会報「SOPHIA」 平成24年10月号より

ためになる実務

被疑者段階での証拠開示制度に向けて

(ドイツ刑訴法を例に)

 

司法制度調査委員会 委員
櫻 井 博 太


1 捜査段階での証拠開示の必要性
  • (1)近時、あらためて耳目を集めた誤認逮捕。それは、無辜の処罰への出発点であり、刑事弁護人の戦いの始まりである。

    かつては公訴提起されるまでは選任されなかった国選弁護人も、公訴提起前の段階から選任されるようになった。いわゆる被疑者国選という制度である。

    しかし、いくら被疑者の段階から弁護人が就いたとしても、無辜の処罰を根絶することはできない。その原因は多岐にわたるが、ここでは証拠開示という観点から、その原因と対処を考えてみたい。

  • (2)よく、被疑者や家族等関係者から「先生は、もう証拠を見られたんですよね」などと言われることがある。刑事手続に詳しくない人からすれば、弁護人に選任されれば、その瞬間から全ての証拠を閲覧することができるようになる、と思われているのかもしれない。しかし、実際は、公訴提起前に閲覧謄写できるのは勾留状謄本くらいであって、その他の証拠関係は公訴提起がなされるまでは閲覧することができない。それどころか、公訴提起がなされても、証拠が開示されるまで2週間くらい待たされるのが現状である。

    つまり、被疑者段階の弁護人は、@捜査側がどのような証拠を有しているのか、Aその内容がどのようなものなのか、といったことを知らされないまま弁護活動を行わなければならないのである。

  • (3)たとえば、公訴提起がなされるのを待って直ちに保釈を請求する場合、被疑者段階から保釈請求の準備をしておく必要がある。この場合も、弁護人は捜査側の手持ち証拠を閲覧できないまま準備をしなければならない。捜査側がどのような証拠を持っているのか、ということすら分からない状態である。

    これに比して、保釈の当否を判断する裁判官は、検察庁から送られた証拠を見て、その当否を判断することになっている。この点を捉えるだけでも、弁護人が不利な立場に追いやられていることが分かる。被疑者が、法定刑の重い犯罪を否認しているような事案だと、事態はかなり深刻である。

  • (4)捜索差し押えについても、その現場に立ち会うことができれば、弁護人として対処することも可能であるが、そんなことは希である。普通は、何のために捜索差し押えをしようとしていたのか、何を差し押さえたのか、あるいは、何を写真に撮ってきたのか、といった点は霧中のままである。

    もし、この時点で、捜索差し押えの内容等が開示されれば、違法な手続を阻止したり、捜査側による証拠の偽造や隠滅を防止することができるかもしれない。それによって無辜の処罰を未然に防ぐことも可能となり、さらには、真実の発見にも繋がる。

  • (5)ところが、上記に述べたように、被疑者段階では弁護人には証拠は開示されていない。そのため、被疑者段階における証拠開示制度を整備することは急務である。

2 ドイツ刑訴法の概観
  • (1)わが国の刑事訴訟法は、とくに明治期以後、フランス法、ドイツ法、および英米法という西洋法を順次継受して形成されてきた、と言われている。そこで、本稿では、母法のひとつであるドイツ刑訴法を参照しつつ、被疑者段階における証拠開示のあり方を模索してみたい。なお、ドイツ刑訴法の理解は、斎藤司准教授(龍谷大学)「ドイツ証拠開示制度について」(日弁連刑事法制委員会合宿)に負うものである。
  • (2)まず、ドイツにおいては、ドイツ基本法103条1項(裁判所において法的聴聞を請求する権利を保障)、およびヨーロッパ人権条約6条1項(公正な手続を請求する権利を規定)により、刑事手続のすべての段階において、被疑者・被告人の証拠開示請求権に憲法的価値が認められている。
  • (3)この憲法的価値を実現すべく、ドイツ刑訴法147条1項は「弁護人は、裁判所に存在する記録または公訴提起の際に提出されるであろう記録を閲覧し、そして職務上保管されている証拠を閲覧する権利を持つ」と規定する。これにより、弁護人は、@裁判所に存在する記録、A公訴提起の際に提出されるであろう記録、B職務上保管されている証拠を閲覧することができるのである。

    なお、斎藤准教授によると、@ABにいう記録・証拠には、録音・録画テープ、電磁的記録媒体なども含まれるということである。

  • (4)さらに、ドイツ刑訴法168条b第1項は、検察や警察による捜査手続の過程は、被疑者・被告人に有利・不利なものを含めて全て記録化されることを要請する(記録完全性の原則)。これにより、捜査の端緒が生じた事情、訴追機関が行った処分の内容、そこから得られた情報の全てが記録化されることが求められる(なお、ドイツ刑訴法160条2項は「検察官は、被疑者に不利な諸事情だけでなく、有利に働く諸事情についても捜査しなければならない。また、滅失のおそれのある証拠を取り調べるよう努めなければならない」と定める)。
  • (5)他方で、当該事件に関連する記録・証拠のうち、被告人や被疑者に関連しない記録や証拠(具体的には、被告人以外の者に対する捜査の記録)を開示対象たる一件記録に編綴するか否かについては、検察官の権限であるとされている(連邦最高裁判所1981年決定、連邦憲法裁判所1983年決定)。もっとも、これに対しては、検察官の判断に対する裁判所や弁護人のチェックの必要性という観点からの批判もある。とは言え、被告人や被疑者に関連する記録や証拠が全て記録化されて、弁護人の閲覧対象となるという点で、わが国の実情とは雲泥の差である。
  • (6)ここで、閲覧時期(証拠開示の適用時期)の拡張についても触れておく。1877年帝国刑訴法の時代には、証拠開示は予審開始後に限定されていた。しかし、その状況が実務上次第に拡大され、1964年の改正によって、明文で捜査段階における証拠開示が認められた。その結果、現在のドイツでは捜査の開始から再審まで証拠の閲覧が認められるに至っている(弁護人は、捜査段階においても、検察庁に赴いて、記録室で一件記録や証拠を閲覧することができる)。前出斎藤准教授によると、ドイツでは、「捜査段階における証拠開示は捜査段階における弁護活動のスタートライン」として位置づけられているということである。
  • (7)最後に証拠開示の制限について触れておく。ドイツ刑訴法147条2項によると、捜査が終結するまでは、手続の目的(斎藤准教授によると、具体的には、真実発見や効率的な手続の進行)が阻害される可能性があるときは、証拠開示を制限できるとされている。

    しかし、同法3項は、捜査段階であっても、@被疑者の尋問調書、A弁護人の立会が認められ、または認められなければならなかった裁判官の審問行為の調書、B専門家の鑑定書の閲覧、については、開示を拒否できないと定める。この条項も、わが国の現状からすれば刮目に値する。


3 小括

このように、ドイツの例を見ても、被疑者段階での証拠開示制度を整備することが「いばらの道程」であることは容易に理解できる。

しかし、それを果たし得るのは弁護士のみである。憲法的正義の実現を担う私たちの責務は重大である。