会報「SOPHIA」 平成21年6月号より

子どもの事件の現場から(84)
少年の附添人から“つきあう人”へ?


会員 多田 元
わたしの原点
 今年5月、わが国児童精神科医の草分けと言える渡辺位(たかし)医師が83歳で逝去された。登校拒否・不登校が精神科領域の問題との認識が一般だった約30年前、子どもにとっては学校教育環境への自然な自己防衛的危機回避反応と看破し、子どもへの肯定的な視点をもって親子を支援してきた人である。渡辺医師との出会いはわたしの原点と言える。渡辺医師は、師匠から「下医は病を医する。中医は人を医する。上医は世を医する。」とのドイツの格言をひいて、中医たれと教えられたという。下医は現象にとらわれ病気しか見ない。法曹も同じだ。足利事件で有罪の判断をしたことを恥じない法曹は下医の類だ。少年非行も、事件から少年を見るのではなく、少年を人として理解するなかで非行の意味を考えることが必要なのだ。せめて中医のような法曹でありたいと思う。
 渡辺医師は、治療者として最も大事なことは、相手を直すのではなく、「理解する」こと、相手を対象化して同情するのでなく、ともに感ずる「共感」であり、不登校も「直す」のではなく、むしろ「つきあう」、「共に生きる」かかわりであると教えてくれた。少年にも、そういうおとなの存在が必要だと考えたことが、附添人は少年のパートナーという信念につながった。
少年との出会いとつきあい
 出会いの時は、たいてい少年にとっては人生最悪の状態である。裁判官として審判で出会い、36年間つきあいが続いているもと少年もいる。当時彼は19歳、わたしより10年下だった。未だに10年下の彼は55歳の立派な社会人だ。審判の時、少年院送致と決めて審判廷に入ったのに、保護観察に変えて、気になったので手紙を書いたら返事をくれたことから長いつきあいが始まった。成人後、彼を筆頭に7人兄弟、両親の家族ぐるみで会ったことがある。そのとき、家族の大黒柱になって働いている彼を見て、少年院送致を考えた自分を恥じた。大事なことを学んだ思いがした。
 弁護士を開業して20年。人の生命を奪ってしまった事件の弁護をした少年は8人である。どれもが取り返しのつかない悲しい事件だが、“つきあい”の途切れた少年は一人もいない。社会復帰した者も、人に言えない大きな秘密を抱え、それぞれの人生を懸命に生きる姿を見せてくれる。5年余り少年院にいる間、保護者の面会はほとんどなく、もと附添人が29回の面会をし、仮退院に際しては住込先を紹介したケースもある。その間、少年の様子を被害者ご遺族に定期的に伝え、少年が償いを続けるとともに、まっとうな人間として更生してほしいとのご遺族の願いを少年にくり返し伝えている。少年院在院中、事件現場に建立された慰霊碑を少年と共に訪問した。教官と共に黙々と草をむしり、目を真っ赤にして慰霊碑の石を磨き、自分で作った花を供える姿を見て、一句浮かんだ。

   早春の陽に包まれて慰霊碑に
   花を献げる罪負いし子よ

 事件からすでに9年、定期的にご遺族に少年の様子をお伝えしているケースもある。こうして、少年と被害者側の間をささやかにつなぐうち、償いについての和解が成立したケースは何例もある。いま、審判での被害者傍聴、意見陳述に焦点が当たっている。しかし、本来、被害者・加害者の関係は長い時間をかけて熟成していくべきものではないのだろうか。償いの賠償金を毎月40年間支払う和解もあり、ご遺族も終わりまで見守ってほしいと言われている。附添人の仕事は長寿の素かもしれない。





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