子どもの事件の現場から(119)
少年から貰った自信と喜び
会員 酒 井 寛
1 少年は、前件で保護観察処分中に本件のバイク窃盗を犯した。 さらに、バイク窃盗3件、業務妨害罪、住居侵入罪等の余罪が存在するという。 また、補導歴も20件以上あった。 そのため、私は、就任当初、少年院送致もやむを得ないとも思ったが、私は、少年と対話を重ねるにつれて「この少年を絶対に少年院に行かせてはならない」という強い気持ちが自分の中にわき出てくるのを感じた。
2 少年の両親は、少年が小学校3年生の時に離婚したが、様々な事情から、その後も、「恋人同士」のような形で交際を続けていた。
しかし、少年が中学校2年生であった2011年の夏、母親に新たな恋人が出来たことを知った父親が激高し、口論の末、母親の脇腹を蹴って重傷を負わせ、入院を余儀なくさせ、父親は傷害罪で逮捕されるに至った。
少年は、兄弟の中で、唯一、この事件を直接に目撃した。
少年には多数の非行、補導歴があるが、そのほとんどが、当該父親の母親に対する暴力事件が起きた2011年の夏以降に行われたものである。
母親は事件から1ヶ月余りで退院したが、当該暴力事件により少年の心に傷を負わせてしまったという負い目から、当該事件以降、少年に対して、どこか他人行儀に接するようになってしまった。
3 私は、少年から以上のような話を聞き、少年が非行に至った原因に両親との関係が深く関わっていると考えた。
そこで、私は、少年を一時期両親の下から離すべきではないかと真剣に頭を悩ませ、事務所内で里親経験のある事務職員に保護委託先となって貰うことを打診したり、また、少年事件メーリングリストで良い保護委託先が無いかと尋ねる等した。
4 しかし、私の悩みは杞憂に終わった。逮捕後、母親が面会に訪れたことをきっかけに、少年と母親との関係は少しずつ改善に向かった。
先の暴力事件も含め、面と向かって本音で話し合えるようになっていったのである。
それを踏まえて、少年と話し合った結果、社会復帰後は、保護委託先ではなく、母親の下で暮らすということで方針が固まった。
また、少年は以前から塗装業に興味を持っていたが、幸い、社会復帰後に少年の雇用主となってくれる塗装業者も見つかった。
5 審判当日、裁判官から「試験観察」という言葉を聞いた少年は、社会復帰できるという喜びから大粒の涙を流していた。
そして、少年は、試験観察中も真面目に仕事に取り組む日々を過ごし、特に大きな問題もなく、最終審判当日を迎えた。そして、少年に保護観察処分が下された。
6 このように、少年が更生に向かい、そして、少年院送致という結果が避けられた要因は、少年との関係を改善に導いていった母親の力であり、また、それを素直に受け入れられるようになった少年の成長である。
7 最初の審判の前日に鑑別所に居る少年から私の下に「僕を少年院に行かせないために必死で頑張ってくれた先生に本当に感謝しています。先生でなかったら、僕もこんなに頑張れなかった。」という内容の手紙が届いた。そのため、私も少年の更生のために少しは役立てたと、大変な充実感を感じることができた。
この事件は、私が主導的に事件処理にあたった初めての少年事件である。その事件で少年と良い関係を築けたことは大きな自信となった。少年から貰った手紙は今でも我が家の神棚の上に飾られている。