会報「SOPHIA」 平成25年3月号より

「ドイツにおける脱原発とポスト脱原発

−残された課題と日本への示唆−」勉強会

日時 平成25年3月14日 16:15〜17:30
場所 弁護士会館3階小会議室
講師 青木 聡子 氏
(名古屋大学大学院環境学研究科講師)

公害対策・環境保全委員会
委 員 藤 川 誠 二

1 はじめに

ドイツでは、2011年3月11日のわずか3日後である3月14日に、老朽化した原発7基を3か月間運転停止することを発表し、その2か月半後である5月30日には、2022年までに脱原発を進めると発表した。本勉強会では、このような政策を選択したドイツにおける脱原発の市民運動や政策決定に至る経緯、今後の課題について、ご講演いただいた。

以下、勉強会の概要について報告する。

2 2000年の脱原発合意、2010年の稼働延長決定

ドイツでは1970年代以降、原子力施設建設反対運動が各地で行われてきた。2000年には当時の連立政権により、全ての原発を32年間の運転後に閉鎖するという脱原発合意がされた。ところが、その後、脱原発からの「揺り戻し」があり、2010年にメルケル政権により原子力法が改正され、原発の稼働期間を平均12年間延長するという経緯があった。

1970年頃のドイツでの反原子力施設運動は、環境運動というよりは、地方からの中央に対する反発・異議申し立てという意味合いがあり、参加者も60年代に学生運動に参加した若い世代が中心であった。ドイツでの反原発デモでは、1回の参加者が15万人や10万人規模で行われることもあり、同時期の日本とは大きな差があった。

その後1990年代に転換期があり、ドイツ社会民主党(SPD)や緑の党が反原発を掲げ、政党レベルでの脱原発へと向かっていった。そして、SPDと緑の党の連立政権の誕生により、2000年に連邦政府と電力業界が脱原発の基本合意に達し、2002年に原子力法が改正された。しかしながら、2009年に誕生したメルケル政権が原発の延命を決定し、脱原発からの「揺り戻し」があった。

3 3・11以降の「揺り戻し」の揺り戻し

ところがメルケル政権は、3・11のわずか3日後に、老朽化した原発7基の3か月間の停止を発表し、その8日後には、「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の設置を発表した。この倫理委員会では、政治家や学者だけではなく、宗教家など様々な立場からの代表者が委員となり、11時間にわたる公開討論会(テレビ中継あり)も経るなど集中的な議論が行われた。委員会名に「倫理」とあるのは、廃棄物を将来に残すことの倫理、特定の地域へリスクを与えるという意味での倫理、電力供給やCO2排出に関する責任倫理という意味があるとのことである。

このような国民的議論を経て、連邦政府は、2022年までに脱原発を図るという内容の原子力法改正を行うに至った。

4 残された課題とまとめ

脱原発決定後の残された課題には、使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理問題、脱原発後の地域社会の問題がある。原子力施設の稼働停止や建設中止に伴う経済的損失は、税収入の減少、雇用機会の喪失、補助金が無くなることなど、地域社会に与える影響は小さくないとのことであった。

福島の原発事故後、地震がほとんどないドイツが脱原発を決定したことは注目に値する。日弁連は脱原発という立場での意見表明をしている。東電に対する賠償問題などを考えても、我々弁護士にとって、今後の原発政策は注目すべき問題といえる。