【ためになる実務】
上場株式の買取請求と公正な価格
委員 片岡 憲明
- 1 脚光を浴びる株式買取請求
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近時新聞紙上を賑わしている法的問題として、会社法上の株式買取請求がある。
直近では、楽天とTBSとの間の株式買取請求をめぐる紛争が有名である。この紛争は、TBS側によるテレビ放送事業の吸収分割(平成21年4月1日)に反対した楽天が、全保有株式(3770万0700株)の買取をTBS側に請求したことに端を発したものである。
上記紛争が、両社の業務提携を巡る一連の紛争に終止符をうつ性格のものであったこと、買取株式数が膨大であったこと、楽天側(最高4026円)とTBS側(1294円)の主張に大きな隔たりがあったこと、などから耳目を集めた。
平成22年3月5日、東京地裁は、TBS側の主張にほぼ沿った形で、買取価格を1株1294円と決定した(但し、楽天が即時抗告)。
- 2 会社法改正の影響
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上記「公正な価格」の問題を理解するには、会社法改正の際の議論から入るのが分かりやすい。
会社法が成立する以前は、株式買取請求における価格決定の根拠条文は「承認ノ決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」(いわゆる「なかりせば価格」)と規定されていた。
そのため、合併によるシナジー効果を是としつつも合併比率に異を唱える反対株主には、株式買取を請求してもシナジーが適切に分配されてこなかった。
会社法では、上記の文言が「公正な価格」というシンプルな文言に変更され、裁判所がシナジー効果を斟酌して買取価格を決定できるよう整備された。
これによって、たとえば、合併が無かったならば1株10万円であったものが、合併によって(適正な合併比率ならば)1株15万円の価値になるような場合、合併に反対する株主は1株15万円で株式買取を請求できるようになった(従前の規定だと1株10万円が限度であった。)。
- 3 ダブルスタンダードの定着
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このように、シナジー分配が斟酌されるようになったため、従前からの「なかりせば価格」は破棄されてしまったようにも思われるが、そうではない。
東京地決平成21年4月17日(協和発酵キリン事件)は、株式交換の事案で、「株式交換自体により同社の企業価値が毀損されたり、又は、株式交換の条件(株式交換比率等)が同社の株主にとって不利であるために株主価値が毀損されたり、株式交換から生じるシナジーが適正に分配されないこともあり得ることから」「事案に応じて、株式交換がなければ同社株式が有すべき客観的価値、又は、株式交換によるシナジーを適切に反映した同社株式の客観的価値を算定すべきものと解される」として、@「なかりせば価格」とA「シナジー分配価格」(Aは筆者独自の命名であることにご注意願いたい。)の2価格の併存を認めた。
その後も、上記ダブルスタンダードを規範に掲げる下級審判例が続出し、実務上はダブルスタンダードがすっかり定着した感がある。
- 4 価格決定の基準
会社法成立以前では、「なかりせば価格」について、組織再編の計画の公表前一定期間における市場価格の平均値をもって「なかりせば価格」としている例が多かった(東京地決昭和58年10月11日、東京地決昭和60年11月21日など)。
これは、計画公表により、その後の株価が組織再編を前提に推移してしまうため、かかる株価推移を算定から除外する必要があるためであった。
しかし、会社法下の組織再編の事案では、公正な価格の算定にあたって、組織再編の効力発生日前1か月〜数か月間の市場株価の平均値を参照するという例が殆どである。
例えば、上記東京地決平成21年4月17日は、「一般に、株式交換をする各当事会社が、相互に特別の資本関係がない独立した会社同士である場合に、各当事会社が第三者機関の株式評価を踏まえるなど合理的な根拠に基づく交渉を経て合意に至ったものと認められ、かつ、適切な情報開示が行われた上で各当事者会社の株主総会で承認されるなど、一般に公正と認められる手続によって株式交換の効力が発生したと認められるときは、他に株式交換自体により当該当事会社の企業価値が毀損されたり、又は、株式交換の条件(株式交換比率等)が同社の株主にとって不利であるために、株主価値が毀損されたり、株式交換から生じるシナジーが適正に分配されていないことなどを窺わせる特段の事情がない限り、当該株式交換は当該当事会社にとって公正に行われたものと推認できるというべきである」とし、特段の事情がない以上、「通常であれば、効力発生日前1か月間の株価の終値による出来高加重平均値をもって算定した価格を「公正な価格」とみてよいものと解される。」と判示している。
判決の論理を分析すると、次のようになる。
要件 : @特別の資本関係なし
+A合理的根拠に基づく交渉
+B情報開示を受けた上での総会承認等の公正な手続
