会報「SOPHIA」 平成23年11月号より

講演会

「震災報道・原発報道の何が問題か」 開催される



人権擁護委員会 報道と人権部会 部会員

吉 田   敦


1 11月4日、3・11東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故から半年以上が経過し、今一度、これまでの震災報道・原発報道を検証すべく、科学ジャーナリストの柴田鉄治氏をお迎えして、「震災報道・原発報道の何が問題か」と題する講演が行われました。
 硬いテーマにもかかわらず、多くの会員が参加し、その顔ぶれも先進会員から若手会員まで幅広く、また、講師に対する質問も事前に多く寄せられ、参加者の関心の高さがうかがわれました。
 以下、その要領をご報告いたします。


2 震災報道について
 過去の歴史や近年の研究から、今回の地震も津波も決して想定外のものではなく、また、地震が起きた時刻も、被害が最も小さくて済むと考えられてきた「午後」であり、誰もが分かった地震の発生から津波の到達までは30分もの時間があったにもかかわらず、なぜ2万人もの死者を出すことになったのか。
 講師は、それに対して、「次に起きる地震は東海大地震である」「地震は予知できる」と繰り返し報道してきたマスメディアの責任を指摘します。大地震が発生した場合の対処について、マスメディアは、一種の社会教育ともいえる、マスメディアの社会に対するチェック機能を果たせなかったことを指摘します。


3 原発報道について
 講師は、地震国日本が作る原発で、地震による事故が「想定外」ではありえず、安全対策の誤りは明らかであり、地震が起こってからの初期対応にも問題があったと考えられるにもかかわらず、マスメディアの報道は、東京電力や原子力安全保安院の発表に依存し、「何が起こったのか」に肉薄することはなかったことを指摘します。
 さらに、講師は、日本の原発報道の失敗に次ぐ失敗の歴史が今回の原発事故につながったことを指摘します。
 すなわち、マスメディアが、
@1950年代、60年代、原爆は悪、原発は善と、原発を主導した際、原発事故がいったん起きれば広島・長崎原爆被害と同じ状況が生まれるという原子力技術の特異性について軽視してきたこと(第1の失敗)、
A70年代、反対運動の追及に対して、推進派が犯した誤りである「絶対安心」のおかしさを衝かず、むしろ、反対派こそ非科学的と批判したこと(第2の失敗)、
B80年代、90年代、原発において「事故隠し」が繰り返された際、小事故は大事故を防ぐための教訓であるにもかかわらず、マスメディアの報道はそこに至らなかったこと(第3の失敗)、
C2001年、省庁再編において、推進側の経済産業省に原子力安全保安院がおかれたことを追及しなかったこと(第4の失敗)、
 このように、マスメディアが充分なチェック機能を果たしていなかったことが、今回の事故につながったとのことです。


4 日本の震災報道・原発報道の歴史は、1935年生まれで、東京大学理学部を卒業後、朝日新聞科学部長や社会部長などを歴任された講師のジャーナリストとしての歴史とほぼ重なり、講演は、そのような講師の経験を踏まえ、時に自戒の念を込められ、また、時に現在のマスメディアのあり方に対する厳しい批判に及ぶものでした。
  3・11震災以降、日々流される震災報道・原発報道について、疑問を抱きながらも、大量の情報を追いかけるだけとなっていた私にとって、今回の講演は、マスメディアによる報道の意味・問題点を改めて考えるきっかけとなり、非常に有意義なものでした。