子どもの事件の現場から(81) 子育て支援の現場では“今” 〜H親子が教えてくれたこと〜
名古屋学芸大学ヒューマンケア学部 准教授 坂 鏡子
- 初めての出会い
- 初めてHに会ったのは、生後1カ月の頃。当時、私が勤務していた保育園に、「この子を預かってください」と、水色のおくるみに包まれたHを差し出す母は、能面のように無表情でした。「私なんかに育てられたら不幸せ。全然可愛くない」と話す言葉が、とても印象的でした。母は、実父から激しい暴力を受け、心に大きなダメージを持った方でした。
- 当時の保育園は、3カ月児からの受け入れしかできず、Hは父方の祖父母に預かってもらうことになり、母は入院治療を始めました。
- 保育園での葛藤の日々
- 2度目の出会いは、2歳の頃。退院をした母は、園を利用して、自分でHを育てたいという希望に満ち溢れていました。彼は、色んなことに興味を示す、自己主張の強い子で元気一杯に保育園の生活を始めました。
- ある日のことです。Hは、朝からとても荒れていて、出会い頭に、友達をバーンと殴る、友達が作っていた積み木を、ガッチャーンと倒す、行く所々で、泣く子どもが頻発し、担任の保育士は悲鳴をあげていました。
- 私は、彼を職員室に呼び、「どうしたの?何か嫌なことがあったの?」と聴きました。
- 「あのね、あのね、昨日ね、ママとパパが喧嘩したの。そしたらね、パパがね、お机をバーンしたの。ママがね、お外に行っちゃったの。怖かったよ!暗かったよ!Hは一人ぼっち。ねぇ先生、Hはいらん子?」目に涙を一杯ためて、体全体で自分の思いを懸命に伝えようとするH。私は、彼のつたない言葉を補い事実を確認し、Hの気持ちを代弁しながら、全身からあふれ出る悲しさや辛さを受け止めるのに必死でした。「Hは、いらん子じゃない!大事な子だよ!ママは心の病気なの。ママの病気が言っている言葉だよ!」と、小さな彼を思い切り抱きしめました。
- 卒園そして進級
- 彼が園生活で見せた言動の全ては、日々家庭の中で繰り広げられる納得できない出来事による、己の気持ちや存在の意味を確認しようと葛藤する彼の心の叫びだったのでしょう。
- 親子の葛藤の波は、Hが年長組になり、少しずつ落ち着きを見せ、小学校生活に移行しました。小学生になって、久しぶりに会った時、母の調子を聴いた私に、彼はこんな風に言いました。「先生が保育園にいた頃より、ずっとよくなったよ!ママ叩かなくなった、ちゃんと言葉で言うんだ。でもまだちょっと怖い時もあるけどね」と。私とH親子とのかかわりは10年近くなり、彼はサッカーが大好きな中学生に成長しました。
- H親子が教えてくれたこと
- 「寄り添う大人が、聴こうとする耳さえ持ち合わせれば、どんなに幼い子どもでも、自分の思いが語れるんだ」という、Hから貰った教えが、実践の基本姿勢となり、日々起こる困難な出来事に翻弄されがちな自分の立ち戻るべき戒めになっていると言えます。
- H親子のように、暴力により、葛藤の日々を送っている人は少なくありません。その悲劇を再び繰り返さないためにも、今各地で、広がりを見せている子育て支援活動の場が、虐待防止の防波堤となり、子どもも親も、己の感情を素直に語り、受け止めてもらえる、人と人が気持ちを交し合う温かいかかわりが溢れた場所に育ってほしいと切に願います。
- そして、こうした基本姿勢を共有できる、幅広い職種の方々と手を結び、各々ができることを共に考えていける仲間の輪が広がっていったら、とても嬉しいと思います。
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