会報「SOPHIA」 平成22年1月号より
子どもの事件の現場から(91)

同じ双子の母として

会員 間 宮 静 香

数年前、私は双子を出産した。上の子出産のときと違い、妊娠初期からお腹の張りに悩まされ、薬漬けの毎日。しまいには、上の子をおいての入院を余儀なくされた。「ハイリスク妊娠」とされ、無事に産まれることだけを祈り続ける日々。
  しかし、無事に出産し、ほっとした私を待っていたのは、連続した睡眠時間が1時間しかとれない日々だった。 幸い、実母が手伝いに来てくれていたし、夫も協力的な人だったので、なんとかなっていた…はずだった。出産してから一度も2時間連続で寝たことがない日々が数ヶ月続いたある日、私は限界に達し、号泣した。子どもはかわいい。でも、精神的にも肉体的にも限界だった。
  そして、泣きながら思っていた。助けのない中で双子の面倒をみている母親がいるはずだ。サポート態勢のない中では、いつか、双子の母親の虐待の事件が起こるだろう、と。

それから、数ヶ月。仕事に復帰した私は、新聞で、自分の嫌な予想が当たってしまったことを知った。記事には、双子の母親が、生後4ヶ月の子どもに暴行を加え1人を死なせてしまった、とあった。

生後4ヶ月。私が肉体的にも精神的にも、限界に達した時期に近かった。いてもたってもいられなかった。上の子1人の育児と双子の育児は、まったく違った。双子の育児をした人間でなければ、きっと、あの苦しさはわからない。すぐに、いくつかのMLで弁護人を捜した。ありがたいことに、弁護人からすぐに連絡があった。一緒に弁護人になりたい、とお願いをしたところ、快く受け容れて頂いた。 彼女の育児環境は「過酷」の一言だった。
 彼女は、誰からの援助も受けられなかった上に、病気の実母の面倒までみていた。同時に泣き叫ぶ二人の子。一人しかいない母親である自分。子どもに十分な愛情を注ぎたいのに、抱きしめてやりたいのに、物理的に制約されている苦しさ…接見室で彼女と話をする度、彼女と数ヶ月前の自分が重なり、涙をこらえるのに必死だった。 「育児に困難を感じる」と母子手帳に記載されているのに、「育児ノイローゼかもしれない」と相談したのに、家族も医師も保健師も、彼女に必要な支援の手を伸ばさなかった。彼女は孤独の中、それでも、子どもに愛情を注ごうとした。そして、自分を苦しめていった…。

裁判所は、彼女の苦しみを理解してくれた。「過酷といえる育児環境で、被告人1人に責任を負わせるのはまことに酷」と。判決後、様々な反響があった。裁判所には彼女を応援する手紙が届いた。新聞の投稿欄にも同様の意見が載った。双子の母親が集うインターネットの掲示板では「彼女は自分だったかもしれない」「お互い励まし合おう」という発言が相次いだ。
 他方、双子を育てたことのない親の掲示板では心ない言葉もあった。行政の支援についても、目立った改善は聞こえてこない。

双子の母になって以来、弁護士である自分ができることは何か、いつも考え続けている。少なくとも、多胎児に対する行政のサポートを増やす働きかけをしないといけない。彼女のような母親と子どもをこれ以上増やさないためにも。 同じ双子の母として。