会報「SOPHIA」 平成24年7月号より

緊急報告:「マイナンバー」制度に潜む危険 (後編)


 

情報問題対策委員会


(前号から続く)

3 利用目的の拡大可能性がプライバシー権侵害の危険性を孕む

(1) 現在のマイナンバー法案は、番号の利用範囲を税と社会保障、防災の三分野としている。しかし、マイナンバー制度は当初、「社会保障と税の一体改革」のための制度として国民に説明されていたものである。利用目的に防災が加わることで、マイナンバー法案では当初の説明よりも利用範囲が拡大している。

政府は、マイナンバー制度の利用範囲をさらに拡大するためには法改正が必要であり、このことが利用範囲拡大の歯止めとなると説明している。裏を返せば、今後マイナンバー法を改正しさえすれば、上記三分野以外にも利用目的を拡大することが許されることを意味している。しかし、人権保障とは、少数派の権利保障と同様の意味を持つとの視点を忘れてはならない。むろん、政治過程における正しい多数決は少数派の意見を考慮するものであるが、現実の政治過程において安易な多数決やポピュリズムが無視できないことを考慮すれば、法改正によって少数派の人権を侵害するおそれは否定できない。

(2) 具体例を挙げる。マイナンバーによって紐付け得る情報の一つとして、個人の非行歴、犯罪歴が挙げられる。現時点のマイナンバー制度は、犯罪歴の紐付けを意図してはいない。しかし仮に、マイナンバー制度が導入された後、国民の側から、自分の近隣に性犯罪歴を有する者がいないかを知りたいという要望が強くなったらどうであろうか。性犯罪者の再犯率が高いという誤った情報に乗って、性犯罪者の出所情報を警察が把握し、監視・警戒を行うとともに、マイポータル機能を使って、同人の所在を希望者に配信して欲しいという声が広がる事態は十分に考えられる。あるいは、精神疾患を有する者が凶悪犯罪を引き起こす例が続けば、犯罪歴と同様、精神疾患歴を紐付けて欲しいという要望の契機になり得る。また、SARSや平成21年のH1N1型インフルエンザのように、外国からの帰国者によって深刻な伝染病がもたらされる場合、これが渡航歴をマイナンバーで紐付けて、帰国者の動向を管理して欲しいという要望の契機になり得る。特に潜伏期間が長い病気が問題になるケースでは、医療機関が各人の渡航歴を参照し、渡航先で流行している伝染病を知ることによって、迅速な対応をとることが可能になるであろうから、渡航歴を紐付けて管理して欲しいという声が強くなることも十分想定される。

しかし、こうした事態は常に、少数派のプライバシー権の侵害と表裏の関係に立つ。いずれの場合も、マイナンバーに紐付けられるセンシティブな情報を保有する国民は常に少数派だからである。したがって、様々な少数派のセンシティブな情報をマイナンバーに紐付けて欲しいという要望が強くなったとき、国民生活の「安全・安心」のためにと利用目的が正当化され、法改正によって少数派のプライバシー権が侵害されるおそれは否定できない。

(3) 情報の紐付け(データマッチング)の違憲性について、住民基本台帳ネットワークシステムに関する最高裁平成20年3月6日判決は、「本人の予期しないときに予期しない範囲でデータマッチングすることは住基法では刑罰で禁止され」、また、「個人情報を一元的に管理することができる機関または主体の存在しないこと」を理由として、住基ネットにはデータマッチングの具体的危険はない、とし、住基法を合憲と判断した。しかし、この判断を前提としたとしても、国家の保有する市民のあらゆる情報を紐付けできるマイナンバー制度についてもあてはまるか、極めて疑問である。

4 秘密保全法の人的管理に悪用される危険

現在検討されている秘密保全法制には、秘密を扱う者について「人的管理」をすることが謳われている。人的管理とは、対象者について、住所歴、職歴、渡航歴、借金歴など多様な個人情報を調べ上げ、対象者が秘密を漏洩するおそれについて評価・判断する制度である。

このような人的管理を行う場合、多種多様な個人情報を紐付け得るマイナンバー制度は、そのための格好のツールとなることは明らかである。かかるツールが利用可能な状態にあるときに、マイナンバー制度の当初の目的から外れるからという理由で、その利用が回避されるとは到底考えられない。

5 共通の番号を創出しなくとも税と社会保障制度の改革は可能である

本来、マイナンバー制度は、税と社会保障のための制度であった。そうである以上、税の分野と社会保障の分野だけに特化した整理番号の導入を検討すべきである。しかも、政府は、特にセンシティブな情報を対象とする医療の分野と健康保険の分野については別の番号を創設し、マイナンバーを使わないことを明言している。つまり、マイナンバーで国民の全ての個人情報を名寄せしなくても足りる分野もあると言っているのである。政府が立法目的として説明する公平な税負担や社会保障制度の充実も、わざわざマイナンバー制度を導入しなくても可能である。実際、ドイツやオーストリアでは、市民のプライバシー侵害に配慮し、あえて共通番号制度を導入することなく、分野別の番号によって税と社会保障制度を運用している。

6 結語〜ディジタル時代のモンスター

マイナンバー制度によって政府が保有する国民の個人情報を集積することにより、行政が効率的になることは事実かもしれない。しかし、それによって、個人は、自身の知らないところで政府によって個人情報を収集され、国家に「意味付け」られた人間として、「きめ細かな行政サービス」の名のもと、マイポータル制度による形ばかりの安心を受容させられ、生活することを強いられる。そして、情報が漏洩すれば、漏洩した個人情報は、消え去ることなく、世界的な情報ネットワークの海を永遠に漂流することになる。こうした危険に対しては、利用目的を法定し、不正利用や漏洩に刑事罰で臨む、第三者機関を設ける、というマイナンバー法案の対策は無力である。さらに、マイナンバー制度は、立法・法改正さえすれば、いかなる情報をも紐付けることができるツールであり、少数者のプライバシー権を侵害する危険を常に包含する。

しかし、憲法が保障するプライバシー権をはじめとする精神的な人権は、多数決原理によっても奪うことのできない権利として定められたものである。したがって、これを侵害し、国民を情報で管理することまで実現可能なマイナンバー制度というツールを設けること自体、憲法が保障する「個人の尊厳原理」を侵害するおそれがあると言わざるを得ない。

マイナンバー制度は、最新の科学によって政府と個人とがディジタル技術によって直接つながることを可能にするはじめての制度である。しかし、科学技術のもたらす便利さと危険という点からいえば、原子力発電と問題の質は同様である。安全神話によって甚大な被害を巻き起こした原子力発電の二の舞を踏むことだけは避けなければならない。そのために、私たちが行うことは、できうる限りの想像力を働かせ、今まで体験したことのない、国家による個人情報の管理による人権侵害や重大なプライバシー侵害を予想することだ。マイナンバー制度をディジタル時代のモンスターと考えることこそ、今、私たちに必要なのではないだろうか。