会報「SOPHIA」 平成23年6月号より

子どもの事件の現場から(104)

子どもの事件からもらえるもの…



会員 高 橋 直 紹

携帯電話にメールが入る。私が担当していた女の子からだった。「今、被災地のボランティアで宮城に向かってる」…。

彼女は母親の同棲相手からの性的暴力に耐えられず家を飛び出し、幼くして夜の街で生きてきた。何度か児童相談所や警察に保護されても、彼女はそこでしか生きていけないかのように結局夜の街に戻っていった。何度目かの保護で、彼女は子どもセンター「パオ」のシェルター「丘のいえ」に辿り着いた。パオでは、一人一人の子に弁護士(パートナー弁護士)がつくことになっており、私が彼女のパートナー弁護士となった。

パートナー弁護士といっても、彼女の気持ちに踏み込むのは他の人に任せ、私は専ら面白おかしくおどける役に徹していた。彼女も私にあまり自分の気持ちを出すことはなかった。ところが、ある夜「丘のいえ」に向かう車の中で、突然、「『幸せ』って言葉が自分には分からない」「今まで自分は誉められたこともなければ、大切な存在と思われたこともない」などと、彼女が涙声で語り始めたこともあった。その言葉に、まだ10代後半の彼女が歩んできた壮絶な人生を思わずにはいられなかった。

約2か月後、支援先に繋がり、彼女は「丘のいえ」を旅立っていった。その後も、私は彼女に定期的に会いに行ったり、メールや電話を入れるようにしていた。しかし…いいことばかりはありゃしない…就職先もいつの間にか辞めてしまい、彼女は、再び自暴自棄になり始めた。自分を取り繕うために嘘をつき、言い訳をして現実から逃げ、目の前の易きに流れていった。そんな彼女を見ながら私は、“そりゃあんな人生送ってきたら、心の傷が癒え自分と向き合えるようになるのに時間がかかるだろう…”とは思っていた。しかし、沢山嘘をつかれ、逃げられ…私自身どう接したらいいのかさえ分からない時もあった。自分の器の小ささを見せつけられるような日々であった。

そのうち彼女が突然支援先から失踪する。全く連絡が取れなかったが、そのうちメールが来て、生きていることは分かった。その後、前の援助先の出来事が事件になり、私は彼女の少年事件の付添人兼支援者として彼女と再会する。最初は審判の中で色々話そうと勢い込んでいたが、審判での彼女の姿を見ながら、この子が普通のことを幸せと感じられるようになるにはまだまだ時間がかかるだろうなぁと考えているうちに、一人で感無量となってしまい、結局「とにかく幸せになって欲しい」とだけ伝えて終えた。あぁ情けない付添人…。しかし、審判後彼女からメールが来た。「なんか審判の時、私に幸せになって欲しいって言ってくれた時、嬉しくって泣きそうになってしまいました。…世話の焼ける子かもしれないけどどうか最後まで見守ってて下さい。」

その後も、遠いところにいる彼女とのメールと電話での細い繋がりが続く。約1年後、彼女から、夜の世界から足を洗うとのメールが届く。半信半疑だったが、本当に昼間の仕事に就いたようだった。会社の屋上から見える夕日を写メールで送ってきたこともあった。普通のことに喜びを感じるようになったのだ。

そして、冒頭のメールである。こんな日が来るとは…この子は一体どうなってしまうんだろうと心配で一杯だったのが、彼女から喜びと勇気をもらうことが多くなっていることに気が付いた。別に弁護士としては大したことは何一つやっていないが…これだから子どもの事件はやめられない。