国立療養所多磨全生園訪問記
〜ハンセン病患者・回復者が生き抜いてきた証に触れて〜
人権擁護委員会 医療部会 委員
井 上 澄 人
- 1 はじめに
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去る6月9日、東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園を訪問した。多磨全生園は、明治42年に設立され、35万8116平方メートルという広大な敷地面積を有する。敷地内部には、国立ハンセン病資料館、居住区、病院などがあり、今もなお様々な理由から故郷に帰ることのできない元患者の方々が生活する場である。
- 2 ハンセン病の歴史と問題
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ハンセン病は、感染力の弱い「らい菌」に感染することで起こる病気である。現在では、適切な治療を行えば、顔や手足に後遺症を残すことなく完治する。
ハンセン病患者は、体の一部が変形するという症状と、国の隔離政策のために、偏見や差別の対象となってきた。
その後、治療方法が確立されたが、国は患者を社会に戻そうとせず、社会も受け容れることをしなかったため、患者は療養所にしか居場所がなくなり、実質的に隔離状態に置かれたままとなってきた。
平成13年には、国の政策の誤りを認める判決が出たものの、偏見、差別は払拭されず、療養所の外で暮らすことに不安を感じ、安心して退所することができない元患者の方々がいる。
- 3 国立ハンセン病資料館
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国立ハンセン病資料館は、上記のようなハンセン病に対する知識と歴史と問題点を正しく認識し、偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図る目的で設立された。
- (1)常設展示見学
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館内では、@歴史展示、Aらい療養所、B生き抜いた証という3つのテーマに分けて展示がなされている。@のエリアでは、ハンセン病をめぐる上記の歴史が写真等とともに概観できる。ABのエリアでは、ハンセン病患者・元患者が人として生き抜いてきた姿が、写真、映像、復元資料などとともに概観できる。治療薬ができる前の患者がいかに過酷な状況下で生活していたか、治療薬ができてからも、後遺症を抱えながら社会や国と戦わなければならなかった元患者の気持ち、その苦悩が各資料を通じて伝わってきた。
- (2)Aさんによる語り部活動
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ハンセン病の歴史と問題を簡潔にまとめた「柊の向こう側」というDVDを視聴した後、Aさんによる講演がなされた。Aさんは元患者の立場から、ハンセン病をめぐる未曾有の人権侵害が起きたのは、@国の政策、A医師の怠慢、B国民の無知が原因であると述べた。
- 4 多磨全生園内見学
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その後、納骨堂へ移動し、献花の上、祈りを捧げた。この納骨堂は、親や兄弟と引き離され、亡くなられても様々な理由で故郷の墓に埋葬してもらえなかった方々が眠っている。
その後、居住区を抜け、旧図書館、望郷の丘、旧山吹舎などを見学し、帰路についた。