会報「SOPHIA」 平成21年7月号より

子どもの事件の現場から(85)
否定的な父親像を転換した少年のことなど


名古屋家庭裁判所 調停委員 八田 次郎

 34年間、少年院・少年鑑別所に勤務し、退職して早4年が経った。在職中、出会った少年達のことは今も忘れがたく、篋底には少年達の手紙がひっそり積まれている。

 A君のことを話そう。

 少年院では、処遇の一つとして「内観」をすることがある。この方法は、自分の生い立ちに関わりの深かった人物について、単独室で終日面壁し、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑を掛けたこと」の3点につき、「幼少時」「小学時」「中学時」「就業時」といったように時代を区切って、振り返るのである。はじめは集中できなくても4日目ぐらいになると、心の底に沈殿していた記憶が、その情景とともに鮮やかに蘇ってくる。

 私は、「内観」を終えたA君の居室にふらりと出掛けて、「内観どうだった」と尋ねた。A君は少しためらうようであったが、訥々と話しはじめた。「先生、僕は父さんを恨んでいた。僕がこうなったのは父さんの所為だと思っていた」と。

 A君の父親は、暴力団の若い衆として羽振りがよく、将来幹部と目されていた。ところが、重篤な病に罹患し、人工透析を受けなければならなくなった。当然のことながら暴力団から脱落し、心は荒んでいった。そして、少年や少年の母に暴力を振るうようになった。少年は、幼少の頃は部屋の片隅に蹲り、長じてからは父の暴力を制止するようになった。母は何度も離婚について少年に相談したという。少年の父に対する憎悪の気持ちは膨らんでいった。そして、中学時から非行化し、暴力団組員の末端に連なるようになった。  「僕は父ちゃんを憎んでいた…だけど、内観をしてよく分かった…父ちゃんは自分でどうしていいか分からなかったんや、だから暴力を振るったんや…どうにかして欲しかったんや…。父ちゃんは生きることに焦っていたんや」と。「僕が小さい頃はよく遊びに連れて行ってくれ、大事にしてくれた…父ちゃんの人生って何だろうと考えていたら泣けてきて…。」と目をしばたたかせた。そして、「非行を父の所為にしていたけど、本当は自分が悪かったんや…もし、神様が願いを叶えてくれるなら、もう一度父ちゃんと一緒に生活したい」と、述べるのであった。

 私は深い感銘を受けた。少年が亡き父と和解できたことが嬉しく、将来父親になるであろう少年にとって大きな財産になると思った。

 少年院や少年鑑別所に勤務していると、親子や家族の話をよく聞く。家族・親子の関係はそれぞれオリジナルで、同じものは一つとしてない。

 刑務所を出所した翌日、少年の面会に訪れた父親がいた。きっと、この父親は刑務所で少年の姿をあれこれ想像し、出所したらすぐに面会に行こうと反芻していたに違いない。そう思うと何だか哀れでもあった。父親は職員に、少年のことをくれぐれも頼むと、何度も頭を下げて帰って行った。

 このような家族の中に第三者が土足で踏み込んだり、一般的な善悪を持ち込んで容喙してはならない。どんな至らない親であっても第三者から非難されると少年は傷つき哀しみを深くする。

 社会通念という鎧は、時として己を盲目にし、相手の心を閉ざさせてしまう。

 静かに耳を澄まして少年・当事者の言葉を聞きたい。







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