子どもの事件の現場から(114)
い き る
会員 高 橋 直 紹
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「つらい」「死にたい」「手首を切りたい」…受話器から聞こえてくる悲痛な声…これに対する私の言葉はどんどん説得力がなくなっていく。
私が杉浦宇子会員や粕田陽子会員らと担当している女の子からの電話。彼女との出会いは彼女が高校1年生の時、彼女が生活する施設でだった。親からの酷い虐待行為に対して、刑事告訴したいとの相談だった。結果としては刑事告訴までは至らなかったが、その後も私たちとの関わりは続いた。
高校卒業後、彼女は看護師を目指し働きながら勉強に頑張っている。しかし、幼い頃から受けてきた親からの虐待の傷はなかなか癒されない。一所懸命生きているが、色々なことが重なりフラフラになる。そんなとき電話やメールが入る。今回もその電話だ。
「どうして私がこんな辛い目に遭わないといけないの?」から「私が虐待を受けている人間だから?」、「私が悪いから虐待を受けたの?」と変化する…。こういうとき、弁護士なんて肩書きは全くの無力だ。精神科医とかカウンセラーとか、電話の相談員とかはどう対応しているんだろう…。妙にそういう人たちに対する尊敬の念が起こる。
ぎゅうぎゅうに予定が詰まった昼間の時間では、ゆっくり話を聴くこともできない。謝りながらも電話を切る。
夜仕事が一応片づき、彼女と少しだけ面会する。昼間の電話の時よりは少し落ち着いていた。彼女が医師から処方され飲み忘れた薬の束を私に渡す。大量に服用しないように私に渡そうとしているんだと解釈し受け取る。彼女は生きたいんだ。今、何度も押し寄せる波に溺れかけながらも、でも泳ぎをやめようとしないんだと少し胸がいっぱいになった。
彼女と別れてからメールが来た。「ありがとう。もうちょっと生きてみるよ。」
- 今年の4月から親権停止制度が導入され、しかも、子ども本人も申立できるようになった。彼女は母親に対し、親権停止と保全処分(親権代行者の選任)を申し立てた。親権者の同意がいるという切羽詰まった理由もあったが、親子の関係を見直したいという彼女なりの決意であった。その過程で精神的に不安定になることもあったし、20歳になる直前だったため保全処分までしか取れなかったが、それでも自分の意思を貫いたという何か自信めいたものを彼女に感じた。
- そして、20歳を迎える直前、彼女から私にメールが来た。
「実習で帝王切開の見学をした。10人以上の医療スタッフが一人の子を思い母を励まし出産した。産まれ出た瞬間産声をあげこの世界の酸素を吸い始めた子を見て感動した。
私は母に虐待されて育った。だから、親に産んでもらったことを感謝できなかった。
けれども、指導者さんに『あなたたちは生をもらったときからお母さんに大事に守られて、たくさんの人々が願って産まれてきたんです。だから誕生日は祝ってもらうだけじゃなくて産んでくれたお母さんにも感謝してくださいね』と言われた。
もうすぐ誕生日。今年くらい感謝しようかな。」
母を求めながらも憎しみだけを持たざるを得なかった日々…彼女は今そこから脱却しようとしている。
こんな彼女の成長を見ることができると、やっぱり子どもの事件はやめられない。