+C株主価値毀損等を窺わせる特段の事情なし効果 :D株式交換の公正を推認+効力発生日前1か月間の株価の終値による出来高加重平均値が「公正な価格」 ちなみに、要件@〜Bが認められるときは、要件Cの特段の事情の存在を株主側で主張立証ができない限り、Dの効果が発生するとのことである。
このような緩やかな要件立てがその後の決定でも踏襲されたため、決定例の殆どが効力発生日を基準としており、計画公表前の株価を参照する決定例は、MBOの事例を除いてほぼ皆無であった。
なお、前出の東京地決平成22年3月5日(楽天TBS事件)では、吸収分割という特徴から、@ABの検討は無く、いきなりCの点を検討し、Cの特段の事情がないのでD効力発生日前1か月間の株価の終値による出来高加重平均値を基準として公正な価格を算定すべきである旨判示されているところである。
以上のような判例の動向に対し、一部の学説では、計画公表前の株価を参照すべき事案として、@合併当事会社が親子関係にあるなど特別な資本関係にあって、対等な交渉が望めない場合等が挙げられていた。
- 5 新たなる地平(最新判例)
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このような判例・学説状況の中、東京地決平成22年3月29日(USENインテリジェンス事件、但し東京高裁へ即時抗告中。)は、株式交換の事案で画期的な決定を下している
。「一般に、株式交換をする各当事会社が、相互に特別の資本関係がない独立した会社同士である場合に・・・」云々という規範部分は上記東京地決平成21年4月17日と全く同じである。
新しいのは以下の部分である。
「これに対して、株式交換をする各当事会社が、相互に特別の資本関係があり独立した会社同士でない場合、各当事会社が当該株式交換の可否やその条件等について相互に自社の利益の最大化を図って相手方と交渉することを期待できる状況にあるとはいえず、各当事会社の利益よりも各当事会社が属する企業グループ全体の利益などを優先的に考慮して当該株式交換の可否やその条件等を決定する蓋然性が低いとはいえない。特に、親子上場会社が株式交換をする場合には、構造的に、子会社の少数株主の利益を犠牲にして親会社の多数株主の利益を図るおそれがないとはいえないとの指摘もされているところである。」「そして、このような各当事会社間の株式交換において、反対株主から株式買取請求権が行使されて裁判所がその価格を決定するに当たって、当該株式交換を原因として当事会社の企業価値ないし株主価値が毀損されたと疑われる事情が存在すると疎明されたときには、株式交換に関する詳細な事情を把握している当該当事会社が、株式交換によりその企業価値ないし株主価値が毀損されていないことを疎明しない限り、株式交換自体により当該当事会社の企業価値が毀損されたか、又は、株式交換の条件(株式交換比率等)が同社の株主にとって不利であるため株主価値が毀損されたおそれが否定できないものとして、当該株式交換がなければ同社株式が有していたであろう客観的価値を基礎として、『公正な価格』を決定するのが相当である。」と判示し、両会社の特別な資本関係等を認定すると共に、市場株価から乖離した株価下落状況に注目し、「市場は本件株式交換を原因として相手方の企業価値ないし株主価値が毀損されるものと評価したものではないかと窺われ、少なくとも、本件株式交換を原因として相手方の企業価値ないし株主価値が毀損されたと疑われる事情が存在する」し、会社側において企業価値ないし株主価値が毀損されていないことの疎明がないとして、「なかりせば価格」を採用するのが相当であるとした上で、「本件株式交換の効力発生日にできるだけ近接し、かつ、本件株式交換の影響を排除できる市場株価として、本件株式交換の計画公表前の市場株価を参照するのが相当であ」り、「本件株式交換の計画公表前1か月間の市場株価の終値による出来高加重平均値をもって算定した価格を『公正な価格』とみてよいものと解される。」と判示した。
判決の論理を分析すると、次のようになる。
要件 :@特別な資本関係あり
+C’当該株式交換を原因として当事会社の企業価値ないし株主価値が毀損されたと疑われる事情(市場動向から乖離した株価下落でOK)
+C’企業価値毀損なしの会社側疎明なし効果 :D’株主価値毀損等推認+本件株式交換の計画公表前1か月間の市場株価の終値による出来高加重平均値をもって算定した価格が「公正な価格」 この決定の画期的な所以は、株主側の立証をかなり容易にしたというところである。
たとえば、@については有価証券報告書、C’については、当該会社の株価推移や日経平均、TOPIXを調査すれば比較的容易に立証することができる。
上記決定は即時抗告されていることもあり、上記決定の規範が実務上定着するかどうかは不透明であるが、定着するとすれば、実務的なインパクトは大きい。
株主にとって株式買取請求が使いやすくなる反面、子会社との合併を図る上場企業経営陣にとっては、当事会社の財務分析・収益分析・シナジー分析等をとことん慎重にやらなければならなくなるであろう。
「公正な価格」の問題は、今まさしく法形成の途上であり、ここ1、2年の動向が大いに注目される法領域だと言える。