会報「SOPHIA」 平成22年9月号より

子どもの事件の現場から(99)


「家庭を求める少年」



会員 粕 田 陽 子

 夕方、電話が鳴った。留置管理係から「接見を希望しています。」と知らされたのは、以前担当した少年の名前だった。20歳になった時に誕生日カードを送ったはずだ。会いに行って驚いた。少年院仮退院後1年数か月の間に、彼は結婚をし、子をもうけていた。会話の端々から、待っている妻から離婚を切り出されるのではないかと苛立っているのが手に取るようにわかった。「一番長く付き合ったンすよ。3か月っす。だから俺、こいつしかいないと思って籍入れました。」だそうだ。

 今回は、妻と喧嘩をしたストレス解消に、盗んだバイクで無免許運転をした挙句、事故を起こして逃走し、逮捕された事件だった。

 そういえば、彼はつながりたいのにつながれない、上手くやりたいのにやれない、いつもそんな葛藤に苦しみながら3回の少年院を経た子どもだった。居場所を求めて暴走族に入り少年院へ。つながりを求めてシンナーに溺れ少年院へ。友達に誘われてひったくりをし少年院へ。私が彼の付添人になったのは3回目の少年院送致になった事件だった。彼にとっては初めての付添人だった。足しげく鑑別所に通って話を聞くうち、家にいられなくなった小学校の時の出来事を話してくれるようになった。母が夜働きに出ると母の交際相手が暴力をふるった。母の交際相手がいなかった時も、兄がベルトを振り回してバックルで殴ってきた。母は、死にたいと思っていた彼に対し「お兄ちゃんは病気だからあんたが我慢をして。」と繰り返したそうだ。ところが、そんなことは以前の社会記録には記載がなかった。彼が言うには、前2件では逮捕されたことに対する反発心と大人に対する不信感で裁判官をにらみつけながら審判を受けたそうだから、調査もろくに答えていなかったのかもしれない。

 私はひたすら彼の話を聞いた。正直、そんな大変な経験をしてきた子に何をどう話していいかわからなかったということも理由の一つだ。ところが、彼は徐々に自分の弱点もさらしてくれるようになっていった。それは前2件の観護措置中には見られなかった彼の成長で、今こそ温かい人間関係の中で更生の機会を与えてほしいと、補導委託先に話をつけ、試験観察の付添人意見を出した。
 裁判官は、「君がだめだから少年院に送るわけじゃないんだ。今、君が自分の問題を考えることができるようになってきたからこそ、その成長を遂げてもらいたいと思うんだ。」と彼を励まし、少年院へ送り出した。

 少年院でも彼は頑張った。裁判官も動向視察に行ってくれた。私も何度も手紙のやり取りをし、面会をした。そのたび彼は、自分への自信のなさを語った。
 仮退院をして、自分を必要としてくれる少女と出会い、わずか3か月の交際でも、それまで刹那的にしか人とつながれなかった彼には運命的なつながりと思えたのだろう。彼は無事に執行猶予の判決を受けたが、数か月後、妻子とは別れてしまった。彼は彼女に対しても鎧を脱ぐことができず、手を上げてしまうことがあったようだ。

 そして最近、彼は結婚を考えていると連絡をくれた。彼が人とつながるのは簡単なことではないだろう。3度矯正教育を受けたからといってできるようになるものでもない。それでも、私は、彼が自分の家族を持って幸せになりたい、そう思ってくれるのがうれしいから、そっと見守りたいと思うのである。