(1)裁判所との関与の在り方一般
「成果と課題」では、公判前整理手続における争点・証拠の整理は、第一次的に当事者のイニシアチブの下でなされるべきという当事者進行主義が掲げられており、この点は、原則が押さえられている。しかし、一方で、「必要性が不明な主張・証拠について求釈明権を積極的に行使することは否定されない。」と述べられ、「当事者との信頼関係の下、争点・証拠の整理について議論を深め、当事者の納得を得る。」と述べられている。かかる観点が前面に押し出されれば、裁判所から検察官の証明予定事実に対し、弁護側に逐一認否を求める、あるいは弁護側の対立主張を逐一出させるといった運用も考えられる。かかる運用は「被告人質問の前倒し」を求めることとなり、裁判官と裁判員間の情報格差を生み、ひいては、公判を形骸化させる危険がある。
(2)争点整理の在り方各論
「成果と課題」では、裁判所がその必要性や合理性に疑問を覚える間接事実については、当事者と議論し、必要なものに整理されていくことも考えられてよい、と述べられている。又、補助事実についても、合理性(必要性)について、当事者に意見を述べさせ、意見交換をしていくことが肝要と述べられている。
しかし、これまで多くの模擬裁判を傍聴してきた経験から言うと、裁判員がどのような間接事実に着目するかは全く予測がつかないものである。裁判員は、自分の人生観、価値観、経歴、知識その他全てのバックグラウンドを用いて事実を見極めようとするものである。間接事実の要・不要を法曹三者のこれまでの経験から枠組み設定してしまうことは、裁判員裁判の趣旨を没却してしまうことにならないかという疑問が生じる。又、検察官が主張する間接事実や補助事実について、弁護側が対応して各主張の整理を行うことは、結局、検察官の土俵で整理手続が進むことになる。
(3)証拠整理の在り方
裁判員裁判では「証拠の厳選」がなされることになる。「成果と課題」も「本事案の真相解明に必要不可欠な証拠は何かをまずよく考え」、「立証は基本的には人証」と述べている。「目で見て耳で聞いてわかる裁判」のために十分に評価できる部分である。しかし、検討ないし今後の検証を要するのは、検察官が有用と述べる「統合捜査報告書」や「簡にして要を得た供述調書」の活用を述べている点である。前者は、実況見分調書や写真撮影報告書等複数の証拠をまとめたものであるが(本年2月に最高検察庁から出された「裁判員裁判における検察の基本方針」37頁参照)、作成者の尋問による安易な伝聞立証につながらないかという危険もある。後者は、人証を基本とする裁判員裁判の原則を失わしめ、従来裁判に堕するおそれがある。
更に、「成果と課題」では、「証拠整理の目的という限度で証拠の内容に触れることは特段予断排除の原則に触れるものでない」と述べられている。こうした点にも、裁判員との情報格差をもたらす禁断の誘惑に裁判所が疎い、あるいは乗りやすい傾向が現れている。
(4)公判前整理手続を円滑・迅速にするための工夫例
「当事者の準備が漫然と行われ、期限が遵守されないような場合は、裁判所としても、当事者に対し、然るべき準備を強く求める。」と述べられている。これは耳の痛い点ではあるが、捜査量に応じて証拠開示請求の回数や対象等に差がある。必要な証拠開示請求を全て行い、開示された証拠を隅まで検討し、被告人に開示証拠を差し入れ、面会・打合せを経た上で、期日までの準備をするのに必要な期間は最低限確保しなければならない。
(5)難解な法律概念が問題となる事案における公判前整理手続の在り方等
「成果と課題」は、法律解釈は最終的には当事者の権限と責任と述べる一方で、裁判員に対する説明方法は、できる限り法曹三者で共有することが望ましいと述べる。当該事案において問題となる法律概念について、裁判所が「裁判員にはこの説明方法でいきます。」と言って、弁護人・検察官に説得してくるケースはないであろうか。法令あるいは行刑等に関して、裁判員に誤った印象を与える説明となっていないか、整理手続段階でチェックすることが必要と思われる。
(6)責任能力に関する鑑定手続の在り方
「成果と課題」では、@鑑定採否のためには捜査段階の鑑定の提示を受けることも手続的に認められる、A整理手続段階で裁判所と鑑定人がカンファレンスを持つことも有用、B捜査段階の本鑑定活用について、弁護側の視点を取り入れる、弁護人から鑑定人に被疑者に有利な資料の提供を求めることの運用が重要な課題、と各述べる。
@については、弁護側の弾劾を受けないままの捜査側鑑定を裁判所が検討することになる点、Aは、整理手続段階で実施された鑑定の報告を受けることを認めない裁判員法に反すると思われる点、Bは、捜査段階での弁護人の法的権限等を踏まえると現実的に可能な運用となるとは到底思われない点、それぞれ非常に大きな危惧を覚える。
結局、裁判員裁判と責任能力判断は、制度上、最も乖離した存在同士と思われる。この点は、自由と正義2008年9月号、同2009年3月号の金岡繁裕会員の論稿に詳述されているので、参照されたい。