裁判員経験者の声を聴くパネルトーク
岩 崎 光 記
- ○はじめに
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6月24日(木)午後6時、日弁連講堂クレオにおいて、「裁判員経験者の声を聴く」パネルトークが開催された。パネラーは、裁判員経験者として澁谷友光(青森地裁)、鈴木章夫(千葉地裁)、高須巌(水戸地裁)の3名、研究者として後藤昭(一橋大学院教授)、マスコミとして小林直(NHK記者)、弁護士として原田國男(元東京高裁判事)、坂根真也、小野正典(コーディネーター)の合計8人であった(敬称略)。
裁判員の経験者の皆さんの人となりを紹介しておこう。
澁谷友光氏は、青森キリスト教会ジョイフル・チャペル主任牧師。もっとも、順調な人生だったとは決して言えない。生後まもなく父親と母親が離婚、いまだに父親の顔を知らない。幼い時、母親も育児を放棄、一時、施設に預けられた。暴走族に入る等グレかけたこともあったが、養母(キリスト教関係者)の愛情を受け、牧師の道を選んだという。「一歩違っていれば、自分が被告席に座っていた。被告人(澁谷氏と同様の不幸な境遇にあった)が他人とは思えない。」と語る言葉は重く、話は不思議な説得力があった。事件は、強盗強姦被告事件、被告人は、生まれた直後に両親が離婚し、母親も早くに死亡し、幼い被告人は祖母に育てられた。
鈴木章夫氏は、元共同通信社写真記者、現在フリーカメラマン。ジャーナリストらしく、自らも客観的にながめるような落ち着いた話しぶりは、聴き手を引き込む魅力があった。事件は、居酒屋の出店計画を巡るトラブルから、店員である知人男性を殴る蹴る等の暴行を加え死亡させ、傷害致死で懲役10年の求刑を受けたもの。
高須巌氏は、茨城県で整体院を経営する鍼灸師。事件は、自転車で帰宅途中の女子高校生に対し、背後から胸を触った上、突き倒して右手首捻挫など全治1か月の怪我を負わせ、強制わいせつ致傷として懲役3年が求刑されたもの。3人の中では最も「町のおじさん」という雰囲気の人であり、「ウチの娘が、と思ったら、許せない。トンデモネェー野郎だ、ただじゃ済ませネェー、と思った。」と述べる威勢のいいおじさんだった。しかし、審理が進むうちに、被告人の人生についても考えるようになる。そのくだりは感動的でさえあった。
討論の柱は、(裁判員の)選任、審理、評議、その他の4点に絞られたので、それに沿ってパネルトークの内容を紹介する。
- ○選任
選任手続は、各裁判所によって少しずつ異なっている。大部屋へ一同を集め、質問票に基づき、被告人との関係はないか等の質問をし、個人的事情により辞退を申し出る人については、個別に質問をする。4人ずつ部屋へ入れ、裁判官が質問をする、といった具合だ。
呼ばれた裁判員候補者は50人前後。みな一様に沈黙を保っている。奇妙な沈黙の時が流れてゆく。しかし、全員の質問が終了し、裁判員が選ばれるまでは解放されない。この待ち時間を利用して、裁判員制度の意義等を解説するビデオ放映でもしたらどうか、有効な時間の活用となる、との指摘もあった。
裁判所の対応は、丁寧だった、と概ね好評である。ただし、50人呼ばれて6人(補充が2人)だけ、というのはさみしい。せっかく仕事の休みの段取りを付けてきたのに残念、という人が結構たくさんいた、とのこと。
- ○審理
冒頭陳述は、分かりやすかったという声が多い。もっとも、第1回目は、初めての場所、初めての空気、被告人に対する意識等色々なことで頭が一杯で、とても緊張する。その場で全てを理解できるものでは到底ない。比較すれば、検察官の方が、組織的でよく準備されたプレゼンテーションをする。しかし、本当に理解できるのは、部屋へ帰り、資料をよく読んだ後だ。弁護人は人による。必ずしも、パワーポイントを使う必要はないが、要領よく冒陳をした方がよい。例えば、ある弁護人は、「『恩を仇で返す』という言葉をご存じですか、この事件はまさにそういう事件です。」とキャッチフレーズのような言い方をした。こういう短い言葉は印象に残りやすい。
尋問について、検察官は質問項目を明確にして尋問するので、大変聞きやすい。一方、弁護人は、押し付けなどが目立ち、質問の趣旨を把握しかねる場合がある。耳が遠い証人(被告人の祖母)に質問をするが、弁護人席からの質問なので、証人は聞き取れない様子、自然と弁護人の声が荒くなる、これでは情状証人の意味が小さくなってしまう、なぜ証人席の傍らで語りかけるようにしてやらないか、と思った等、弁護人の尋問技術の稚拙さが指摘された。
また、裁判員は、「もっと多くの証拠が見たかった。」という感想が多い。背景事情をできるだけ知っておきたいのだ。情報不足に対する欲求不満が残るらしい。公判前整理手続の欠点の1つかも知れない。
検察官の論告は上手だった。被害者の母親の手紙を女性の検事が心を込めて語るように読み上げる、心が伝わってくる。一方、弁護人の弁論は印象が薄かった。弁護人は幼児期の不幸が被告人の心を閉ざしたことを文献を使って説明しようとしていることまでは分かるが、何が言いたいのかよく分からない。評議で弁護人の言いたかったことは何だったのか意見交換をした。とにかく弁護人は説得力がなかった。
- ○評議
裁判官が冒頭、われわれは1つのチームです、みんなでやりましょう、と言った。思っていたより話のしやすい雰囲気だった。評議は割と順調だった、5、6時間で終わった。2日で済んでしまったので、もう1日くらいやってもよかった。裁判員は名乗らずA、B、Cでやった(裁判員が本名を名乗るところもあり、色々のようだ)、裁判官は自分の意見は最後の方で言った
。量刑資料は20件以上のデータが示された。軽すぎるというのが多くの裁判員の感想だった。データに囚われる必要はないと言われ、実際そのようにした。ただし、全く無視することはやはりできなかった。被害者感情はやはり重視した。市民はそこから入っていくべきだと思った。休憩時間は、裁判の話は全くしなかったという裁判員もいたし、議論をしたという裁判員もいた。評議室のロッカールーム等に「疑わしきは被告人の利益に」等の法格言が貼ってあったのが面白かった、という感想もあった。
- ○最後に
愛する地域で発生した事件について、市民が自らメッセージを発する場を与えられたと思った。工夫を加え、より良い制度にしていきたい。色々と考えさせられた。自分の人生を考え直すよい機会になった。素人でいいじゃないか、感情を出せばいいじゃないか、市民感覚はそれでもバランスをちゃんと考えるものだ。裁判官は「起訴されたものだけを裁いて下さい」と言うが、そんな器用なことはできない、背景事情や起訴されていない犯罪のことも考えなければ適切な量刑などできないと思った。
これらの率直な裁判員の意見は、法曹にとっても考えさせる幾つかの問題を提起しているように思われた。