族の状況、事件のことを話し、少女と一緒に生活してもらえないかとお願いをしました。親戚夫婦は、快く了解してくれ、何度も鑑別所に足を運んでくれました。審判にも、両親と一緒に来てくれました。

少女も頻繁に面会に来ては話をしてくれる親戚夫婦を信頼するようになり、審判直前には「おばちゃんとこ行くー」と言うようになっていました。


少女は無事保護観察になり、親戚夫婦と帰っていきました。その後しばらくして、親戚夫婦から、少女が元気にやっていると手紙が来ました。両親とも定期的に会っているとのことでした。

少女のために何ができたのか、もっとやれることがあったのではないかと反省はつきません。ただ、新しい環境で幸せな生活をしていることを願うばかりです。